~ 第一話 リリー、第一歩を踏み出す ~
途中、というか最後ですね。三人称の文体が入ります。ご了承ください。
では、どうぞっ!
「リリー……なんとか考え直してはくれないか?」
目の前では、お父様が疲れ果てたような顔でこちらを見ています。この一月と少しの間、何度となく思い留まるように言われていました。私を心配してくださっているのは、重々理解しております。
しかし、今回ばかりは譲れません。
「お父様、申し訳ありません。ですが私は、アルトさんに受けたご恩を返さなければならないのです」
………
……
…
アルトさんに顔を治していただき、森から屋敷へと帰ってきた日の夜。私はお父様の執務室に居ました。お父様に全てを報告し、私の意思を伝えるためです。
「アルトさんはおっしゃっていました。オークは言葉を話せないだけで、私達の話している言葉は理解出来るのだ、と」
「ふむ。しかしそれは、アルト殿が特別なオークだからということではないか?」
「私もその点は確認いたしました。他のオークも私達の言葉を理解出来るとのことです」
これまで、あまりにも知られてこなかったオークの実態。
いえ、誤解されてきた、と言った方が正しいのでしょうか。オークは理性のない獣で、人間の女性を襲う。そのような偏見に満ちた見方しか、私達はしてこなかったのですから。
「アルトさん曰く、オークは出来ることなら人間と戦いたくないそうです。理性を持たない獣と違い、人間ならば、言葉さえ通じれば意思の疎通が出来る。つまり、無意味な殺し合いをする必要がないと思っているそうです」
オークと人間の殺し合い。それは、生きるために必要な狩りとは性質を異にするものです。
オークの側からすれば、ただの自衛行為。人間を倒したところで食べることはないそうです。また、人間の道具では小さすぎたり脆すぎたりするので、持っていくこともしないとのことです。
人間側からしても、オークを討伐する理由は少ないです。オークの肉は食べられたモノでは無く、素材としても使い道はほとんどありません。ただ、人間にとって有害な魔獣であるから討伐するのです。
もしオークが私達にとって有害ではなかったならば? 話し合いが出来る相手であったとすれば?
オークと戦う唯一の理由が失われることになります。ただお互いに憎しみあって、殺し合うだけの行為。そこに意義はありません。
「私は、オークと人間が殺し合わなくても済むようにしたいのです。そしていつかは、今は魔獣であると信じられている他の種族の者達とも、意味のない殺し合いをしなくて済むような世の中にしたいと思うのです」
オークのように魔獣として扱われている生物は、他にもたくさんいます。また、私達が友好的な関係を築けてはいるものの、言葉が通じない種族も存在します。
それら全ての種族と友好的な関係は築けなくても、少しでも関係を改善出来ることが出来るのならば、それは素晴らしいことだと私は思います。
「リリー……お前の言っていることは、素晴らしいことだと思う。だが、それはとても難しいことでもある」
「……」
「染みついた価値観というものは、そう簡単には拭い去ることが出来ない。いくらお前が『オークは安全だ』と主張したところで、それを信じてもらうにはとてつもない時間を必要とするだろう」
「……はい」
「私は、娘であるお前のことを信頼している。そんな私ですら、お前の言葉を完全に信じられないでいるのだ。それほどまでに、人間の魔獣に対する感情は、悪い」
「……」
「勘違いをしないでくれよ? お前の顔を治してくれた、アルトというオークには感謝をしている。会って礼をしたいと思っている。しかし、だからといって他の全てのオークまでもを無条件に信頼することは出来ない、ということだ」
……無理もないことだと思います。私は、アルトさんに実際に会って、彼の人柄に触れたからこそ、『オークに害意は無い』というあの方の言葉を信じられたのだと思います。
実際に、コミュニケーションを取ることが出来るオークに会うことがない限り、人間が、オークやその他の意思ある魔獣に歩み寄ることは出来ないのでしょう。だからこそ……。
「だからこそ、私は人間と魔獣との懸け橋になりたいのです。私とアルトさんが懸け橋となって、人間と魔獣が共存出来るような世界を作りたいんです」
それは、とても大それた願いなのだと思います。きっと、私が生きている間にその世界を目にすることは出来ないでしょう。
ですが、最初の一歩を踏み出すことくらいなら、私にも出来るはずです。いえ、私がその一歩を踏み出さなければならないのです。魔獣と言われるオークに助けてもらった人間として、そして人々を導く貴族として。
