第拾玖話「ロリババア、団欒す。」
「……と、いうような事があった訳じゃ。いやいや、実に有意義な時間であった。今度他の稲荷連中にも自慢してやろう」
のんびりとした秋の朝、瑟は茶碗と箸を持って頬にご飯粒を付けたまま異世界での体験を家族に話している。
畳の敷かれた古風な和室のちゃぶ台の上には、鰺の開きと菠薐草のお浸し、漬け物各種に豆腐とわかめの御御御付、そして白い米が所狭しと並んでいる。
瑟が異世界にいた時間は一週間程だったが、もとの世界に帰ってきてみれば、一日しか経っていなかった。帰ってくるとちょうど朝飯の時間だったのでそのまま食卓で食べながら異世界の話をしていたのだ。ラノベの様に都合が良いのもたまには悪くないなどと密かに思いながら。
和服に割烹着を着て眼鏡をかけた物静かそうな優男の倉稲斎が妻の話に相づちを打っている。
「それは大変でしたね」
斎はもう朝飯を済ませたらしく、のんびりと茶を啜りながら瑟の話を聞いている。
「あ、お前様、信じておらぬな。本当に儂は異世界に行ってたのじゃぞ。本当じゃぞ」
「はいはい。ご飯のおかわりは?」
「欲しいぞ。大盛りで頼む。やはりお前様の飯が一番美味いのう」
「母様はよく食べるね~」
瑟の横に座っている可愛らしい顔のたれ目な少年が、狐のキャラクター柄のパジャマ姿で、瑟と同じように頬にご飯粒を付けて屈託のない笑みを浮かべている。
「うむ。食えるときに食っておくのが野生で生きていく術じゃからな。俤も沢山食べて儂のようなか弱い女子を守るのじゃぞ」
「は~い」
「誰がか弱い女子だ、人食い妖怪が」
無邪気に返事をする次男の俤と違い、中学校の制服を着た長男の祝は機嫌が悪そうにつぶやく。
「もとじゃ、もと。そもそも儂は刃向かってきた奴以外は殺しておらんぞ。それにな、正当化するつもりはないが、あの戦乱の世ではそれが普通じゃ。殺して殺される。人も妖怪もな。儂はたまたま殺す側だっただけじゃ。それはそれで飽きない時代じゃった。まあ、この飽食暖衣の世の中に生まれたお前では分からぬだろうがの」
カカカと小馬鹿にしたように瑟は嗤って漬物を口に入れる。祝は無視して食事を進めた。
「母様はもう人を食べないんだよね?」
「さて、どうかのう。悪い子がいたら食ってしまうかもしれんぞ~」
わざとらしい仕草で戯けてみせると、俤が嬉しそうに隣に座る祝に抱きつく。
「きゃ~」
「俤もふざけてないで早く食え。学校に遅れるぞ」
そう言って俤に付いたご飯粒を取ってやる祝を見て大人たちはほっこりとする。山盛りの米をよそって戻ってきた斎が茶碗を瑟の前に置く。
「兄弟愛はいいものですね」
「そうじゃな」
「そうですね」
『そうッスね』
薄型テレビに映る気象予報士がパネルを使いながら今日の天気予報を伝えている。
「あ、今日は夕方に雨が降るそうですよ。お子さんたちは傘を持って行った方がいいですね」
「そうじゃな。明日はどうかのう」
「明日は晴れるみたいですよ」
「ほう、それは良い。……って、何でお前が我が物顔で飯を食っとるんじゃ?」
しれっとした表情で、プリマベラは客用の茶碗と箸を持って菠薐草のお浸しを食べている。なお、箸は握り箸になっている。
「だって私はこの世界に知り合いなんていませんから、瑟さんの所に厄介になるのは当然の流れでしょう」
「お前に食わす飯はここにはないわ。またどこぞで男でもひっかけて上からでも下からでも食ってくれば良いではないか」
「えぇー。そんな冷たい事言わないでくださいよ。あ、だったら瑟さんの旦那さんをひっかけて――」
言葉を言い終える前に、瑟は素早くプリマベラの耳を掴み、力を込めればいつでも引きちぎれる体勢になる。
「今、なにか言ったか?」
「な、なんでもないです……」
怪しく嗤う瑟にプリマベラは涙を浮かべるしかできなかった。
『……元ご主人もホント懲りないッスね』
ポルタのため息とともに瑟はプリマベラの耳から手を離し、箸と茶碗を持って食事を再開する。その光景を見ていた斎は優しい笑みを浮かべている。
「大丈夫ですよ。僕は瑟さん一筋ですから。他の女性には絶対になびきません。ご飯粒、付いてますよ」
そう言って何事もなく瑟の褐色の頬に張り付く米粒を指で取って食べてしまう。
「ふ、ふん。し、知っておるわ」
