1話(3)
ザブン村は大騒ぎになっていた。破壊された家の処理やけが人の手当てなどに村人たちは奔走し、てんやわんやだった。
アーチも後処理を手伝おうとしたものの、逆に村人たちから心配されてしまった。ゆっくり休んだほうがいいということになり、大人しく帰宅することにした。
自宅で砂埃を洗い落とし道場に戻って来ていたアーチ。今は床に寝そべり、例のフェアリー族の少女と戯れていた。
「さっきはありがとね~」
人差し指でふわふわした桃色の髪を撫でる。楽しそうなアーチとは対照的に、少女は不機嫌な顔をしていた。
「ちょっと! 馴れ馴れしく触らないで!」
「あーマジかわいー。人形みたーい!」
「ん~っ!」
とうとう耐えきれなくなったフェアリー少女は、ひらりと飛び立ちアーチの手から逃れた。アーチの対面で瞑目する異邦人の男の肩に止まり、べーっと舌を出した。
「フられちゃった」
アーチが胡坐をかきながら隣に座っていたロウルに囁く。ロウルは「うん」とおざなりな生返事を返した。
ロウルはずっと正面の男を見つめていた。男は精神集中でもしているかのように静かに座ったまま微動だにしていない。
「すまない、待たせた」
事後処理を手伝っていたデフトンが汗を拭いながら道場にやってきた。
「みんなは大丈夫だった?」
「幸いにもみな軽傷だ。命にかかわるような怪我人はいない」
「そっか。よかったぁ~」
「よくない! 一歩間違えればお前の命が危なかったのだぞ! ひとりで勝手なことをするな!」
「だってあの時はそうするしかなかったし」
「しかしだなっ」
「よせデフトン。すぐに駆け付けられなかった私たちが悪い」
いつの間にか目を開けていた男がデフトンを諫める。怒り心頭の父は急速に萎んだ。
「確かにそうだな……アーチ、すまない」
「あ、いや、うん」
素直にデフトンが折れ、逆に戸惑ってしまう。こういうときは大抵とことんまで言い合うのがサスティーン父娘のお決まりだったので、謝る父親を初めて見た。
「それで、この人は?」
アーチは訊きたかったことをようやく訊いた。魔獣を一撃で倒し、デフトンが強く出られないほどの来客とはいったい何者なのか。
「名乗るのが遅れた。私の名はドルク」
「やっぱり!」
男が名前を告げた瞬間、ロウルが大きな声を上げた。その目は少年のようにキラキラとしていた。普段は朴訥とした幼馴染の意外な反応に、隣にいたアーチは呆気にとられた。
「どーしたのロウル」
「だってドルクといえば世界を救った英雄じゃないか」
「英雄?」
「嬉しいなぁ。〈万能の英雄〉ドルクと〈少年剣豪〉デフトンの二人を揃ってこの目で見れるなんて」
「少年……?」
怪訝な視線を向けられたデフトンが「昔のことだ」と極まりが悪そうにそっぽを向いた。
「てか世界を救ったってどういうこと?」
「本当に知らないの?」
本当に知らなかった。
「すまない、娘にはろくに話したことがないのだ」
デフトンは頭を抱えて嘆息を吐いた。
「仕方がない。当事者だからこそ話せないこともあろう」
ドルクはすっと顔を上げ、道場の壁に飾られている剣を見た。昔を懐かしむようでもあり、苦しみを堪えるかのようでもある目をしていた。
「今からおよそ四十年前。我々人族と魔族の大きな戦いがあった。魔族は凶悪で、狡猾で、残忍な、最悪の種族だった。やつらはある時ただの思い付きで、なんの信念や大義名分もなく、遊び半分で我々人族を滅ぼそうとしたのだ」
過去を語る英雄の表情には静かな怒りが滲んでいた。まるで昨日のことを話しているかのようだった。
デフトンがドルクの語りに続く。
「多くの人間が犠牲となった。家族や愛する人々の命が魔族の手によって奪われる……そんな悲劇が毎日のように起こっていた。だがそれでも、我々はこの戦いに勝利した。ドルクが人族を、世界を救ったのだ」
「私だけの力ではない。お前と、それにアンジェル、仲間たちの助けがあったからこそだ」
「お母さん……」
突然出てきた母の名前。デフトンだけでなく母親までもが世界を救った英雄の仲間だった。隣のロウルを見て無言で確認すると、ロウルはゆっくりと頷いた。どうやら本当らしい。
「そして勝利した我々は二度と同じ悲劇を生み出すまいと、魔族を次元の狭間に封印したのだ」
「それが今でいう人魔大戦、ですよね」
ドルクが深く頷く。アーチはなんだか遠い異国の話を聞かされている気分になった。世界だの戦争だの、親が世界を救った英雄の仲間だの、急にスケールの大きい話に実感が湧いてこない。だが同時に納得もした。世界を救った英雄の仲間ならば、村人たちから慕われ敬われるのも当然のことだった。
