第44話:ジルジの天秤
「戦棍を持って接客とは、たいそうなおもてなしだね?それとも、他のお客様にもそうやってしているのかな?」
それぞれ違う気を宿した四人は扉を開けると宿の中へと踏み入れる。
『こんな所に何をしに来た?少なくとも勇者様が来るような場所ではないと思うが?』
「ゆ、勇者だと?!」
「ほう。よくおれたちが勇者だと見破ったな。それだけおれたちの知名度も上がったってことか?」
『貴様からは尋常ではないほどの光のオーラと復讐に塗れた負のオーラを感じたからな。そうではないかと勘で言ってみたまでよ』
「……聡いな」
男は肩を竦めると言葉を切り出す。
「エリカ=ヤマシロという女を探している。ここにいるのだろう?匿うと言うのであれば正義の名の元に貴様らを殺す」
「おいおい。勇者様が言うセリフかよ?」
『……娘はここにはいない』
「嘘は吐かない方がいいぞ?天にて傾く神の代物よ。地上へと顕現して我に力を貸せ!ジルジの天秤!」
『っ!』
いきなりの魔法詠唱に思わず身構えたザッハークだったが、男の目の前には光に包まれた小さな天秤が出現しただけだった。
「これは『ジルジの天秤』と言って、審判の女神ジルジが所持する正誤善悪を見分ける力を持つ天秤を象った光属性の魔法だ。嘘を吐くとその重みで分銅が載っていない方の天皿が傾くようになっている」
別名は『神聖なる天秤』。
光属性の準備魔法に謳われる正誤善悪を示す『神聖なる天秤』とは、これのことを指す。
「さあもう一度聞こう」
腰に佩いた聖剣の柄を握りながら男は再び質問する。
「エリカ=ヤマシロはこの宿の中にいるのだな?」
審判の女神ジルジ。
主神ヴィルリアに仕える神の一柱で、神域に置かれた聖なる天秤によって、この世の全ての正誤善悪を見抜くことができるという伝承を持つ神だ。
これはあくまでその天秤を再現した初歩的な魔法なのだが、光属性が得意とするのは捜索・善悪の判断などの不明になっている事柄を明らかにすることや、占星術・天罰・浄化。例え相手が持っているのがCランクの【閃光の才】だろうが、この魔法の前では嘘を通すことは能わない。
攻略方法は一つ。
素直に話すことだ。
絵理華たちは依頼に出払っているため、現時点では本当に宿にはいないのだから、そのことを正直に話せばいい。たったそれだけのことである。
『…………』
沈黙は金、なんて言うが、この場は黙っていても一向に展開は進まない。雄弁は銀を信じて口を動かす。
『依頼を受けるためにガオバーロまで出ているから今はいない』
一方のレオルスの方も、相手が嘘を吐くのであればこの場で斬り捨てるだけだ。
空中に浮かんだ聖なる天秤の動きを注意深く観察するが、片方に『真実』を象徴する分銅・もう片方に何も載せていないにもかかわらず平衡を保つ不可思議な天秤は、『嘘』という重みによって傾くことはない。
「……ちっ。どうやら本当のようだな。だが逆に好都合。無駄な血を流さなくて済むんだからな」
「??どういうことだ?」
「勇者がやらなければいけないことと言ったら何か分かるか?御伽噺が大好きな子供でも分かる簡単な問いだぞ?」
『まさか、ここにいるモンスターたちを殲滅しに来た、とは言わないよな?』
「そのまさかだとしたら、お前たちはどんな反応をする?」
口角を歪めて笑う。
「エリカ=ヤマシロがどんな女かは知らんが、【テイム】を使って複数のモンスターを携えて管理・育成しているのだろう?四天王を含むあらゆるモンスターを統率して世界の破滅を目論んでいた、魔王ロザスと何の違いがあるというのだ?」
誠実そうな見た目をした騎士の目が。
羽根飾りのついた帽子を被った少女の瞳が。
豪華な飾りに身を包んだ高貴な見た目の女性の眼が。
