第拾参話「ロリババア、リハビリす。」
「……カカカ」
あの笑い声が聞こえる。信じられない。あれだけの攻撃を受けても何ともないというのか。
根っこから吹き飛んで倒れた桜の木が花びらとなって散り、また新たな桜の木が生えてくる。
「土を舐めさせられたのは何百年ぶりかの。いや、今は石畳か」
石畳にめり込んでいた瑟がボコッという音と共に起き上がる。埃まみれの彼女は先程までと変わらぬ笑顔で棗に笑いかける。
「じゃがまだ経験が浅い。ただ強大な力を振り回しているだけに過ぎんな。それではこの先やっていけんぞ」
平然と立っている。邪竜に食われ、高高度から石畳に叩きつけられたというのに、転んだ程度のダメージしか受けていないのか。
瑟は黒尾を優美に動かし、桜花で自分を扇いで顔や巫女装束に付いた埃を桜吹雪で吹き飛ばす。
「まあ、儂にダメージを与えたことには褒美をやらんといかんな。良い物を見せてやろう」
黒髪を掻き上げながら嬉しそうに瑟が言うと、持っている桜花を無造作に放る。すると、鉄扇は空中に浮いて静止した。
「桜花は少し待っておれ」
『ちぇ』
桜花はお預けを食らって残念そうにため息を付く。
瑟は月光を鞘に収め、体を捻って腰を落とす。何か仕掛けてくる。抜刀術か? 棗は、瑟のどんな動きも見逃すまいと注意深く観察する。
「月技『……繊月』」
技名をつぶやくと地面に積もった桜吹雪がパッと舞い上がって瑟の姿が消え、一瞬だけ極細の銀色の軌跡が見えた。どこに行ったと棗が探すと、背後から下駄で石畳を踏む音が聞こえる。
「今、お前は何をされたか見えんかったじゃろ。制服のボタンを見てみい」
嗤う瑟の方へ向き直って制服のボタンを確認すると、丸いボタンが一つだけ四角く切られている事に気付く。今の一瞬で斬ったと言うのか。あのとても細い軌跡は月光の剣閃だったのか。……全く反応できなかった。もしも、これがボタンでなく自分の首だったらと思うとぞっとする。
「月光を抜くのは久方ぶりなのでな、少々リハビリをさせて貰うぞ。月技『……三日月』」
別の技名だ。今度は姿が見える。見えるが、彼は目の前の現実を容易に受け入れられない。なんと、瑟は二人になって棗の左右に回り込み、月光を抜いて斬りかかってこようとしているのだ。そして、二人とも輪郭が若干ブレている。
どっちかは偽物か? どっちだ。どっちが本物だ。
「「さあ、行くぞ」」
ステレオで耳に言葉が届くと、二人の瑟が同時に踏み込んでくる。動きは全く同じ。いや、構えが違う。上段と下段、二つの構えだ。どっちが本物なんだ。
それとも、まさか……。
「「どちらも本物じゃ」」
トリックを考える前に上段からも下段からも三日月の弧を描くように斬りかかられるが、とっさに両方とも実体だと判断した棗はすんでのところで防ぐことが出来た。
一人に戻った瑟が感心したように笑う。
「ほう、やるな」
「お前の最大の武器はそのスピードか。残像を使って二人いるように見せたんだな」
「正解じゃ。しかしな、確かに今の繊月と三日月は速さ重視の技じゃが、月の満ち欠けと成熟を模した月技には実に多彩な技がある。ちゃんと力技もあるぞ。見せてやろうではないか」
瑟の悪い癖が出てきた。力比べが好きな彼女はこのように遊ぶことが多い。もっとも、遊んで戦って負けたこともないのだが。
「月技『……半月』」
今度は刀を抜いたまま両手でしっかりと握りって上段に振り上げる。あの状態からは上から下に振り下ろすことしかできない。見え見えの攻撃なら防ぐのは訳ない。
棗が大剣を構えて防御の姿勢を取る。それを見て瑟が妖しく嗤うと、棗に向かって突っ込んでいく。
速いが、先の攻撃よりは遅い。そして攻撃もただ打ち下ろしてくるだけという単純なものだ。これなら剣で防いだところにもう一度邪竜の攻撃を喰らわせればいい。
そう考えていた。しかし、引っかかるものがある。半月、力技、単純故の強さ……。
これは、防げない!
