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第5話「後遺症抑制の依頼」


「新型コロナの後遺症を抑えて欲しいんです。ほんの二週間でいい。できますか」

 老いたクラシックの指揮者、菅田大介はそう言った。

 ここは、菅田大介の自宅だ。質素だが、楽器や楽譜などが整理されて置いてある。

「たぶんできますが、もう少し、詳しく事情を説明してもらえますか?」

 仕事をしない魔女である、私、茜一華はそう訪ねた。

「私は今、新東京都交響楽団と、ベートーヴェンの交響曲全集を録音中なんです。指揮者にとって、ベートーヴェンの交響曲全集の録音は悲願なんです。わかりますか。ほとんどの指揮者が、ベートーヴェンの交響曲全集を録音できずにこの世を去る中、運がいいことに、私はようやく録音の機会が回ってきたんですよ。八番までの録音が終わって、さあ後は第九だけだ、と思ったところで新型コロナにかかってしまったんです。それはまだいい。問題は新型コロナの後遺症がなかなか消えてくれないことです。これでは、満足な演奏はできないでしょう。いままで発売した三つのCDは、せっかく評判が良いのに、これでは画竜点睛を欠くことになってしまう」

 ここまで言って、菅田大介は咳き込んだ。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、いつものことです」

 菅田大介は咳止め薬を飲んだ。落ち着いたようだ。

「つまり、ベートーヴェンの第九を録音する間、新型コロナの後遺症を抑えて欲しいと」

「そうです、そうです。できますよね」

 菅田大介は目を輝かせた。

 これは、困るなぁ。「新型コロナの後遺症を治して欲しい」と頼まれたら、それはさすがに魔法でも無理な相談だが、「新型コロナの後遺症をしばらく抑えて欲しい」なら楽勝だ。正直、この依頼は受けたいところだ。

 私はポーチから水晶を取り出した。

「水晶で占ってみます」

 菅田はうなずいた。

 占いが終わった。

「この依頼、受けましょう。二千万円で」

 それを聞いた菅田は、酷く落ち込んだようだ。

「……払えない金額ではない。だが、いざという時の蓄えが底をついてしまう」

 菅田はよろよろと立ち上がると、アルマルの状態で壁に立てかけてあった箒を取り、私に返してきた。アルマルの箒、つまり逆さになった箒はいつも重いが、きょうは殊のほかずっしりと感じた。

「ご足労を掛けたようだ。解約金はあとで振り込みます」

 菅田大介はとても悲しい目をしていた。諦念だ。こちらも胸が痛むな。


 一年後、菅田大介の、ベートーヴェンの交響曲第九番が発売になった。

 CDのライナーノートにはこうあった。「録音の予定を半年遅らせて、その間、新型コロナの後遺症の様々な治療法を試し、万全の状態で録音をした」と。

 このCDは、世界中で話題になった。それまで、菅田大介のCDは、「手堅いがやや面白みに欠ける」という評価が多かったのだが、今度の第九のCDは大変素晴らしいものだったからだ。中には、「カンダは新境地に達した。この第九は、過去の偉大な指揮者たちと比べても遜色がないレベルだ。できれば、一番から八番も録音しなおして欲しいくらいだ」との賛辞もあったほどだ。

 病魔と闘ったことで、菅田大介は芸術家として円熟の境地に達したのだ。

 菅田に限らず、大病後に爛熟する芸術家は多いものだ。ベートーヴェンがいい例だろう。彼は聴力を失ってから、数々の傑作を世に残した。


 私は、自宅のマンションで、菅田大介の指揮するベートーヴェンの第九のCDを聴きながら、缶ビールを呷った。

「働かないで呑むビールは、チョーうめ~!」

 ビールは本当に美味しかった。

 だが、私は涙を流していた。CDを聴いて感動したのか、それとも、病魔に苦しむ老いた芸術家を見捨てた自責の念だろうか。今回は、さすがに良心が痛んだ。思い出すと心がチクチクする。

 私は、水晶で占うと少し先の未来が見えるから、こうなることは分かっていたのだが、それでも今回は賭けだった。少しでもまずい方向に未来がズレていたら、菅田大介はベートーヴェンの交響曲全集を完成させられなかっただろう。

 これで本当に良かったのか、やはり本人の希望通り、一時的にでも新型コロナの後遺症を魔法で抑えるべきではなかったのか……、仕事をしない魔女、茜一華は、今、自問自答しているところだ。

 芸術と健康、いったいどちらが大切なのだろう?

「魔女協会は、私の個性を把握した上で、いつも、こんな仕事を回してくるんだよなぁ。大学を卒業後、いきなり、「マンションを買ってあげる」って言われて、おかしいと思わなかった自分も悪いんだけどさぁ」

 そう、魔女協会は、この住み心地のよいマンションを人質に、魔法で解決しない方がいいと思われる、特殊な仕事を押しつけてくるのだ。むろん、魔女協会とて悪魔ではない。この仕事を五年続ければ、このマンションは私のものになる手はずになっている。この仕事を始めて一年は過ぎたので、あと四年の辛抱だ。

 未来が分かる魔女はまれで、私にはそれができる。だが、未来が分かる魔女は、たいてい三十歳を過ぎると、未来がはっきり見えなくなってしまうものなのだ。そこで、魔女協会は、私の能力がまだあるうちに、最大限利用しようとしている訳だ。

 それにしても、いつも、ギリギリ支払えない金額を依頼主に提示するのは、心が痛む。とくに今回は、激痛だった。だが、それをしないと依頼を受けることになってしまう。なんて嫌な仕事なんだろう。

 嫌な仕事か……。

 ちぇっ、ビールが不味くなった。




第5話 おわり





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