~ 第八話 貴方は今、なにを想う? ~
遅くなってしまい、もうしわけありません。
それでは、どうぞっ!
よろよろと、俺はゴブ造さんの遺体に近付く。足に力が入らない。まるで空気の上でも歩いてるみたいだ。ゴブリン達が俺のための空けてくれたスペースまで辿りつき、その場で跪く。
間近で見たゴブ造さんの表情は、目を背けたくなるほどに無惨だった。腫れあがった顔が表情筋を歪めて、その状態で硬直しちまってる。まるで、拷問にでもあってるかのような、苦しみに満ちた表情だった。
ゴブリン達が、ポツリポツリと何があったのかを話し始める。
今朝早く、何人かの雄ゴブリンが急に、俺のことを殺しに行くと宣言したらしい。その中にいたリーダー格のゴブリンはこんなことを叫んだそうだ。
――人間の女を、俺達ゴブリンの手に取り戻すんだ!
――オークに舐められてたまるか!
ゴブリンの正当な権利が、一人のオークのワガママによって犯されようとしている。そんなことが、許されるはずがない。彼はそう主張したらしい。
そしてその主張は、多くの雄ゴブリン達の心を動かした。
彼らの心の中にも、多かれ少なかれ不満は溜まっていたんだろう。なんてったって、目の前に健康な若い人間の女がずっといたわけだ。ストレスは大きかったはずだ。
もちろん中には、その扇動に乗らないゴブリンもいた。
まずは雌ゴブリン達。
彼女達は、そもそも人間の女が手に入らないことに対して怒りを感じていない。性欲の対象外だからな。だからこそ、人間と仲良くすることの意義も理解出来たし、すんなりと納得出来たそうだ。
そして少数ではあるが、雄ゴブリンの中にも思い留まってくれた者がいた。
彼らには当然、俺に対する不満もあったそうだ。
それでも、これからのオークとの付き合いであったり、人間と仲良くすることでもたらされる未来であったりを考えることで、襲うべきではないと判断してくれたらしい。
そしてその先頭に、ゴブ造さんがいた。
他のゴブリン達が、怒りに身を任せて暴れようとする若い雄ゴブリン達に怯える中、ゴブ造さんはたった一人、その前に立ちふさがったらしい。
――アルトは、ワガママを言っているわけじゃない。
――ゴブリン、オーク、そして人間が、みんな死ななくて済むことを考えているんじゃ!
ゴブ造さんは、ゴブリンではあり得ない程に長生きだった。当然、他のゴブリン達以上に仲間の死に接してきている。それは、いくら数を重ねたところで慣れるものじゃない。
また、ゴブ造さんはゴブリンの集落に囚われた人間の女性が、心を壊して死んでいくことに胸を痛めていた。
そんなゴブ造さんだからこそ、命の危険を冒してでも、暴れようとする雄ゴブリン達の前に立ちふさがれたんだと思う。ゴブリンの未来を想ったその言葉は、心からの言葉だったはずだ。
でも、雄ゴブリン達には届かなかった。
ゴブ造さんは年だ。もう、性欲も無い。そんな爺さんに、若い俺たちの気持ちが分かってたまるかと、雄ゴブリン達は反発したそうだ。
また、ゴブ造さん自身、若い頃は人間の女を犯してきている。自分だけいい思いをしてきたのに、いまさら綺麗事を言うなという思いもあったということだ。
そしてその緊張が限界まで高まり、切れた。
あっという間だったらしい。
そりゃそうだ。年老いて弱ったゴブリンが、若い元気なゴブリンが大勢で襲われれば、その命はすぐに奪われる。
ゴブ造さんを殺した雄ゴブリン達は、その勢いのままに俺を殺しにむかったらしい。
この時点で既に、ゴブリン達は後には引けない段階に入ってしまってたんだと思う。だからこそ、あれだけ居たゴブリン達が全員、命を捨ててでも俺を殺そうとしたんだろう。
すでに、自分達の仲間にすら手をかけてしまったんだから。
あとは……俺の知っている通りだ。
………
……
…
襲ってきたゴブリン達を皆殺しにしてしまった。それはすなわち、ゴブリンの集落に住んでいる雄ゴブリンの大半が死んでしまったということだ。
にもかかわらず、残ったゴブリン達の反応は不気味なほどに冷静だった。
恨み言を言う者も、怒りを露わにする者もいない。
ただ全員が、なにか諦めたような表情をしていた。
殺しに行った以上、殺されても文句は言わない。何度も言うけど、それが森に住む者たちのルールだ。
分かってる。
俺だって、そのルールの中で生きてきたんだから。申し訳ないと落ち込んでる俺の方がおかしいんだ。胸を張って堂々と、それこそゴブリン達に対して怒りをぶつけてもいい立場にいるんだろう。
それでも、俺は責めて欲しかった。
理不尽だろうが身勝手だろうがなんだっていい。
お前さえいなければって。どうして殺したんだって。
責めてくれた方がよっぽど気が楽だった。
なぁ、ゴブ造さん?