首に掛けたネックレス。今はただの宝石のように輝くその真珠をお父様に見せます。
「対になっているネックレスをアルトさんに渡しました。これが……私の覚悟です」
その言葉にお父様は目を見張った後、頭を抱え込んでしまいました。
異性に『共鳴の真珠』を渡すという事。それは、婚姻の申し込みを意味します。それは相手がどんな種族であろうとも、その意味を変えません。……オークに渡すことを想定してはいなかったと思いますが。
特に、儀礼事を重んじる貴族にとって、その行動の意味は重いです。貴族の娘が『共鳴の真珠』を渡すという事は、まさに誓いを立てるということ。それを自らの意思で破るということは、不貞を働いたも同じです。
アルトさんは、きっとこの真珠の意味を知りません。
そして、オークに婚姻の制度があるのかどうかすら、私は知りません。
今はまだ、お互いのことを何も知らない人間とオーク。そんな二人が、お互いのことを分かり合えるような未来を作る。それは、夫婦のような信頼が無ければ成し得ないことであると、私は考えます。
その遥かな道のりを、アルトさんと共に歩んでいければと、私は思っています。
※
「お呼びでしょうか、閣下」
少し灰色が混じり始めた髪を、キレイなオールバックに整えた男が入室してくる。その姿に、オルブライト辺境伯は少し、相好を崩した。主人と家臣の間柄とはいえ、長年の付き合いである。辺境伯は、友情に近い感情を男に感じていた。
男の名は、ハリソン。
辺境伯家が有する私軍において、副隊長の任務に就いている男だ。
「ハリソン……お前に頼みたいことがある」
言葉と共に、大きなため息が漏れる。
無理もない。つい先ほど、実の娘であるリリーから衝撃の告白を受けたのだから。思えば、もう一人の娘であるアレクシアがリリーの顔に大火傷を負わせて以降、彼の神経が休まることはなかった。
辺境伯は手短に状況を説明する。
「そこで、お前にはリリーの護衛を頼みたい。親バカだとは思うが、あの子の身の安全を守って欲しいんだ」
辺境伯は、ハリソンのことを信頼していた。実力はもちろんのこと、その人柄もである。
数年前まで隊長職にあったハリソンは、次世代の育成のために惜しまれつつも自ら身を引いた。今は副長となっているが、実際は相談役といったところである。
そのような立場にあれば、院政のようなことをすることも可能であろう。しかし彼は、副長職に就いて以降、一貫して現隊長を立てるようにしている。アドバイスのようなことをするのも、現隊長が本当に困っている時だけだ。
その成果もあってか、現隊長をトップとする私軍の組織も、最近ではしっかりとしてきたように感じられる。ハリソンという命綱が無くとも、軍紀が乱れることはないであろう。
「よろしいのですか? リリー様の護衛となれば、他に手を挙げる者はいくらでも居ると思いますが?」
「だからこそだ。あの子の護衛となれば皆が手を挙げるだろう。それこそ、私軍を総動員して護衛するということになりかねない」
現に、リリーの顔を治せるオークを探す際には、数多くの騎士が投入された。リリーがオークに連れ去られたという一報が入ってからは、さらに多くの騎士を投入することになった。
公私混同とも言えるその行動を、オルブライト辺境伯は反省していたのである。
「今回のことは、いわばあの子のワガママとも言える。大儀があることではあるが、領としての命運を賭けるに値するものだとは、まだ言えない」
オークを始めとする魔獣の脅威が無くなれば、領民の暮らしがさらに向上することは間違いない。しかし、諸手を上げてリリーの行動に賛同するには、リスクが高すぎた。
「なるほど……そこで、必要最低限の人員でリリー様の身を守り、かつあの方の行動をサポートする、ということですな?」
「……頼めるか?」
ハリソンは少し考えた様子を見せ、主人たる辺境伯に答える。
「騎士から一名、あと影を数名、お借りすることは出来ますか?」
その申し出に、辺境伯は首を縦に振る。
しばらく、どのようにしてリリーの警護を行っていくかについての議論が交わされた後、ハリソンは笑いながら言った。
「心配なされるな。私が、そのオークがリリー様にふさわしい男かどうか、見極めて参りますので」
その言葉に、辺境伯は苦笑いを浮かべる。
本音を言うならば、オークという時点で、娘の相手にふさわしくないと駄々をこねたいところである。いくら娘の顔を治してくれた恩人であっても、それはそれ、ということだ。
「厳しめに判定してくれよ?」
まだ見ぬオークの大賢者、アルト。そんな彼へのささやかな対抗心を、短い言葉に込める辺境伯であった。




