36話「諜報活動」
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アンナは偽造された通行手形を衛兵に見せることで、ゲルートの町の内部へ難なく侵入した。
最近はリーダーからの盗みの連絡がなかなか来ないため、この町に来るのは久しぶりだった。今年に入ってからは、ミャントム団員としての活動より、エリーの雑貨店の宣伝営業をしている時間の方がずっと多いという始末だ。自分が義賊であることを忘れてしまいそうだった。
アンナはこぎれいに整ったゲルートの街並みを眺めながら、自分の小さい頃を思い返していた。
アンナが生まれ育ったのは、ハブ・プロットルの中でも特に貧しいスラムの隅っこだった。混沌に満ちたあの街で、エリーとアンナは双子の姉妹として生まれた。アンナの青い瞳と薄灰色の毛皮は父親譲りのもので、一方のエリーは母親似の優しさをたたえる黄色い瞳と茶毛をもらった。
アンナは、母の面影を残すエリーの風貌がとても羨ましかった。
二魔の父親は、ちょうど二魔が思春期を迎える頃に貧しさに耐えかねて出ていってしまった。父がいなくなり稼ぎ手が減ったことで、母はエリーたちの食い扶持を稼ぐことに必死になり、過労に倒れた。
生まれつき体が弱かった母は、疲れてさらに弱ったことがたたったのか、そのとき流行っていた伝染病にかかってしまい、ポックリと逝ってしまった。アンナは夜逃げした父親を今でも憎んでいるし、自分の容姿が父親に似ているということも嫌で嫌でたまらないのだった。
自分たちのような思いをする魔を一魔でも少なくするために、アンナはミャントム団の一員となり、義賊となった。そうだというのに、音沙汰が全くないのでは困る。
正直なところ、アンナは進展のない現状に焦っていた。なにか状況を一変させる良いきっかけが欲しい。それを探りに、ゲルートの町にこうして入り込んでいるというわけだ。
そんな物思いにふけりながら歩いていると、比較的盛況だと思われる酒場がふと目に留まり、アンナはその店内へと足を踏み入れた。
いまはちょうど昼どきで、酒飲みのたまり場というよりは、仕事に一区切りを終えた商魔たちが一服がてら昼食やブランチを取りにきたというような雰囲気だった。
聞き耳を立てていると早速、一つテーブルを挟んで隣の客席に座っている魔たちが世間話を始めた。
「なぁ、今夜どうなるんだろうな?」
「今夜?あぁ、ミャントム団のやつらが盗みに来るって話か。俺は本当だと思ってるよ」
質問した剛熊の男に対し、黄色い鱗を持つ掘爬の男は先の割れた舌でコップの水を器用に舐めとりながら答えた。
「でもラッシマの家はさすがに無理だろ?命がいくつあっても足りないぞ」
「いや、あのミャントム団なら絶対にやってくれると思うね」
そう言って牙を見せて笑う掘爬の男に対し、剛熊の男は眉間にしわを寄せながら嫌そうに少し体を引く。
「お前、ミャントムフリークかよ。知らなかったわ」
「は?違げぇよ!」
掘爬の男は細長い右腕を伸ばすと、剛熊の男の毛深い左腕を掴み、テーブルの方へ向かって引き戻した。剛熊の男は未だに怪訝そうな顔をしている。
「俺は共倒れになってほしいんだよ」
その耳打ちを聞くと、剛熊の男は一転して笑いながら掘爬の男の肩を叩いた。
「なんだ、そういうことかよ。たしかにそれが一番いいな、ははっ!……衛兵いねぇよな?」
剛熊の男は慌てて周囲を警戒した。幸いなことに、衛兵はこの店を利用していなかったようで、相変わらず和やかな雰囲気が店内を包んでいる。
「はっ、バカ。冗談で済んでよかったな」
「本当だよ、全く……」
剛熊の男はため息をつきながら、テーブルに置いてあった紙ナプキンで額をぬぐった。
アンナは驚愕した。ラッシマの屋敷を今夜襲撃するなどというリーダーからの指示は全くない。
襲撃の計画は、少なくとも一週間以上前から連絡を受けて入念に準備するものであって、そういう突発的な襲撃行為というのはミャントム団の活動方針としてはありえないことだった。百歩譲って連絡漏れがあったとしても、不測の事態が発生した場合には、用心深いリーダーならたぶん計画を延期するはずだ。
いずれにしても、今回のミャントム団の襲撃予測は嘘だということになる。
そうだとすれば、ミャントム団以外の思惑が絡んでいるとみるべきだろうとアンナは思った。考えられるのは、アンチラッシマがラッシマに何らかの損害を与えるために企てた風説の流布か、あるいは。
「もしかして、アタシたちを利用しようとしてる……?」
もう少し情報を調べる必要がある。アンナは聴兎の店員を呼びつけ、会計を頼んだ。アンナは硬貨を取り出しながら、その店員に話しかけた。
「さっき知ったんだけど、ラッシマさんの屋敷が大変なことになってるみたいだね」
「そうなんですよ。私も数日前に初めて知ったんです」
「へぇ、ずいぶん急だね」
店員は、手に持っている伝票にアンナが払った金額を書き込む。ぴったりになるように硬貨を渡したから、お釣りは出ないはずだ。
「ラッシマさんが屋敷の警備のために慌ててお金を出すもんだから、商魔だけじゃなく、傭兵の魔たちまで稼ぎどきだー、なんて言って騒いでいるみたいで」
「そっか。じゃあ、衛兵たちはお株をとられてカンカンなんじゃない?」
店員は先程の剛熊の男と同じように周囲を見渡してラッシマの衛兵がいないことを確認すると、口の横に片手をあてて小声で言う。
「それが、そうでもないみたいですよ。ラッシマ様の温情で雇ってやってるんだって言って、むしろ誇らしげにしてました。お互い仲が良くないのは変わらないですけどね」
そう言って苦笑する店員に対し、アンナも苦笑を返す。荒事に長けており柄が悪いという点においては、ラッシマの衛兵も傭兵協会の傭兵も同じようなものだとアンナは思った。
店員から領収書を受け取り、アンナは席を立つ。
「あ、ここのベリーパイ、ちょー美味しかったよ。また来るね!」
「ありがとうございました、またお待ちしております」
いま酒場で収集した情報をアンナなりにまとめると、つまりこういうことだ。
ラッシマは「自分の屋敷をミャントム団が襲撃する」という噂を自分で流している。
そんな茶番のために金を出して噂を流し、傭兵連中まで雇うなんて、一見何の利益もないように思える。しかし、あのラッシマにとって支出以上の得になる何かが起きるとすれば、話の筋は通る。
そして、あえてミャントム団の名前を出している以上、その計画が実際に実行されてしまえば、全ての責任をミャントム団が被ることになるだろう。ラッシマとはそういう男だ。




