ご馳走と、はらぺこのあむし
「ノ、ノア君と、お付き合いさせていただくことになりました」
『はじまりの地』の昇降機出入り口近くの公園の四阿で、彼は明花が成りかけ機人に頬を赤らめながらやけに神妙な面持ちでそう報告するのを、微笑ましそうに見つめていた。
この姿の成りかけ機人と自分が顔を並べているせいで、きっと彼女は固くなっしまったのだろう。
彼女と彼と彼の父親(偽)……この面子では交際開始の報告に緊張もするだろう。
明花によって"ジル"と名づけられた成りかけ機人が
「普通に、お付き合いからなんだな……」
と、彼に懐疑の視線を彼に向けて来る。
「まずはね」
但し、そこからはじまりはしても今も純真さを失ってない彼女の望む"おつきあい"の枠の中に、一体いつまでいられるかは明言できない。
「……そうか」
機人は自分の手前に置きっぱなしだった瓶入り飲料を彼と彼女の前へと押しやると席を立ち、
「まあ、仲良くやることだな」
と、ポンとひとつ、明花の肩を叩いた。
「うん、ありがとうジル」
視線で見送る彼女に一瞥もくれず、ジルは後ろ姿で手を振りながらフラリと歩き去る。
たぶんあの機人はこの場に居辛かったのだろう。
なにしろ機人は800と27年間、地球で明花が死んでからの彼を見て知っている。
恋慕と表現するには狂気的で、執着との表現でもまだ足りない"妄執"とでも言う他ない彼の想いを、あの機人は知っているのだ。
「ノア君、不束者ですがよろしくお願いします」
頬を染め、膝に手を置いて改めて頭を下げて来る彼女の可愛らしさに彼は
「うん。こっちこそ、よろしく」
と、微笑んで自分も小さく頭を下げた。
嬉しさと照れとが入り混じった彼女の表情がいかにも明花らしく、とても魅力的に感じた。
溶液の中、完全な眠りに就く前の再会時は、彼女の人格が戻った嬉しさに気を取ら過ぎていた。
機人が携え来る映像ではなく肉眼でその姿を見られる機会だったにも拘わらず、仔細に観察見分もせずにいたのは、迂闊だったと彼は思った。
映像の中だけではあってもメイ・リンヒルとして動いていた頃も、彼の知る"彼女"そのままのように見えていた。
だけどいま、目の前にいる少女の表情を目の当たりにして、この彼女こそがかつて彼を惹きつけ止まなかった本人なんだと、つくづく実感した。
地球での最後の日々が近づきつつある頃、彼は来るべき時に備えて、明花の全身の詳細なデータ取りを電脳に命じ行わせていた。
骨格はもとより、表面には見えていない部分の筋肉も体型の復元には重要な要素。
ことに表情筋と呼ばれる部位や、顔面に赤味を乗せる血管の形状と分布は、気温や時間等、条件を変えて何度も走査を行った。
この他にも、毛髪や体毛、皮膚に桜色した可愛らしい爪、見える部分と見えない部分に散見されるいくつかのホクロの形と色も、取れるだけのサンプルと、取れるだけのデータをとり、彼女の身体を別素材で復元するための資料としたのだ。
「なんか……起きてるノア君と会うの久しぶりなせいかな。嬉しいけど、ちょっとテレちゃう……」
100年の時を"久しぶり"の言葉で済ませ、明花ははにかんだ様子で機人が置いて行った瓶入り飲料に手を伸ばした。
「あのね、この飲み物けっこう美味しいんだよ。グレープフルーツっぽい味の柑橘をアイスティーで割ったやつなの。ここ来て屋台が出てるといつも買ってね、ノア君の部屋で飲ませてもらってたんだ」
蝋紙を被され紐で括っただけの簡素なフタを開ける、彼女の指先。
健康な血色が透ける丸い爪も、指の長さも、紐をつまんだ時に緩く立てられた小指の描く曲線も、時の流れに薄れつつあった彼の記憶を刺激する。
「明花のお薦めは、だいたい美味しいよね」
どのエピソードを指しているのか本人すらわからず自然に出て来たその言葉を耳に、彼女は嬉しそうにしながらも、眉尻を少し下げた。
「……コーヒーの好みは違うけど」
言われて彼も思い出す。
ミルクと砂糖入りの彼と、薄いブラックを好む彼女。
少し猫舌で、コーヒーが冷めるまでカップから立ち上る湯気を顔に当てて香りを楽しむ彼女の表情は、日向ぼっこの猫を彷彿とさせた。