咄嗟に防御から回避に切り替えて瑟の攻撃を避け、空を切った月光が地面に触れると、轟音と共に地面が激しく揺れ、大きな地割れが闘技場の地面に現れる。アナスタシアが地割れに落ちそうになるが、水をロープ代わりにして這い上がってきた。地割れは向こうの壁まで続き、観客たちが慌てて避難している。
できた地割れの大きさを見て棗はぞっとする。
あの化け物が力技と言うのだ。あの半月とやらで真っ二つにならなかった奴はいないのだろう。邪竜の全力を出していたら防げていたかもしれないが、反撃が出来なくなってしまうし、そんな分の悪い賭はしたくない。
それにしても、なんて馬鹿みたいな強さだ。途方もない。しかも、小細工や妙な能力を使って強いのではない。
純粋に、こいつは、強いのだ。
負けて、たまるか!
「貫く!」
棗が大剣を突くように振り上げ、一直線に瑟を刺し貫く。避けるかと思ったが、瑟は笑ったままその褐色の体に剣が突き刺さるのを見ている。手応えから棗は確信する。
偽物だ。
直後、瑟の体は桜の花びらとなって崩れ落ち、背後から攻撃してくる瑟に棗は反応する。上段。大剣で受けるのではない、弾き返し、そのまま空いた顎に蹴りを当てる。今度は本物だ。足を返して細い邪竜を撃ち出し、のけ反っている瑟を掴み、近くの壁に放り投げる。高速でぶつかった壁は崩れ、また砂埃が舞う。
頭上の半月が煌めく。
直感。
「月技『……上弦』」
上空から月の光が矢となって撃ち込まれる。その光を見る前に棗は邪竜の咆哮で光の矢を全て打ち消し、周りの灯籠や石畳も吹き飛ばしてしまう。
「その刀は弓にもなるのか」
着地した瑟が持つ月光の背の部分に光の弦が張られている。どう見ても撃ちにくそうだが、そんなことは関係ないらしい。
「月は毎日形を変え、またその模様も見る者によって変わる。だが、空に浮かぶ月の本質は一つしかない。実に風流で実に幻想的で実に趣のある変幻自在の友じゃ。なあ、月光よ」
『うん』
宵闇の中では、月の光が一番大きな光源となっている。半分とはいえ、もしもあの月が無ければ互いの姿すら見えないだろう。そして、暗い半分にも月は存在しており、ただ見えないだけなのだ。
月明かりに光る桜吹雪の中、棗は笑ったように息をもらす。
「そうかよ。俺の大剣はがさつで暴力的で何考えてるかわかんねえ奴だぜ」
『はぁ!?』
大剣から抗議の声が挙がるが、棗は「でも」と言葉を続ける。
「それでも、俺にとっては大切な仲間なんだ。千年生きたとか前に言ってたな。それがどうした。たった千年か。俺たちの絆は一万年にも匹敵するほど強いんだ!」
『な、なに真面目な顔で恥ずかしい事言ってるのよ! 馬鹿! 今は戦闘に集中しなさい!』
まんざらでもない声で棗を叱責すると、カリンは自身の強度をさらに増す。
『ほら、行くわよ馬鹿棗!』
「任せろ、カリン」
黒い大剣を構え直し、張っていた肩の力が先ほどよりも抜けている。二人の心が通じ合ったことにより、邪竜の精神汚染が和らいだのだ。
「一万年とは言うではないか。仲良きことは美しきかな。青春じゃのう」
『……たった、千年?』
軽く受け流す瑟と違って、月光には聞き捨てならぬ言葉であった。
『……人間の癖に、生意気』
17/04/02 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 文章微修正(大筋に変更なし)