白耳がピンと立ち、褐色の頬を紅潮させて、瑟は鰺の開きを骨も頭も取らずに丸ごと食いつき、山盛りの米を次々に口に運んでいく。米をたいらげると、瑟はふと隣で胡瓜の漬け物を刺して食べているプリマベラが目に付く。瑟は彼女に向かって手を伸ばすと、プリマベラは体を強ばらせて退く。
「ひっ」
「いちいちビビるな。何もせんわ。行儀が悪いからその刺し箸と握り箸を止めんか。箸はこうやって持つんじゃ」
瑟が褐色の小さな手をプリマベラの白い手に重ねて動かして箸を正しく握らせる。
「日本で生活するつもりならこれぐらい覚えておけ」
「……瑟さんって本当にお母さんみたいですね」
「いちいちときめくな。それにみたいではなく実際に母親じゃ。後で母子手帳見せてやる」
そんな二人の様子を、斎はニコニコと笑いながら眺めている。
「昨日は出張から帰ってきたら瑟さんもいないですし、本殿が無くなっていたのでビックリしましたが、子供たちと協力してなんとかなりましたよ。どこかに行くときは必ず知らせてくださいね。心配しますので」
ここで「儂のせいではない。このデカ乳女のせいじゃもーん」とか瑟が言うのではないかと思っていたプリマベラだが、その予想に反して瑟は大人しく斎の言葉を聞き入れただけであった。
「う、うむ。すまなかった。肝に銘じておこう」
どこか怯えているような声色の瑟を疑問に思っていると、斎が声をかけてくる。
「プリマベラさん、ご飯のおかわりはどうですか?」
「ひゃえ! お、お願いします」
考え事をしていたプリマベラは急に声をかけられて変な返事をしてしまう。
「遠慮せずに食べてくださいね」
斎はニコニコとしたまま茶碗を受け取って台所へ姿を消す。
「ねえねえ母様。僕たち昨日もちゃんと悪霊を退治したんだよ~」
俤が嬉しそうに昨夜のお仕事を報告してくる。彼らも子供ながら退魔の力を有し、日々平和を守っているのだ。
「おうおう。流石は俤じゃな。いい子いい子してやろう。祝は足をひっぱらんかったか?」
俤の頭を撫でてやると小さな頭が嬉しそうに動く。
「ううん。祝兄様はボクを守ってくれたんだよ。本当だよ」
「ほほう。祝も立派にお兄ちゃんしておるのか。よしよし、頭撫でてやるからこっちゃこい」
「誰が行くか」
「素直でないのう」
「どうぞ、プリマベラさん」
「あ、どうもー」
プリマベラに米を盛った茶碗が渡されると、瑟が空になった茶碗を斎に差し出す。
「お前様、儂もおかわりじゃ」
「はいはい」
茶碗を斎に預けると瑟は再び祝にちょっかいを出す。
「ゴブリンやオークを友に持つ母親なんて他におらんぞ。学校で自慢するがよい」
「絶対しねえ。異世界でもどこでも行って帰ってくるな」
沢庵とご飯を掻っ込みながら祝は冷たくあしらう。瑟は拗ねた声で台所にいる斎に声を飛ばす。
「お前様ー。祝が反抗期じゃー。儂に冷たく当たるのじゃー」
「祝もそういう年頃なのです。ちゃんと成長している証ですよ。それに、昨日は瑟さんがすっぽかした稽古も代わりにやってくれましたし、瑟さんがいなくなって一番心配していたのも祝なのですから」
台所から返ってきた言葉に祝は動揺して米を咳き込む。
「バッ、親父! 余計なことを言うな!」
「ほほ~う?」
格好の玩具を見つけた瑟は、白耳がピンと立ち、先程までの拗ねた顔を一瞬で消してこれでもかと緩みきった顔とからかうような声で赤面する祝にクネクネと詰め寄る。
「その辺のところをもっと詳しく聞きたいの~う祝。大好きなお母さんいなくて寂しかったのか~? 今夜一緒に寝てやろうか~? おっぱい吸わせてやろうか~?」
『かつてないレベルのウザさッスね』
耳まで赤くして黙り込んで顔を逸らす祝に更なる攻撃を加えようと動いたとき、瑟の肩を掴んで止める手があった。プリマベラである。
「ちょっと、瑟さん」
「なんじゃ。今から素直になれない可愛い息子をいじり倒すのだから邪魔をするでないわ」
「それは後でやってください。そんなことよりいい加減ポルタを返してくださいよ。ちゃんと神社も直したんですから」
結局、本殿は魔法を使ってすぐに直された。
「なにを言う。神社を直すのは壊したお前の責任で、もうこれは儂のじゃ」
プリマベラの方に向き直ってポルタを掴んで懐に引き込もうとする瑟に対抗してプリマベラもポルタに掴みかかる。
『んぎゅっ』
「いいえ。元々は私のです。返してください」
「嫌じゃ」
「返してください!」
「いーやーじゃ」
