神託の行方編6
神殿の一室、明かり取りの小さな窓だけがいくつかある薄暗い部屋。普段なら王族が集まるような場所とはいえないその部屋で、早朝から密談がおこなわれている。
集まっているのは、事情を知っている者だけで、マティアスもそこに含まれていた。
重要な話し合いの場への参加が許された、というわけではなく、単純に下手な行動をとられるとまずい、というだけの話だろう。
王家側は末の姫を除いた四人、神殿側は神託に関わった三人の大神官――――そのうちの一人は古き神殿からこの場所へたどり着いたばかりだった。
「別の乙女がいたというのは本当か?」
国王の問いに答えたのは、神託の場所から戻ってきたばかりの大神官だ。
「はい。ただ、その者は身寄りもない貧民で……到底、聖女となるにふさわしい者ではありません」
マティアスの額に嫌な汗がにじむ。身寄りのない貧民。その言葉を聞いた彼の頭に浮かんだのは、赤い髪の少女の姿だ。すぐにそんな偶然などあるはずがないと頭を振る。
「……どうして貧民街の人間だとわかったのですか?」
普段ならでしゃばらず、決してこういった場所で発言をすることのないマティアスが、我慢できずにたずねる。
嫌な予感を否定して欲しかった。
「あの場所を管理している神官イルマシェによりますと、日頃から出入りしている者であるとのことで」
大神官の言葉は、マティアスの予想をより確かなものにするだけだった。老神官の顔見知りで、悪天候のなかわざわざあの場所を訪れる人物は限られる。
「人払いはどうなっていたのだ?」
国王が静かな声でたずねる。
「もちろん立ち入りは禁じておりました。しかしながら、今回は崖の崩落に伴った事故のようなもので。少女が神殿内に立ち入ったとき、我らは川の氾濫と、複数の場所で起こったほかの崩落への対応におわれておりましたので……」
「いや、むしろ条件を満たす者がいることは不幸中の幸いと言えよう」
「陛下! なにをおっしゃいますか!? 王太子の妃となるものが、そのような卑しい貧民だなどと。ありえませぬ!」
国王の言葉を王妃は大声で否定する。
「ほかに方法などないであろう? ……して、その娘は?」
「古き神殿にて応急処置を施しております」
「可能であるのなら、こちらに連れて参れ。……口の堅い医者を選び治療させよ」
「陛下! なりません、ありえません。血筋の不確かな者などっ!!」
普段は冷たく感じられる王妃の淡いブルーの瞳は、燃えるような怒りの色を含んでいる。
王族として生まれ、嫁いでからも隣国の王家の一員である彼女にとって、二つの王家の血を引く愛おしい息子が、身分の低い者を妃に迎えることなどありえないのだ。
「オティーリエ、我が国には我が国の掟がある。神託は違えてはならぬ」
国王は王妃にそれ以上の反論を許さない。普段はあまり積極的にものを言わない国王のはっきりとした言葉に、王妃はしぶしぶ口をつぐむ。
レドナークの国教に関する重要事項に、他国の姫であった王妃が口を出すのは聖職者たちにとって愉快な話ではないからだ。
「母上、どうかお静まりください。私はまず、その者に会ってみようと思います。……おそらく、ほかに方法がございません」
国王夫妻やジェレマイアの会話を聞いて、いちおう話の意味は理解できているマティアスだが、意識はどこかふわふわとしていた。
そして数時間後、大神殿に運び込まれた乙女はマティアスの予想どおり、真っ赤な髪の少女だった。
(クー! ……そんな、なぜ……?)
医師の診察では左足を複雑に骨折していて、骨がつながっても障がいが残る可能性が高いということだった。そのほかにも体にはいくつかの傷があり、高熱で意識のない状態だという。
寝台に寝かされて、しっかりと毛布がかけられている状態のため、骨折もほかの怪我の状態も見えない。汚れのほとんどは拭われているが、髪にこびりついた土はそのままで頬には擦り傷がある。
マティアスは彼女の名前を呼び、傷の様子を確かめ、心臓の音を確認したい衝動を押し殺す。
「こんな汚らしい子供が、私の聖女だというのか……?」
眠っているクーを値踏みするような視線で見つめていたジェレマイアの最初の一言は、彼女を見下すものだった。
(私の、聖女……?)
マティアスは異母弟のその言葉にはっきりと怒りを覚える。ジェレマイアが望んだのはマルヴィナという名の侯爵令嬢であって、クーではない。「汚らしい子供」だと口にしながら自分の所有物であるかのような口ぶりがひどく不快だった。
(僕が約束を破ったからっ! それなのにジェレマイアを憎む権利があるのか?)
