第十三話 和解に応じる条件
ソラが王都を出立して一カ月が経つ。
王太子は自室で頭を抱えていた。
ここまでの事態に発展するとは思っていなかったのだ。
パーティー会場でソラの配下であり火付けの容疑者、サニアの身柄を引き渡してもらえたなら、王太子が直々に事情聴取をして容疑が完全に晴れた、と宣言できた。
捜査は慎重かつ公平に行わなければならない以上、王太子にとっては最善の手だと考えていた。
あの場では煮え湯を飲むとしても、二日もあれば攻勢に転じる事が出来たのだ。
しかし、ソラはサニアの身柄引き渡しを良しとせず、並み居る貴族の目の前で王太子に反発して見せた。
ソラが王都を出立してから、ほどなくしてジーストラ侯爵がメーティエを置いて自領へ取って返した。
次いで動いたのはベルツェ侯爵だった。
「ソラ殿と領地が隣接している以上、現場で資料をまとめなければなりません」
そう国王に断りを入れて、ベルツェ侯爵は颯爽と王都を去り、今はソラ伯爵領にほど近い林業都市に居を置いているという。
実務能力の高い有力貴族が王都を出た事で、王太子は派閥をまとめるのに躍起になっていた。そんな王太子の下にブライアン男爵から知らせが来たのは、ソラが王都を出て十日が経った頃だ。
獣人の様子がおかしい。
端的だが要領を得ない報告と共に差し出されたのはブライアン男爵領とソラ伯爵領の間の関を通った獣人に関する報告書だった。
報告書からはブライアン男爵領から獣人が逃げ出しているのが読み取れた。
「我がブライアン男爵領は労働力として獣人を他領より優遇しています。それでも緩やかに獣人達はソラ伯爵領へ移り始めています」
ブライアン男爵領に住む獣人は養蜂業などに従事しており、土地も職も持っている者が大半だ。
しかし、王領は各地から獣人を差別する貴族が集い、貴族を相手に商売する富豪たちもまた獣人を差別する。そのため、王領における獣人は資産を持たず、日雇い仕事をする者が多い。
王太子はあわてて王領の南にある関を通過した獣人の人数推移を資料にして提出させた。
後日届いた資料を見て事の重大さを理解した王太子はすぐに市井の噂を調べさせる。
そうして届いた各地の噂話をまとめた報告書を前に、王太子は頭を抱えている。
「なんでこうなった……」
いや、原因は理解していた。
他ならぬ自分のせいだと。
集められた噂話を総合すると、冤罪の可能性が高い獣人のサニアの身柄を要求した王家に対する不信感が獣人の間で広がり、逆に要求を突っぱねて速やかに自身の領地へ帰ってしまったソラの信用が急速に増したらしい。
その日暮らしをしていた獣人を中心にソラ伯爵領への移動が始まったのだ。
ソラ伯爵領は旧クラインセルト伯爵領側の復興事業が好調となり、労働力を欲している。
そして、獣人好きと噂のソラの影響と、一丸となって復興と発展を行ってきた経験から領民は富裕層に至るまで獣人に対する差別意識が極めて薄い。
さらに、火付けの容疑者とされた獣人のサニアが相変わらず領主の側近としておさまっている。
噂を確かめたその日暮らしの獣人が故郷である王都の家族や親せきを呼び寄せ始めている事が、王太子の手元にある最新の関通過人数からも読み取れる。
頭を抱えていると、扉がノックされた。
王太子が目くばせすると、近衛隊副長が扉を開けた。
「ブライアン男爵からお手紙が届いております」
「ブライアン卿から?」
また頭の痛くなる知らせかと警戒しつつ、王太子はブライアン男爵からの手紙に目を通す。
「帰郷願い……」
王領よりも影響が少ないとはいえ、ブライアン男爵領からも獣人が流出し始めている。
