第十五話 魔法使いの研究資材
深夜、王太子は父である国王に呼び出され、眠気を振り払いながら服を着替えた。
「父上にソラ卿からの返信があったのかな」
王太子は深夜の呼び出し理由を想像して、ひとり呟く。
獣人との結婚を認めないが、別の条件で和解がしたいと書いたソラ宛の手紙に、返事はない。
返信を出して二か月が経っており、夏も終わりが近づき、風には秋の気配が感じ取れる。
手紙が届いていないのではないかと、二度新しく用意した返信を送ってもなしのつぶてだ。
国王宛に返信が届いたのではないかと期待するのも仕方がなかった。
なにより、ソラが何をしてくるのか分からないのが何とも不安だった。
返信を待つ間にも、ソラは何らかの策を施しているのではないか。
そして、ソラの策を知らされた時には、自分にとれる選択肢は一つもないのではないか。
自分の与り知らぬところで事態が手に負えないほど大きくなっていく恐怖は王太子の睡眠時間と精神力を削っていた。
王太子が着替えを終えて父である国王が待つ部屋を訊ねると、そこには国王の他に近衛隊と双璧を成す組織である魔法解析部の筆頭魔法使いがいた。
魔法解析部は、攻城戦等で相手方が城の防衛に設置している魔法陣を見極め、少ない情報から魔法陣の設置個所や数、冷却に掛かる期間などを解析する専門職だ。最先端の魔法知識を持つ魔法使いで構成される、天才かつ変人奇人が集まる部署である。
良くも悪くも頭のおかしな魔法使いたちで構成される魔法解析部を束ねる筆頭魔法使いは、輪を掛けて扱いにくい男だ。
王太子はこの筆頭魔法使いと数度顔を合わせただけの間柄だが、戦争でもない限り専用の部屋に引き籠って研究に明け暮れている偏屈者であることは知っている。
深夜、用もないのに部屋を出てくるような人物ではない。
「……来たか」
厳めしい顔で国王が呟く。
国王の横に控えていた筆頭魔法使いが、王太子を見るなり瞳をぎらつかせて身を乗り出した。
「――殿下、今すぐソラ伯爵との和解をお願いいたします!」
「父上、先に事情を窺ってもよろしいでしょうか?」
王太子は筆頭魔法使いの発言を無視して呼び出しの理由を国王に訊ねる。
魔法解析部の人間と直接会話をするのは難しい。思考回路が全く違うのだ。彼らは国から支給される研究費が目当てで魔法解析部に所属していると公言してはばからない者達であり、頭の中は魔法の研究でいっぱいである。
ただ、筆頭魔法使いの言葉から、ソラ関連の話で呼び出された事と和解が成立しなければ魔法の研究に何らかの影響がある事はわかった。
国王が睨みつけると、近衛隊長が筆頭魔法使いの肩を押さえて椅子に無理やり座らせた。
ため息を吐いた国王が机の上に紙束を置いた。
「この紙を知っているか?」
王太子は国王が置いた紙を手に取り、よく観察する。
滑らかな手触りをした半透明の紙だ。独特の光沢がある。
「いえ、見たことがないですね。高級な紙のようですが」
王太子が紙束を机の上に戻すと、バッと音がするほど素早く筆頭魔法使いが紙束を回収した。
呆気にとられる王太子をよそに、筆頭魔法使いはぎらついた目で紙束をカバンの中へ丁寧に収めていく。
頭痛をこらえるようにこめかみを押さえながら、国王はため息を吐いた。
「トレーシングペーパーというそうだ。魔窟を起点に各地の魔法使いに広まっている」
話が見えず、王太子は筆頭魔法使いのカバンを見る。王太子の視線を遮るように、筆頭魔法使いが両手で鞄を抱えた。
「渡しません。殿下と言えど、この紙は絶対に渡しません」
「落ち着け」
近衛隊長が筆頭魔法使いの頭に軽く手刀を入れる。同僚という事もあって気安い仲なのだろう。
筆頭魔法使いは頭を押さえながら「これだから肉体労働系の輩は野蛮な」と呟いているが、偏見もいい所である。
筆頭魔法使いに説明させても埒が明かない事を知っている国王が自ら説明に入る。
「トレーシングペーパーは紙に重ねて下の図を透かし見ながら書き写すことができる紙だ。この紙があるのとないのでは研究効率がまるで違うらし――」
「その通り! この紙は画期的なんですよ!」
筆頭魔法使いが口を挟む。
「例えば、魔法陣を失敗した時、一から作図し直すのがいかに大変か分かりますか? 最先端の複雑化した魔法陣ならばなおさらです」
筆頭魔法使いがカバンの中から魔法陣が書かれた紙を取り出す。折りたたまれて使用できなくなっているその魔法陣はいくつもの線が引かれている。目がチカチカしてくるほど細かい図形が折り重なっていた。
「この魔法陣を九割がた書き上げた後で失敗した時など発狂しそうになるのです。これをまた一から、作図し直すんですよ。コンパスを数百回使用し、定規を何百回と当て、線がずれないように何度も何度も確認しながら描くこの魔法陣を、もう一度!」
興奮していく筆頭魔法使いの頭に再度近衛隊長の手刀が落ちる。
頭を押さえた筆頭魔法使いは涙目になりながらも大事そうにカバンからトレーシングペーパーを取り出した。