俺さえいなきゃ、あんたは大往生出来たはずだよな?
集落のみんなに見守られながら、穏やかに死んでいけたはずだ。ゴブリンでそんな死に方が出来るなんて、奇跡みたいなことなのにな。
それがどうだ。
こんなに苦しそうな顔をして、仲間であるはずのゴブリンに殺されるなんて。無念だったろうな。
俺はどうすればいい?
あんたの死を無駄にしないためにも、これまで以上に頑張って、人間と仲良く出来るように頑張っていったほうがいいのか?
それとも、もう二度とこんな悲劇が起きないように、人間を遠ざけて、今まで通り森の中でひっそりと生きていたほうがいいのか?
答えてくれよ。
あんたが今どう思ってるのか、俺に教えてくれよ。頼むからさ。
………
……
…
ゴブ造さんの遺体は、土に埋められた。
そこに、宗教的な意味合いはない。このまま放置してても腐るだけだから、そんな理由だ。
それでも、ゴブリンがこういう風にみんなに見守られながら埋葬されるというのは、珍しいことだったりする。たいていのゴブリンは、誰に看取られることもなく、森へ還ってしまうのだから。
なにも無い場所に、特に墓を建てるわけでもなくゴブ造さんが埋められていく。あるいは、この森そのものがゴブ造さんの墓になるのかもしれない。
そう考えると、ゴブ造さんも天国で他のゴブリン達に会えたのではないかと思えてくる。
最期を考えると少し複雑だけど、それでもやっぱり仲間のもとに逝きたいはずだから、それでいいんだと思う。
一方で、俺を襲ったゴブリン達はそのままだ。
さすがに量が多すぎたんだ。彼らを全て、一度ゴブリンの集落に連れ帰り、埋め直すのは現実的ではなかった。
現場がゴブリンの集落から離れていることもあり、彼らにはそのまま森に還ってもらうこととなった。
ゴブ造さんを埋めたあと、ゴブリン達はすぐに日常に戻っていく。
浸っている時間などない。今日の食料を確保する必要がある。明日を生きる準備をしなければいけない。
今日サボれば、明日から生きていくのが厳しくなるのが森の生活だ。
ゴブ造さんが埋められた場所の前で手を合わせ、俺はオークの集落へと帰ることにした。
………
……
…
それから数日間、俺はぼんやりと過ごしていた。
頭の中で色んな考えが、行ったり来たりを繰り返している。何が正しいのかなんて、分かるはずがなかった。
集落のオーク達、そしてサリーちゃん。みんな、落ち込んでる俺を心配してくれているのは身に染みて分かる。
ただ、みんなに対して俺は、普通に対応出来ているのか。
正直自信がない。
気が付くと、ゴブ造さんのことを考えてしまっている自分がいた。
頭の中のゴブ造さんは、いつも俺にこのまま人間と仲良くすることを勧めてくれる。俺が歩んできた道のりは間違っていなかったと言ってくれる。
それが、なんだか自分を正当化するためにゴブ造さんを利用しているように思えて、一層自分に腹が立った。
そうこうしている間にも時間は過ぎていき、ついに指輪が光り始める。その光は、リリーちゃんが俺に会いに来てくれていることを知らせている。
リリーちゃんの、心を見透かすようなキレイな瞳に再会するのが怖い。
それでも、会わないという選択肢は無かった。
サリーちゃんを人里に返してあげないといけないという義務感だけが、今の俺を支えていた。