昔にそんな大変なことが起きていたなんて知らなかった。ずっと昔から、当たり前に平和な世界があるものだと思っていた。けれどそうじゃなかった。滅亡の危機を乗り越え必死に勝ち取った末の平和だったのだ。
「あ、じゃあ今日は友達が久々に会いに来てくれたって感じ?」
アーチが思いついたままに口に出すと、デフトンに白い目で見られた。
「遊びに来たみたいな言い方をするな。ドルクがここに訪れたのにはそれだけの理由があるのだ」
「まさか……」
ロウルが何かに気付く。デフトンが渋い顔をした。
アーチだけがきょとんとしていた。
ドルクが神妙に口を開く。
「魔族の封印が解かれようとしている」
「そんな……!」
「よくわかんないけど、それってヤバいんじゃないの?」
「大ごとだよ。もし魔族の封印が解かれたら、戦争時代に逆戻りだ」
戦争。アーチはその言葉の重大さを実感できていない。一方で当時を生き抜いた男たちは痛みを堪えるような表情となっていた。戦いの記憶は、遠い過去となった今でも痛みをもたらすほどのものだった。
ドルクが話を続ける。
「奴らの復活まで、もはやあまり猶予はない」
そう言ってドルクは懐からあるものを取り出した。もとの形がわからないほど粉々に砕けた、宝石のような黄色い石の欠片だった。
「これはもしや」
「魔族を封印するために使われているマジェットの、核となる魔石だ」
「やはりそうか」
「魔石って魔法の動力源みたいなものでしょ? それが壊れてるってことは……」
魔法の成り立ち。マジェットと魔石の関係性。魔力を受信する魔石をマジェットの核とすることで魔法を使用できる。ちょうど先程ロウルに教わったばかりだった。ロウルから説明を受けていたおかげで会話に参加することができた。知らないままだったらまた話の腰を折っていただろう。
そう思っているとロウルが横から「さっき教えておいてよかったね」と耳打ちした。図星を突かれたアーチはしっしっと邪険に追い払った。
「幸いにもまだ完全には封印が解かれたわけではない。魔族封印のためのマジェットには五つの魔石が使用されている。これはその五つのうちのひとつにすぎない」
「どうして魔石が破壊されたのでしょう」
ロウルの問いにドルクが苦い顔になる。
「魔族の執念を甘く見ていた。奴らは次元の彼方に送られてもなお、いや、だからこそ、人間を破滅させることを強く望んだのだ。異次元の向こうから舞い戻ろうとしている。膨大な悪意が、封印の力を上回ろうとしてるのだ」
「たったの四十年でそこまで……」
デフトンが誰にともなく独りごちる。
四十年。デフトンは「たったの」と言ったが、アーチにとっては途方もなく昔のことに思える。しかしそれが平和な世界の耐久年数とすると決して充分長いとは言い難かった。
「魔族が封印を破りこの世界に復活する前に、再度封印の力を強化しなくてはならない。事態は急を要する。現に奴らはすでに暗躍を始めているようだ」
「そうなの?」
「これについては彼女にも関わりがある」
ドルクが顔を横に向ける。長いこと沈黙していたフェアリーの少女が、ドルクの肩から床に降り立った。
「この子はフェアリー族のパラァ。彼女の兄は──魔族の手に落ちた」
全員が息を呑む。すでに魔族の被害者がいたのだ。
フェアリー族の少女──パラァは俯きながら静かに語り始めた。
「数日前のことよ。わたしたちフェアリー族が暮らしていた森が、人間に襲われたの」
「なんと……」
「だがそれ自体は魔族とは関係がない。私があとから聞いた話によると、襲ったのは森の近くの町に住む若い男たち三人。町の住人が言うには男たちはろくに働きもせず遊び回り、かなり金に困っていたらしい。そこで男たちは、フェアリー族の翅を売り払い大金を儲けようと計画を立てていたのだそうだ」
ドルクが補足を入れるとデフトンが眉をひそめて不快感を露わにした。
「バカな。たしかにフェアリー族の翅は高額で取引されているという話は聞く。だがそんなものは根も葉もない風聞でしかない。それを真に受けるなど」
「住人たちも同じことを言っていた。酒の勢いで出た与太話だろうと思っていたらしい。だが、悲劇は起きてしまった」
俯いていたパラァはしだいに肩が小さく震え、桃色の瞳が潤み始めていた。
「あっという間だったわ。家族も友達も、次々と人間たちに殺されていった。そして最後に……森に火を放った」
「ひどい……」
アーチは口に手を当てて絶句した。あまりにも酷い。
「わたしとお兄ちゃん……兄のピポイは運よく人間には見つからなかった。でもわたしは火の煙を吸って動けなくなっちゃって。そこに──」
そこにその人物は現れたのだという。
「顔はよく見えなかったけど、たぶん人間の男だったと思う。そいつは兄と話をしていたわ」
──力が欲しいのでしょう?
──人間に復讐したいのでしょう?