懐かしさに頬を緩めながら、彼は彼女に倣って手元の瓶入り飲料の蓋を開け、口に含んだ。
芳醇な紅茶の香気と仄かな渋みが、グレープフルーツ風の柑橘の爽やかな酸味と苦味と良く合っている。ガムシロップで糖分が少量添付されているらしく、僅かばかりの甘味が舌に優しい。
「うん、やっぱり美味しい」
思えば、治療用水槽の溶液を出てから初めて口にした飲み物だった。飲み下してからも口中に残る味と香りの快さに、彼は自然と二口目、三口目と瓶を傾ける。
「良かった……」
安心したように嬉しそうに言う彼女の両の目から、不意にポロポロと涙の粒が零れ落ちた。
「わ……やだ、ごめん。なんかっ……本当にノア君だなーって見ててしみじみ思ったら、う、嬉しくて……っ」
笑顔のままに流れ落ちる明花の涙に慌てて彼は、つい入れた覚えの無いハンカチを求め自分の衣服を探っていた。
機人に渡されるまま身に着けたクレリックシャツの胸ポケットの中、彼の手は綺麗に畳まれた薄青のハンカチを見つけた。
「明花、これ……使って」
椅子から腰を浮かせてテーブル越し、彼は彼女の目もとにハンカチを当てて涙を拭う。
おそらく機人はこうなるだろうことを予測して、ポケットにこれを忍ばせたのだろう。後々気が付いたことだが、チノパンの後ろポケットにもハンカチは一枚入っていた。
「ありがと……ノア君」
ハンカチの受け取り際、触れた指先に照れてか、顔を赤らめた彼女が礼の言葉を口にする。
「……鼻もかんでいいよ?」
涙のせいで鼻をグズグズ鳴らす様子を見かねて彼が言えば、明花は笑ったまま首を振った。
「大丈夫、こーなると思ってね、ちゃんとティッシュ持って来てるんだよ。……ちょっとごめんね」
謝りながらしゃがみ込み、足元に置いていた荷物からごそごそとティッシュを出してテーブルの陰に隠れて鼻をかむ。
小さな頃から共に育った幼馴染であるからこその気安さと、好きな人の前で鼻をかむ姿は見せないとの彼女の微妙な線引きが、やっぱり懐かしく愛おしく思える。
「ねえノア君。この後って時間ある?」
「急ぎの仕事は特にないから、ぜんぜん時間はあるよ」
「本当? じゃあ、一緒にお昼ご飯食べようよ。あのね、ノア君ずっと寝てたし、起きてすぐに普通の食事って大丈夫なのかなって思ったんだけど、ジルに聞いたら問題ないって言ってたから私、お弁当作って来てるんだ」
テーブルの下から立ち上がった明花は、両手に抱えた籐編みの蓋つきバスケットを彼の前に示してそう言った。
「明花の料理なんて、本当に久しぶり。嬉しいな」
それこそ、最後に彼女が作った料理を口にしたのは、地球で彼女が高校生になってすぐの頃の事だった。
「ね、だったら、ここじゃなくちょっと歩くけど、海の方に行こうよ。何年か前に下の方に降りてく遊歩道が出来たんだけど、景色が良くて今の季節、すごく気持ちいいんだから」
「下? へえ……僕が覚えてる限りだと、この辺、本当になんにも無い場所だったのに……すごいね」
「石畳のキレイな遊歩道だよ。ここら辺、どう考えても将来観光地になるのは仕方ないでしょ? だからね、自然保護区にして整備した道路とか以外、今のまんまの景色を残す方向で行くことにしてもらったの」
半分飲みかけの瓶入り飲料を二本、手に持ったバスケットの端に押し込んで、彼女は彼のシャツの端を引く。
彼ははしゃぐ明花の手から黙ってバスケットを取り上げると、丘の下の海岸線へ降りる遊歩道があると言う方角へ、連れだって歩き始めた。
「荷物は私が持つよ? たぶん今だと、私の方がノア君より力持ちだもん」
「明花がお弁当作ってくれたから、せめてこれくらいはね」
自分が作った身体の事だ。彼女の身体能力は把握している。
身体能力を強化された彼女と比較すると膂力で劣るとは言え、彼にしてもバスケットの一つや二つ、苦になるような重さでもない。
歩きながら彼が片手で荷物を軽々持ち上げそれを示すと、明花もそれ以上は食い下がることもなく、むしろ嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「わーい。ノア君とデートだね!」
