神託の行方編7
クーは長い夢をみていた。何度もくり返し見続ける夢の中には、マティアスが出てくる。
『ごめんね……。もう君とは会えない』
そう言って背を向けて歩き出すマティアスの進む先には、きらびやかな王宮や貴族屋敷が立ち並んでいる。綺麗な服をきた紳士淑女、そしてお姫様のような令嬢が彼を待っている。
『まって! まってよ! ……行かないでよ!!』
クーは必死に彼の背中を追いかけようとする。それなのに足がまったく動かない。足もとを見ると、そこは沼地。彼女の左足には茨が絡みつき、汚い沼の底へ引きずり込もうとしている。
『やだぁ……、痛いよ! マティアス、マティアス助けて!』
マティアスはクーが泣き叫んでもふり返ることはなく、綺麗なドレスを着た令嬢の手をとってきらびやかな世界へ帰っていく。
『だから俺は忠告したのによ』
『そうですよ、年長者の意見はちゃんと聞かないと。僕たちはそっちには行けませんからね』
沼の淵から二人の少年が困った顔で見つめている。抵抗するたび、足に絡む茨の棘が激痛を生みだす。それでも二人の少年に向かって必死に手をのばす。
『わりぃな。……もう届かないんだ』
『さようならクー』
少年たちもそれぞれの場所へ帰っていく。
クーの体はどんどんと沈み、やがて視界は真っ暗になる。
(あぁ……。私、夢をみているんだ)
マティアスには会わなかった。そして崖から落ちて怪我をした。きっと現実の世界ではまだ神殿の床に転がっているに違いない。
クーの意識はだんだんと覚醒し、ぼんやりと視界が明るくなる。
(このまま、ずっと眠っていたほうが楽だったのに……)
体全身がぎしぎしと痛み、ひどい頭痛がする。クーは視線だけ動かして周囲の様子を観察する。
「ど、こ……?」
そこはクーの知らない場所だった。大きな窓がいくつかあり、真っ白な紗のカーテンがかけられている。カーテンの外から十分な光が届くので、今は昼間なのだとわかる。
寝かされているのは柔らかいベッド。部屋の中には彫刻のほどこされた豪華な姿見やチェストが置かれている。
「診療院? なわけないか……」
古き神殿にこんな豪華な部屋はないはずだし、老神官の暮らす家でもない。無料の診療院というものがいくつかあるらしいが、それにしては豪華すぎる。
「いったぁ……!」
起き上がろうとすると、クーの体に激痛がはしる。時間をかけてなんとか上半身だけを起こし、かけられていた毛布をどける。
左足は添え木と包帯でがちがちに固められていて、足首も膝も動かすことができない。骨が折れているときの処置であることはクーにもわかる。
「手当、されてる……?」
左足も腕も、丁寧に包帯が巻かれている。服は装飾のない真っ白な夜着に変わっていた。
「誰か、誰かいないの!?」
何度か大きな声で呼びかけると、部屋の扉が静かに開き、女性が入ってくる。
「聖女様、お加減はいかがですか?」
クーの目の前にいるのは黒髪にグリーンの瞳の女性だ。歳は二十歳前後で右目の下にほくろがある。
「……?」
「私は聖女様の身の回りのお世話をさせていただきます、アーシェラ・サーヴィスと申します」
アーシェラという名の女性は、クーが見たことのない服装をしている。白い立ち襟、まったく飾りのない灰色のドレスという格好だ。
庶民であればスカートの長さは泥がつかない膝下のはずだし、貴族にしてはいくらなんでも質素すぎる。
「少々、失礼いたしますね……」
たれ目がちで柔らかい印象のグリーンの瞳が、クーの体調を気遣うように近づいてきて、真っ白な手が額にあてられる。近くにいるとお日様のようないい香りがする。そのことでこの女性が少なくとも庶民ではないのだとクーは知る。
「まだ、少しお熱があるようですね。まずはお水と、軽いお食事をお持ちいたします」
クーは部屋から立ち去ろうとするアーシェラのスカートをつかんで引き留める。無理な動きをしてしまったせいか、また体に激痛が走る。
「あ、あの、……サーヴィスさ、ま? ここはどこですか? なんで私のことを助けてくれたんですか!?」
「まぁ! 私に敬称など不要です。聖女様がよろしければアーシェとお呼びください」
「聖女、さま?」
「ええ、あなた様は神託によって選ばれた聖女様です。……のちほど、イルマシェ様を呼んで参りますので、詳しくはイルマシェ様からお聞きください」
安心させるようにほほえんだあと、アーシェラは静かに退室する。
「イルマシェ? 神官のじいちゃんのこと……?」
クーが自分の身に起きていることを理解できないまま、とりあえず医師が様子を見に来たあと、粥と水が運ばれてきて、食事をとることになった。
体を起こしているのが辛い状態なので、寝台の上に大量のクッションが持ち込まれ、そこに埋もれるようなかたちで食事をする。彼女が食事を終えたころ、老神官が部屋に現れた。
「じいちゃん! なんなの!? 意味がわからないんだけど!」
「かわいそうに、ずっと眠っておったからの……」
混乱しているクーを落ち着かせながら、老神官は順序立てて眠っていたあいだの出来事を説明する。
神託で聖女が現れるとされた場所が、あの古き神殿で、クーが聖女に選ばれたこと。ひどい怪我をしていて、左足は前のようには動かない可能性が高いこと。イルマシェの養女というかたちになり、名前はクーではなく「クラリッサ・イルマシェ」になったこと。
これから三年間、聖女としての役目を果たしながら、礼儀作法を身につけること。
「とりあえず、今後は“じいちゃん”ではなく、“おじいさま”と呼びなさい。……言葉遣いもできるかぎり気をつけたほうがいいじゃろう」
「……なんか、よくわからない」
聖女に選ばれた。足が動かない。名前が変わった……。そう説明されてもまったく実感がないままだ。
「名誉なこと……そう考えてよく学び、まわりの人間と良好な関係を築けるように努力することじゃ。今のわしにはそうしたほうがおぬしのためになる、としか言えんからの」
「……わかった。私だって野良犬の巣で野垂れ死したかったわけじゃないから。がんばるよ」
クーの人生が突然変わったのはこれで二度目だ。育った一座が突然解散して、野良犬の巣に行くしかなかったときはもっと絶望的だった。
仲間だと思っていた大人たちは、誰も幼いクーを連れて行ってはくれなかった。大人たちが自分のことで精一杯だった、ということは理解できた。それでも見捨てられたのだと感じた。
彼女にとって、生き方を自分では選べないことも、その中でなんとかうまくやっていこうとすることも、とても自然なことだ。
聖女という立場には戸惑うが、安全な世界に身をおけるのだと思うと、不安より安堵のほうが勝る。
「おじいさま。私、がんばるよ! ……じゃないのか……立派な聖女となれるように、精一杯努力いたします」
「そうじゃな、それでいい」
やたらと前向きに、無邪気に笑う少女に対して、老神官はぎこちなくほほえむ。クーには老神官が少し寂しそうにしているように見えた。まだ自分の置かれた状況がどういうものなのか、よく理解していないクーにはそのことが少し不思議だった。