「この紙さえあれば、失敗した箇所以外を寸分たがわず書き写すことができるのです。この紙さえあればね。それだけではない。この紙さえあれば、そう、この紙さえあれば、新型魔法陣の開発での対照実験がとてもはかどるのです。少しずつ内部の図形を変えた魔法陣を用意するのがとても楽になる。この紙さえあれば、この紙さえ……」
震える手でトレーシングペーパーを持つ筆頭魔法使いの目は据わっていた。
「この紙さえあればよかったのに……」
そう呟くなりボロボロと泣き始めた筆頭魔法使いに王太子はわずかに後ずさる。
コホン、とわざとらしく咳払いした国王が説明を引き継いだ。
「トレーシングペーパーは獣人が売っていた。製造場所や製造工程は完全黙秘、売人の後をつけても獣人は五感に優れ身体能力も高い。尾行はことごとく失敗し、生産者は結局見つからなかった」
国王の言葉に、近衛隊長が力なく首を振る。
「獣人があれほど厄介とは思いませんでした。今の情勢では捕らえて無理やり聞き出すこともできない」
王家が獣人から不信感をもたれている今、珍しい品物を売っているからと獣人を捕えたなら、獣人の流出が加速する。それどころか、トレーシングペーパーの売人も王領に近付かなくなるだろう。
王太子は納得しつつ、筆頭魔法使いを見る。未だに泣いている彼だが、何を嘆いているのか分からなかったのだ。
視線に気付いた筆頭魔法使いが涙の浮かんだ瞳で王太子を見る。
「輸出禁止処置を取られたのです……」
先ほどまでの勢いはどこへやら、魔法使いの暗く沈んだ声には覇気がなかった。
「輸出禁止? トレーシングペーパーは輸入品だったのですか?」
王領内の獣人が開発したものではなく、どこかからの輸入品であり、輸入先の領地が輸出を禁止した。
王太子は頭の中で情報をまとめ、答えに至った。
「ソラ伯爵領の製品ですか?」
王太子の答えに国王は頷いて肯定を示した。
「ソラ伯爵領の製品というだけならまだ良かったのだが、よりにもよってソラ伯爵家の専売品だ。製造さえソラ伯爵家が一手に担っているらしい」
国王が机の上に一枚の書状を置く。
書状にソラ伯爵家の紋章が漉き込まれているのを見て、王太子はすぐに目を通した。
トレーシングペーパーの全面輸出禁止措置の他、ソラ伯爵領外への持ち出しにも規制を掛ける旨が記されている。
領地の運営は領主の采配に一任されているため、王家から文句を言う事は出来ない。
生産方法までソラ伯爵家が握っている以上、トレーシングペーパーを市場で売っているだけの獣人達は製法を知らないだろう。
「あの小狸、獣人の次は王国中から魔法使いを引き抜くつもりだ」
「魔法使いが住んでいた家を捨ててソラ伯爵領へ向かうというのですか? こんな紙程度で――」
「こんな紙とはなんですか、王太子! これが我々魔法使いにとってどれほど重要で貴重な研究資材か分かっておられるのですかッ?」
机を叩いて立ち上がりかけた筆頭魔法使いの頭に近衛隊長の手刀が落ちる。
だが、筆頭魔法使いの反応は大袈裟な物ではなかったらしく、国王も深刻な顔をしていた。
「魔法使いという人種は、研究のためなら密入国する事さえ厭わん。国を一つ敵に回しても魔法研究を優先する。その気概がなければ、教会に迫害される事を承知の上で魔法使いになどなりはしない」
「……私も今すぐソラ伯爵領に向かいたい。なんでこんな時に限って監視などつけられているのか」
筆頭魔法使いが不穏な発言をしているが、国王は無視していた。
抜け出す可能性もあるからこそ、監視が付けられているのだろう、という言葉を王太子は飲み込む。
国王が腕を組み、ため息を吐く。
「そもそも、トレーシングペーパーを欲しがるのは失敗する可能性が高い最先端の魔法陣を研究する者達だ。実力のある魔法使いが抜けた領地は戦力が極端に低下する」
近衛隊の報告によれば、すでに魔窟の住人が相次いで引っ越しの準備を始めているという。
火付けの容疑者として、魔窟で可愛がられていた獣人のサニアが危うく拘束されそうになったこともあり、魔窟の魔法使いは王家に不信感を抱いていたらしい。留守の師匠の家を掃除していく出来た弟子だと評判だっただけに、冤罪の可能性を強く信じていた事も影響しているだろう。
もともと、教主レウルが居を構えていた大教会がある王都で暮らしていた反骨心のある魔法使いたちだけあって、動きが早い。
「あの小狸を放し飼いにしておくのは得策ではない。魔窟の魔法使いから向けられた疑惑の目を晴らすためにも、獣人との婚姻に許可を出す。子に継承権を認めなければ、貴族からの反発も最小限に抑えられるだろう」
お前からも正式な書状を送れ、と国王が王太子に命じる。
筆頭魔法使いが途端に明るい顔になった。
「では、ソラ伯爵との関係が改善されるのですね? そうなれば、トレーシングペーパーの輸出禁止処置を緩和してくれるんですよねッ?」
やっほい、と筆頭魔法使いが万歳して立ち上がり、近衛隊長の手刀が振り下ろされる。
こんなに愉快な男だったのか、と王太子は筆頭魔法使いを横目に見つつ、考える。
トレーシングペーパーを売り出して広めたうえで供給を断ち切る今回のソラの動きは、果たして獣人との結婚を認めさせるためだけに行われたのだろうか、と。