身分の差から、結ばれないのだと勝手にあきらめて彼女を遠ざけた。将来、自分のことなど忘れて幸せになってほしい。そう思っていたはずなのに、その気持ちは単なる偽善で、本心ではなかったのだろうか。
眠っているクーの意志など、誰一人として確認しようという発想のないまま、彼女が聖女となることが決まっていく。
マティアスはここでも、ただ見ていることしかできなかった。
***
「第一王子殿下、こちらにお出ででしたか」
神殿の中庭にいたマティアスに声をかけたのは、古き神殿を管理していた老神官イルマシェだ。布や水の入った桶を持って、クーの寝かされている部屋に戻る途中のようだ。
「……お久しぶりです。イルマシェ殿」
「半年ぶりですかな。なんの因果でしょうか? あなた様のことはなんとなく察しておりましたが、まさかあの子が聖女に選ばれるとは……」
「あの子の怪我の具合はどうですか?」
「命に関わるものではないそうです。熱も下がりはじめ、もうすぐ目を覚ますでしょう」
「そうですか……。イルマシェ殿、聞いてくださいますか?」
老神官が小さく頷く。
「昨日、本来ならクーは僕と会うことになっていたんです。……でも、僕は約束を破り会いに行きませんでした。それどころか、手紙だけで別れを済ませたんです」
「…………」
「使いを頼んだ従者の前では、なんでもないことのように振る舞っていたそうです。でも、そんなはずなかった!」
周囲に聞かれないように、必死に声を押し殺そうとしてもマティアスにはうまくできない。
「あの子が神殿に向かったのは、間違いなく僕のせいだ! あの場所は僕らにとって特別だったから」
はじめてマティアスのほうから手をつないで、額にくちづけをした。違えてはならない約束をした。
約束を守らなかったのはマティアスのほうなのに、取り返しのつかない大怪我をしたのも、人生が変わってしまったのも、クーだけだ。
「殿下、私はこれこそが運命ではないかと思うのです。……長く生きておりますので、神託がどういうものなのか、わからぬわけではありません。ですが、あの子は本当に神に選ばれた存在ではないかと、そう考えてしまうのです」
「本当に選ばれた存在なら、大怪我なんてするわけがない!」
「……殿下。あの子にお会いにならないのですか? 私が世話をしている今を逃せば、一生機会を失うかもしれませんぞ」
国王やジェレマイアは今後の方針を決めるのに忙しく、彼女の部屋を訪れない。クーの存在はまだ限られた者にしか明かされていないために、護衛や世話役を置かずに、老神官が見張りと世話をしているようだ。
クーが正式に聖女だと決まれば、おそらくもう会えない。
「会わない。会えるわけがない。……僕はあの子から体も心も、すべての自由を奪った存在なんだから」
医師の話では、傷が癒えても左足は自由に動かせない可能性が高いとのことだった。
風をまとって自由に走っていた姿はきっともう二度と見られない。
そして、平民の彼女が聖女となったところで、思いどおりになることなど一つもない。自由を奪われ、政に利用され、伴侶となるジェレマイアを含めた貴族たちからは疎まれる。
これからクーがどんな扱いを受けるかは、マティアス自身の経験と照らし合わせれば簡単に想像ができることだった。
「イルマシェ殿、お願いです。どうかあの子の……クーの力になってあげてください」
「私はずいぶんと昔に力を失った身ですから、できることは話を聞いてやることくらいしかありませんぞ」
「それでも、少なくとも信頼のできる人間が一人でもそばで支えてくれることがどんなに心強いか。……今の僕にはあなたにお願いすることしかできない」
伯父であるクィルター伯爵は油断のならない人物だが、アランや幼い頃から使えてくれている女官が、マティアスの精神的な支えになってくれている。本当の孤独はきっと人の心を蝕む。だから彼はせめて、好意的な人間が一人でも彼女のそばにいてくれたのなら。そう思ったのだ。
「あの子を見守ることが、老いぼれの最後の仕事なのかもしれませんな。じつは、私があの子を引き取ることになりそうでしてな」
ネオロノーク教の聖職者は婚姻ができない。だから、血縁ではなく能力と派閥争いで地位が上がっていく仕組みだ。聖女は三年の勤めを終えると、王太子妃となり、やがてこの国の王妃になる存在。誰が身寄りのない聖女の後見人をするかでもめたあげく、派閥争いからも出世からもすでに無縁となっている老神官を後見に据えることで、一応の決着を見せたのだ。
「あの子の手を取らなかった僕が言っていいことではありませんが、クーのこと、よろしくお願いします」
老神官は少しだけ笑い、マティアスの願いを力の及ぶ範囲で叶えると約束した。
この日、クーという名の野良犬の少女は姿を消し、クラリッサ・イルマシェという名の新たな聖女が誕生した。




