第23話 クロハの兄貴分が残した印は、思ったより最近のものだった
地図庫から持ち出せた情報は多くなかった。
さすがに古紙や石板を丸ごと抱えて出るわけにもいかないから、要点だけ書き写して、あとは頭に叩き込むしかない。
その夜、俺たちはクロハの仮拠点のひとつに集まった。
「で、兄貴分ってどういう人なんだ」
俺が聞くと、クロハは少しだけ天井を見た。
「二十九か三十くらいの、やたら器用で、やたらしぶとくて、やたら面倒見のいい人」
「最後だけ急に重いな」
「重かったんだよ、実際」
彼女は机に肘をついて続ける。
「名前はハザマ。裏路潜りも罠外しも、私が覚えたものの大半はあの人から」
クロハが誰かを素直に語るのは珍しい。
しかも、その口調には軽さより先に信頼がある。
「門とか帰路とかを追ってたのも、その人?」
「うん。最初は“戻る道”を探してる人間を何人か見たらしくてさ。そこから、自分でも調べ始めた」
つまりハザマは、俺より前に同じ線を辿った先達みたいなものだ。
セラがそっと印を写した紙を見つめる。
「でも、これ新しすぎませんか」
「俺もそう思った」
刻み傷は古い棚に対して妙に浅い。
少なくとも何十年も前のものじゃない。数年、下手したら数か月でもおかしくない。
クロハが黙る。
その沈黙だけで、俺たちは同じ結論に辿り着いていた。
「……生きてる可能性がある」
俺が言うと、クロハはゆっくりうなずいた。
「だから困ってる」
「困るのか?」
「期待すると、外れた時に痛いから」
それは妙に分かった。
俺だって、帰る方法があると確信するたび怖くなる。なかった時の落差を想像してしまうからだ。
エルフィーが静かに口を開く。
「でも、期待しないまま進んでも判断は鈍るわ」
「そうですね」
セラも頷く。
「期待はしていいと思います。その代わり、無茶はしないって決めれば」
クロハは少しだけ笑った。
「聖女見習いのくせに、わりと現実的なこと言うね」
「成人してからは、綺麗事だけでは済まないと分かりましたので」
セラのその返しに、場の空気が少し柔らかくなる。
俺は地図の写しを机へ広げた。
「じゃあ、次は四層だな」
「正式許可が要るわよ」
エルフィーが即座に返す。
「分かってる。だからまずは正規ルートで実績を積む」
クロハの兄貴分が残した印は、ただの感傷じゃない。
思ったよりずっと最近の、人の手の温度が残った痕跡だった。
なら、追う価値はある。
俺の帰り道のためにも。
クロハが期待を外したままにしないためにも。