ブライアン男爵領では獣人の労働力が重宝されているため、流出は産業基盤に亀裂が入りかねない事態だ。むしろ一カ月もの間、王都で王太子と共に派閥作りの指揮を執ってくれていた事に感謝するべきだろう。
「でも、ブライアン卿に抜けられると痛い」
ブライアン男爵の帰郷を許可する手紙を用意しつつ、王太子は呟く。
ソラが王都から姿を消した時点で、ソラ伯爵領の塩をあてにしていた教会派貴族が一斉に消極的になり始めた。
ジーストラ侯爵が早々に自領へ取って返したことも大きい。ジーストラ侯爵の不在により、王都での教会派貴族は自己判断で動き出すことを余儀なくされていた。
王太子の画策する南部西部派閥への参加だけを表明して帰ってしまった教会派貴族も多い。そういった者はほとんどが安定して領地を運営している貴族だった。
最初は帰っていく貴族たちに裏切られたとさえ考えてしまった王太子だが、今は違う。
彼らは獣人が領地から抜け出してしまうことを恐れ、現場指揮を執りに戻らざるを得なかったのだ。
反対に、今なお王都に残っている貴族は領地の状況を無視して宮廷政治に明け暮れる者達という事になる。
「――殿下、殿下!」
近衛隊副長の呼びかけに気付いて、王太子は顔を上げる。考えに没頭するあまり、声が聞こえていなかったのだ。
顔を上げた王太子はいつの間にか部屋の入り口に立っていた父の姿を見つけ、慌てて立ち上がる。
「陛下、いかがされましたか?」
公務中であることを考えて、王太子は言葉を選んだが、国王は笑みを浮かべて首を振った。
「昼を一緒に食べようと思ってな。そろそろあの小狸の教育の成果も現れた頃だろう?」
「……はい」
ソラの影響で南部西部貴族派閥の貴族は二種類に分けることができた。
領地経営を放置してでも宮廷政治を優先する者と、宮廷政治より領地経営を重視する者だ。
そして王太子はソラが怒りをあらわにするまで、間違いなく前者だった。そして、ソラは圧倒的に後者だ。自身の領地を立て直すために教会派を崩し、更には家名までもあっさりと捨てて見せたのだから。
獣人に関することなど考えもせず、派閥の維持だけを見て判断を下した王太子にソラが激怒するのも当然だった。
王太子が後悔しつつ答えると、国王は顎を撫でて頷いた。
「ふむ、理解したようだな。宮廷政治にうつつを抜かしていると国民の間で何が起こっているか分からん。よい教訓になっただろう?」
王太子が頷くと、国王は目を細めた。
「ソラ卿を呼び戻せ。関係改善を喧伝し、王家や貴族に寄せる獣人達の不信感を払拭する手を答えさせるのだ」
お前の好物を用意させて待っている、と国王は子の成長を見守る父の顔で告げ、食堂へ去っていった。
王太子はため息を吐き出し、新しい紙を用意する。
内容はもちろん、ソラへの謝罪と王都への招待状だ。
ひとまずこれで問題は片付く、と王太子は安堵しながら手紙を書き切り、封筒を取り出す。
その時、またもや扉がノックされた。
王太子は近衛隊副長と顔を見合わせる。
「通してくれ」
「了解です」
近衛隊副長が扉を開ける。扉の先にいたのは青い顔をした城の文官だった。
ただ事ではない様子の文官を見て、王太子は眉を寄せる。
「そ、ソラ・クライン伯爵より、手紙が届きました」
震える声で文官は報告する。
近衛隊副長が警戒するように文官をねめつけ、剣の柄に手を掛けた。
「手紙を届けるのはお前の仕事ではないはずだが?」
暗殺の可能性を考慮しての近衛隊副長の対応だったが、暗殺にしては文官の様子があまりにもおかしい。
王太子は文官の顔を見つめて、首をかしげる。
「何か事情があるんだろう?」
王太子の問いかけに、文官は廊下の左右を見回して人の気配がないのを確認し、その場で跪くと手紙を差し出した。