『魔王』の文字を耳で捉えて鋭い眼光を反射させる。
「どのような理由であろうとモンスターを複数体保護・管理しているような人間を、我々『煌々たる裁きの剣』は野放しにはしない。おれの聖剣で皆殺しにしてくれる!」
『待て小僧』
踵を返して宿から出ようとする勇者の背中に黒い龍は声を掛ける。
『モンスターたちはエリカによって適切に管理されているし、エリカには誰かを傷つけようという意図はない。つまり、貴様らは無駄にモンスターを殺そうとしているというわけだ。罪のないモンスターを一方的に殺すのは、果たして勇者様の仕事だっただろうか?』
「っ!そうだ!エリカには世界の征服や国家の転覆なんていう意図は微塵もねえ!だから、てめえら勇者様がモンスターどもに手を下す必要なんてねぇだろうが!?」
「随分と女に肩入れするんだな。さては、お前たちも人間の姿に変身したモンスターで、ご主人様の機嫌を取ろうとしているんだな?」
「……なあレオルス」
隣に立った少し背の低い少女が服の袖を引っ張る。
「この黒い男からドラゴンの匂いがする。こいつ、モンスターに違いないぜ?」
『っ!馬鹿なっ!!見破られただと?!』
アジ=ダハーカは1,000種類の魔法を覚えた龍ではなく、1,000種類以上の魔法の研究を続けた結果、龍になってしまった人間だ。
魔法の練度は卓越しており、ドラゴンとしての匂いや面影を消す技術だって並大抵のものではないことは、1,000年もの間イランを統治していたという伝説が残っていることからも分かるはずだ。
なのに見破られた。
「……やはりそういうことか。誰だって自分の身がかわいいものだからな。無理はない」
「あの巻き毛の男は人間みてぇだな。トカゲ風情が人間を庇って物乞いとは気味が悪いぜ」
羽根飾りの少女を見る。
チロルジャケットに丈の短いスカートという一見アルプス系民族のような見た目をしているが、その瞳孔の中にある黒目はアーモンドのように縦に長く、まるで爬虫類のような形をしている。
「ならばちょうどいい。トルーニがこれ以上目障りなモノを見なくても済むように、まずは貴様から殺してくれよう」
「おいおいおいおい!そいつぁ困るぜ勇者様よお。こいつを殺すのはオレだって決まってるんだよ。それに、」
手に持った戦棍を弄ぶ。
「こいつだって世界を滅ぼそうとした悪龍だったんだけど、エリカの言葉を受けて改心したんだ。もう悪いことはしねぇよ」
「かわいそうなものだ」
誠実そうな騎士は静かに屹立したまま淡々と答える。
「改心したというその言葉すらも【テイム】によって精神操作をされて言わされている可能性だってあることに何故気づかぬ?お前はエリカに騙されているかもしれないのだぞ?」
「っ?!どういうことだ?!」
「私が説明しましょう」
尖った耳を持つ神官が錫杖を鳴らしてから口を開く。
「スキル【テイム】は、【テイム】によって捕まえたモンスターが持ち主にとって不都合な行動をしないようにするスキルです。犬を【テイム】したのであれば飼い主を噛まなくなり、壁に向けて粗相をしなくなり、無駄吠えをしなくなります。それと同じで、エリカ様が都合が悪いと思った発言を【テイム】したモンスターや動物に言わせないように精神を操作することも可能なのです」
『そんな……、ことが…………っ?!』
スキルはあくまでスキルであって魔法ではない。
この世界のスキルについてはあまり詳しくないザッハークが目を見開く。
「これで分かっただろう?首輪を付けた動物の戯言にいくら耳を傾けたって無駄なんだよ。だから――」
室内の光を反射して不気味に光る刀身を鞘から覗かせながら、レオルスは吐き捨てるように言った。
「さっさと死んでくれないかな?ゴロド王国の平和のために。世界の安寧のために」