第18話:ラグナロクを終えた世界の英雄たち
「……………………」
もう限界だった。
絵理華はテーブルクロスの敷かれた机の上に顔を埋めると、力なく撓垂れる。
その後、スコル・ハティ・ベヒモス・レヴィアタン・ジズも同じように【テイム】に成功。世界中の大部分が破壊されるも、ラグナロクは終焉を迎えたのだった。
「ったく、そんなに大事になるんだったら、オレも連れてってくれればいいじゃねぇかよ!」
頭の脇に何かが置かれる。
芳しい香草の匂いからすると鳥の香草焼きのようだが、今の絵理華は食べる元気すらない。
「まさか、こんなに長い旅になるとは思わなかったんだよう」
ゾロアスター教から始まり、北欧神話に十字教。
三つの宗教による世界の終末を一気に止めたのだ。神話の中の英雄でも天界に住まう神でもない絵理華にとって、その心労は並大抵のものではない。
「わたしも予想外でしたね。よくこの世界が形を保っているものです」
絵理華とは違ってずっとついて来ただけのセレンが代わりに香草焼きを受け取ると、美味しそうに頬張る。
「空も元通りになったことですし、一件落着ですね」
「……あのな嬢ちゃん。窓の外を見ながら平和を噛み締めてるところ申し訳ないんだけどさ、」
びしり、と大人数用に設えられた少し大きめのテーブルを指す。
「あいつらはどうするんだよ?!オレはこれ以上面倒を見るのは嫌だぞ?!!」
そこには。
「トールくんトールくんトールくん」
「止めろベタベタすんな気持ち悪い!!」
「うむ。なかなかの美酒だ」
「だけど、エレガントな僕が飲むのには少し物足りないねえ」
「…………」
白昼堂々と男同士でいちゃつくロキとトール、酒を嗜むテュールとヘイムダル、店内なのに兜と鎧を装着したままのヴィーザルの姿があった。
「ほ、北欧神話の神様たち……。どうしてここにいるんですか?」
黒装束の道化とマントの青年と|薄汚れたトーガを着た隻腕の男と白装束の貴族と重装兵。
端から見たらただのヤベぇやつらにしか見えない集団の会合まで金髪の女神が香草焼きを口に含みながら歩く。
「よお。セレンとか言ったっけ?オレたちもここに厄介になることにしたぜ!別にいいだろ?」
「天界には帰らないんですか?ラグナロクも終わったことですし、そのまま帰ってもよかったんですが?」
天界に帰る方法があるのならば、あわよくば一緒に帰って、ゼロストにカミサマパワーを返してほしいと直談判したいのだが、そんな意図を汲み取る様子もなくテュールが答える。
「言ったであろう?テュールたちは世界に平和を齎すためにエリカ殿に協力すると。ささ、どんな命令でも引き受ける所存なので、何なりと申してくだされ!」
「天界に帰っても良かったんだけどね、折角この世界に来たんだし、もうちょっと楽しんでもいいかな、と思ってさ」
「「来た」っていうのは、どういうことなんですか……?」
「ん?お嬢さんは天界の関係者なのだろう?てっきり理由を知っていると思っていたが?」
酒の入ったグラスを揺らしながらヘイムダルは答える。
「この世界にはゴブリンやスライム・ドワーフなどの様々なモンスターが存在しているけど、じゃあ、そのモンスターたちの本質って何か知っているかい?」
「本質?」
言葉の意味が分からない。首を横に振る。
「答えは人間が作った伝承だよ。僕を含む神やモンスターたちっていうのは何もない所から急に出現するんじゃなくて、人間が作った伝説や伝承があるからこそ存在できるんだ」
例えば、フェンリルという狼がいる。
フェンリルは北欧神話に登場する狼で、スレイプニルに繋ぎ止められて暴れ回った際にテュールの右腕を食い千切り、ラグナロクの時に出現してオーディンを喰い殺すが、その後にヴィーザルに口を天地に割かれて死亡することになる。
親はロキとアングルボザ。
三人兄妹の長男であり、次男がヨルムンガルド、その後に生まれたのが冥界を管理する女神ヘル。
異母兄弟にスレイプニル。
『鉄の森の女巨人』との間に生まれた子供が双子のスコルとハティ。
神話の上で関係を持つのがテュール・ラグナロクで斃したオーディン・その仇を取るヴィーザル。
親がいなければ子供が生まれないのと同じで、フェンリルはただ単体で存在するのではなく、これらの一つ一つの伝承やストーリーがフェンリルを構成する血肉となるのである。
「フェンリルがいるんだったら、それを斃す宿命を持つ神様や、その兄妹、そいつに斃されるやつが存在しないとおかしいよね?」
「つまりは、皆さんはそれぞれの矛盾を埋め合わせる辻褄合わせのために存在しているってことですか?」
「そういうことだね。何処の宗派の神様かは知らないけど、この世界はゼロストって神様が管理しているんでしょ?異世界にモンスターを存在させたいがために僕たちまで配置しちゃうなんて、随分と几帳面なんだね」
アジ=ダハーカを配置したいがためにガルシャースプを配置し、フェンリルを配置したいがためにロキやその他のモンスター、それらを斃す運命にある英雄を配置する。
全ては、そのモンスターたちの『存在』を矛盾させないために。
「なあ、異教の神様たち。一応ここはオレの経営する宿屋だからさ、長居されたり定住されたりすると困るんだけど」
週一回行商人の青年・シュナウトが食料などを卸してくれてはいるが、それはガルシャが一週間満足して暮らせる分と客数人分を満足にもてなせる程度の量だ。男が一気に五人も住み着いたら、一瞬で食料不足に陥るだろう。
先のことを憂いて顔を白くすると、
「ふむ。じゃあ、こうしよう」
ことり、と静かにグラスを置くと突っ伏した絵理華を見ながらこう言う。
「エリカさんは、ここに動物園なる施設を建てたいと言っていたよね?だったら、飼育しているモンスターたちの監視や外敵から動物園を守るために、僕たちがそこで働くというのはどうだろう?」
「……はい?」
人間の身なりをしているが、元々は北欧神話の神々である。
その神々が動物園で働くためのスタッフになるとは。
隣に立つセレンは明るい顔をしているが、ガルシャの脳はちょっと状況を処理できていない。
「オレ様は賛成だぜ?エリカの役に立つことだったら、何でもやってやるよ!!」
「トールくんが賛成なら、俺も賛成だね」
「要は、動物の餌やりをすればいいのだろう?動物の餌やりならば、フェンリルに餌をやっていた勇猛な神・テュールにお任せくだされ!」
「……異論はない」
「決まりだね」
靴を鳴らして数歩歩くと、
「明日からここで働かせてもらうよ。よろしく、異教の英雄よ」
握手を求めるべく白い手袋に包まれた手を差し出した。