「申し訳ございません。封に入っていなかった物で内容が目に入ってしまい、事の重大さから可能な限り人の目に触れないようにと私が直接持ってまいりました」
王太子はすぐに近衛隊副長に目配せして手紙を受け取らせる。
近衛隊副長は手紙に仕掛けがないかを丹念に観察していたが、内容が目に入ってしまったのだろう、ごくりと喉を鳴らす。
「……殿下、どうぞ」
文官や近衛隊副長の様子からいったい何が書かれているのだろうかと王太子は内心おびえながら手紙に目を通す。
「……父上は食堂にいるはずだな?」
「殿下をお待ちいただいているかと思います」
王太子はすぐに手紙を片手に部屋を出ると、食堂へと向かう。
ソラからの手紙には今の王都の状況や王太子の心情を見透かしたようにこう書いてあった。
――私、ソラ・クラインと獣人との結婚を公式に認めてくださるのならば、和解に応じる用意があります。
まさかこの状況で切り出してくるとは思わなかった、というのが王太子の率直な感想だった。
「完全に足元を見られていますね」
近衛隊副長が頭痛をこらえるような顔をして呟く。
王太子は同意して、食堂の扉を自ら開けた。わずかな時間も惜しい。
席に着いて近衛隊長と談笑していた国王が王太子の無作法に顔を顰める。
委細を気にせず、王太子は手紙を国王に手渡した。
「ソラ卿からの手紙です」
「小狸から?」
苦虫をかみつぶしたような顔をしている王太子を怪訝そうに見上げて、国王が手紙に視線を移す。
すぐに読み終えて、国王が盛大なため息を吐いた。
「お前はどうするべきだと思う?」
国王が王太子に問う。
王太子は首を横に振った。
「認める事は出来ません」
確かに、ソラと獣人の結婚を認め、ソラと王家が和解すれば獣人が抱えている不信感をぬぐうことができるだろう。
だが、東部貴族の反発は必至だ。今王都に残っている自身の領地を鑑みない貴族達もすべて敵に回ると予想できる。
宮廷政治にうつつを抜かして国民に目を向けないのは論外だが、宮廷政治をおろそかにすることができないのもまた事実。要は釣り合いなのだ。
ソラの要求は明らかに比重が国民側に偏っている。
「小狸の奴、お前を試しておるんだろう」
「確かに、その一面はあると思います。しかし、獣人との結婚を望んでいるのもまた事実です」
王太子はソラ伯爵領へ視察に出向いた時のやり取りを思い出して国王に伝える。
なんだと、と国王の片眉が跳ねた。
国王は手紙に再び視線を落とす。
「すると、小狸は現時点で要求が通らない事を前提にしてこの手紙を書いたというのか。では、最初からまだ和解するつもりがないという事になるが……」
国王が皺の寄った眉間を人差し指で押さえる。
王太子はすでにソラがこの手紙を封に入れる事すらせずに送ってきた意図を理解していた。
「ソラ卿は獣人との結婚が認められない限り際限なく手を打っていくのだと思います。これはいわば脅しでしょう。その証拠が、手紙の末尾です」
王太子が指摘したソラの手紙の末尾。
それは所々に怒りが滲んでいる筆運びでこう締められていた。
――認めてくださらないのであれば、まずは東部貴族を黙らせます。
獣人の流出に悩むどころかいなくなって清々するとさえ言ってのけるだろう東部貴族が、今の流れで口を閉ざすはずはない。
ソラの手紙の末尾が意味するところ、それは東部貴族が黙り込まらざるを得ない何かをするということ。
「小狸め、まさか演技ではなく激怒しているのではないだろうな……」
国王のつぶやきに答える声はない。
誰もが嫌な予感を口に出すことをためらい、食堂は沈黙に包まれるのだった。