──私ならあなたに力を与えてあげられます。
──我々魔族に協力して頂けるのならね。
──私は魔族の使い。
──魔族はあなたを歓迎します。
薄れゆく意識の中で、パラァは謎の男がそう話すのを聞いていた。
「そのあとわたしは意識を失った。そして目を覚ましたら……わたしの前から、ピポイは……お兄ちゃんが、いなくなっちゃった……」
堪えていたものが決壊し、パラァの目から涙が溢れ出てきた。止めどなく流れるそれを自らの小さな手で拭う。
アーチは想像してみる。自分が生まれ育った故郷が焼かれる光景。デフトンやロウル、村の子供も大人もみな目の前で無惨に殺されていく。少し想像しただけでも、アーチは胸が締め付けられる思いだった。
母が病気で亡くなったときもしばらく何もできないくらいの失意に苛まれたのだ。もし家族も故郷も何もかも奪われたら、アーチは立ち直れる自信がない。
パラァはその悲劇を実際に目の当たりしたのだ。それに加え、唯一生き残った兄に置いて行かれた。本当はふたりで寄り添い、悲しみを分かち合いながら、支え合って生きていきたかったに違いない。なのに兄は自分を置いて消えてしまった。その悲しみは計り知れない。少女の小さな体には、いったいどれほど大きな悲しみと失意が圧し掛かっているのだろう。それを考えたら、立っているだけでも奇跡的だった。
強いんだ、この子は──アーチはそう思った。
涙で話せなくなってしまったパラァに代わり、ドルクが言葉を引き継ぐ。
「そのとき私は森に向かっている最中だった。微弱ながら、魔族の邪悪な力を感じ取ったのだ。私が駆け付けた頃にはすでに森は焼き尽くされ、焼け跡の中でただひとり息のあるパラァを保護した。破壊された魔石が捨てられていたのも、この森だった」
「なんでそんなところに?」
「挑発のつもりか、或いは宣戦布告か、そんなところだろう。魔族の使いも近付いてくる私の気配に気付いてそうしたに違いない。魔石の破壊と、意識を取り戻したパラァから先程の話を聞いた私は、魔族の封印が解けかかっているのを悟った」
「魔族の使いとやらはどうしてこの子のお兄さんを連れて行ったのでしょう」
ロウルが尋ねる。
「おそらく魔族は協力者を集めている。ピポイくんの前に現れたのも、人間に対する憎悪の感情に素質を見出したからだろう。奴らはこの世界に舞い戻るために、魔族に賛同する者の協力を得ようとしている。目的は、復活の障害となるものの排除だ」
「それって」
「そう……私だ」
英雄が告げるとロウルの目に理解の色が広がる。
「じゃあさっきの魔獣は」
「私を狙ったものに違いない」
ドルクの来訪と魔獣の襲撃は繋がっていた。
「通常、村や国の領土の周辺には魔獣除けのマジェットが設置されている。何者かの介入がない限り、魔獣の意思で村に侵入することは本来なら不可能に近い」
「手引きした誰かがいる、と」
ロウル確認にドルクはゆっくりと頷いた。
「そいつは間違いなく魔族の協力者だ」
魔獣の襲撃は魔族の手先が関係していた。となると、アーチは魔族の暗躍に巻き込まれたも同然だ。遠い昔話に感じていたものが急速に身近なものへと距離を詰めてきた。アーチは魔族による被害のただ中にいつの間にか放り込まれていた。
「大体の話はなんとなくわかったけどさ。結局、何のためにお父さんに会いにに来たの? このことを知らせに来ただけじゃないんでしょ?」
ドルクが村を訪れたのには理由がある。デフトンはそう言っていた。ドルクは自分が狙われているのを知っていたのなら、村が巻き込まれる可能性があることもわかっていたはずだ。それでもなおここに訪れた理由とはなんなのか。
ドルクは「うむ」と頷くとおもむろに立ち上がり、壁に掛けられていた剣を手に取った。
「私のかつての相棒〈聖剣ヴァーエイル〉。これを受け取りに来たのだ」
英雄の手の中で、剣の刀身がキラリと煌めいた。
アーチが物心ついた頃から道場に飾られていた剣。黄金の柄にやや刀身が太めの直剣。鍔の部分に妙なくぼみがあって、変な剣だなと幼い頃から思っていた。それがまさか英雄が使っていたものだったとは。
「聖剣? それって飾りの模造品じゃなかったんだ」
「そんなもんわざわざ道場に飾らんわ」
「大戦が終わったあと、この剣の強大な力を他人に悪用されぬよう、本体と魔石を分離して保管することにしたのだ。本体はこの道場に寄贈し、力の源となる魔石は私が」
ドルクはローブの中から丸い翡翠色の魔石を取り出した。偶然にもアーチの瞳の色と似ていた。
「ヴァーエイルさえ私の手元に戻れば、恐れるものは何もない。あとは魔族を再び封印してやるだけだ」
手中に収まる剣と魔石を見つめるドルク。決意に引き締められた相貌は急激に若さが戻ったようにも見えた。
「英雄の復活だ……!」
ロウルが羨望の眼差しで見上げる。普段のほほんとしていて思考の読めない幼馴染は、意外にも少年らしい憧れを持っていた。
「大変です!」
外から慌てた声が響く。道場に息を切らした村人の男が駆け込んできた。
「どうした」
「大変です! さっきの魔獣が、また!」
「なんだとっ!」
村の危機はまだ去ってはいなかった。