『ちょ、ちょっと、あんまり引っ張らないで欲しいッス。あ、痛い! 痛いッス!』
互いに両手でしっかりとポルタを掴み合って一歩も譲らない。昔に、二人の母親が子供の腕を引っ張り合ってどちらが本当の母親かを決める裁判があったそうだが、まさにそのような状況である。しかし、痛がる子の手を離そうとはどちらも考えていないようだ。
『ああ! もう怒ったッス! どこでもいいから吹っ飛ばしてやるッス!』
ポルタの叫びとともにポルタの周りに黒色の魔法陣が展開される。そして、ポルタから鎖の様に光の筋が伸び、瑟とプリマベラの腕に巻き付く。
「ぬおっ! おい、これはまさか……」
「そのまさかですよ。このままじゃ私たちどこか分からない場所に飛ばされちゃいますよ!」
「どこかってどこじゃ!?」
「わかりませんが絶対にヤバいところですよ! ポルタが怒ってますもん!」
「な、なんとかせい牛乳女!」
「牛乳女とはなんですか! それならあなたは狐乳女ですね、ぺったんこなあなたにはぴったりですね!」
「なんじゃと!」
「そもそもあなたがこの子の主人なんでしょう! 主人ならなんとかしてくださいよ!」
「と、とりあえずこいつから離れるぞ」
掴んでいるポルタを外へ放り捨てようとするが、いくら手を振ってもポルタが離れる気配はない。反対側のプリマベラがポルタを支点に揺さぶられているだけだ。離れないというより、手にくっついている感じである。それも、結界には耐性のある瑟でも容易には引き剥がせないレベルの強さだ。
「くそっ。月光、来い!」
瑟が呼ぶと、何故か障子を突き破って外から漆黒の刀が飛んでくるが、両手がふさがったままではキャッチすることができず、そのまま壁に突き刺さる。
『ちゃんと受け取って……』
壁に刺さったまんまの月光から静かに怒る声がする。
「緊急事態なのじゃ、月光。この光の玉を切断してくれんか!」
『……ヤダ』
「いかん。へそを曲げた」
「ちょっと! じゃあ扇の方でも良いです! あっちも人型になれるのでしょう?」
「桜花は田んぼの様子を見てくると言ってさっき散歩に行った。あやつも桜だからな、稲の実りが気になるのだろう」
「使えない!」
そうして漫才をしている間にも、足下の魔法陣と腕に巻き付く黒い光は濃くなっていく。時間がない。焦る瑟に、斎は山盛りのご飯茶碗を瑟の座っていた場所に何事もないように置く。
「今朝炊いた分はこれで終わりですよ」
「いやいやいや、今は飯どころではないわ! お前様! 助けてくりゃれ!」
「僕ではどうすることもできませんね」
「嘘を申せ! お前様の力ならこんな拘束なぞ造作もなかろう!」
「夕飯には帰ってきてくださいね。今日は瑟さんの好物のお稲荷さんですよ」
「お前様! 今それをここで言うか! この、鬼畜眼鏡! いつ帰れるか分からん時に儂の好物を用意するでないわ!」
「旅先で良い油揚げが手に入ったんですよ」
「人の話を聞け!」
「うるせえ! 静かにしろババア!」
「ご飯おいしい~」
「祝、俤……そうじゃ!」
口悪く怒る祝と騒動を全く気にしない俤に瑟は目を付け、ポルタとくっついたまま器用に両足をのばして祝と俤の襟首を褐色の足の指で掴んで引き寄せた。
「やめろ、離せ! 俺たちを巻き込むな!」
「うわぁ~。お味噌汁がこぼれちゃう~」
「カカカ、どうじゃお前様。この子らを連れて行かれたくなければ儂を助けろ! さもなくば、子供たちはこのままどこかの地へ放り出されてしまうぞ!」
「自分の子供を人質に取るなんて、卑怯とかそういう問題じゃないですね……」
しかし斎は優しく微笑んだまま動じない。
「ちょっとした海外旅行みたいなもので子供たちにも良い経験となるでしょう。それに、僕は瑟さんを信じていますから、皆の無事の帰りを待っていますよ」
優しく微笑む斎の言葉に、瑟は赤面して俯いて先の白い黒尾で悩ましげに畳を叩く。
「な、なんじゃお前様……。そんなにも儂の事を……」
「惚気ている場合かよババア!」
「そうですよ!」
『飛ぶッス!』
黒色の魔法陣が一層強い光を放つとじゃれ合っていた瑟たちは光に包まれて消えてしまった。
16/01/25 文章微修正
17/04/02 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 長かったので後半部分を分割。
17/04/06 文章微修正(大筋に変更なし)