彼女がもしも尾のある獣人種だったなら、その尻尾は恐らく盛大に左右に振られていたに違いない。
嬉しいというその感情を、彼女は真っ直ぐ隠し立てすることが無い。
「じゃあ手、繋ごう」
「え!?」
「だってデートだよ」
「…………うんっ」
差し出された彼の手に、明花は着ているワンピースの前面で拭った自分の手をおずおずと重ねた。
「……嬉しいけど、ちょっと……照れる」
羞恥でか、彼女の俯いた顔は身長差もあって伺えないものの、サラリと肩から胸の方に滑り落ちた髪から出た耳の赤さがその顔色を雄弁に語っている。
冒険者などと言う職業を長く続けている彼女だが、体躯は比較的華奢で、当然のように手も大きくはない。女の子らしい指先の細い手指と柔らかい掌は、握っていて気持ちよかった。
地球での最後の数日間にも、彼は彼女の手を繋いだりその身体を抱き支えたりした。
しかしあの頃には既に明花は窶れて弱り果て、肉がそげた手指は枯れ枝のような痛々しい状態。
今現在の彼女の身体はそれより以前、まだ健康だった頃の明花を電脳が詳細に計測したデータをもとに作り上げたものだ。
髪色等の色彩は彼女曰くの"過去世"と"現世"では違っていても、髪の質感や睫や眉の長さに生え方等、直接彼が当時の彼女を見知っている個所、触れたことがある部分は、こだわりにこだわり抜いて再現している。
今の身体が完成するまで、何体もの身体を試作してはやり直し……その繰り返しを重ねた上で、ようやく現在の彼女の姿はある。
培養槽内部で生成された彼女の身体は、各部位ごとに何度もチェックをした。
その折、この手にも触れる機会はあったのに、当時と今とでは全く感じられるモノが違っていた。
滑らかな皮膚に覆われた指と、肉づきが良い訳でもないのにフニャッと柔らかな手は酷く彼女の女の子らしさを感じさせ、もっとその感触を味わいたくて、そっと重ねられているだけだった彼の手に思わず力が入ってしまった。
「!…………」
微かに肩を揺らした後で、まるで返事を返すように彼女の手にもわずかに力がこもる。
その力のかけ加減の不慣れさが愛おしくて、身体にジワリと熱が生じた。
「……え、と、あのね。お弁当の中身だけどね、おむすびさん作ったんだよ。ノア君、この世界にも地球にあった作物っぽいのをいっぱい持ち込んでくれたから、ここでも普通に和食とかいろんなもの食べれるでしょ? なに作ろうかなって悩んだんだけど、どっちかって言うと私、和食の方が上手に出来るしね。だから今日は、おむすびを主食にしてみたんだ」
流れ的に不自然は無いものの、照れ隠しであるのが分かり易い唐突な話し始めで、明花はバスケットの中身について語りだす。
異性との接触にこなれた感じが全くしないその反応に、彼は胸の裡に湧きあがる喜びを噛みしめながら、その話題に乗ることにした。
「何のおむすび?」
「シソ梅とジャコと胡麻をまぜ込んだやつ。ノア君好きだったよね? それにカイザーサーモンの塩漬け焼き入りでしょ、あと、ネギ味噌の焼きおむすびの三種類」
「へぇ、カイザーサーモンって言うと、第49階層のかな? それともこの大陸の北端の海で?」
「え、この大陸でも獲れるんだ? 良い情報もらっちゃった。これは第49階層のだよ。でね、お菜はカボチャの海老そぼろあんかけと、青菜の和え物に、湯剥きしたミニトマトを濃いお出汁と塩と柑橘で漬けたお浸し。で、メインは定番の唐揚げと思ったけど、起き抜けにソレだと脂っぽくて重いかなーって変更して、今朝私が狩って来て捌いたホワイトコカトリスの串焼き、ネギマ塩にしたんだよ。使ってる部位は首肉がメインだけど、ちょっと腿も入ってるよ」
「ホワイトコカトリス……なかなか凶暴な鳥だけど……そっか、明花が狩って来たんだ」
「そう私が。だからね、これ以上ないくらいすごく新鮮だし、この目でバッチリ選りすぐった個体から獲った良いお肉なんだから」
話す内、幾分"照れ"と緊張から脱したらしく、頬の赤味が薄れて自然な笑顔になった明花は少し得意げに、ネギマ串の肉についてを饒舌に語る。
彼女が冒険者であることは分かっていたのだが、女の子らしい気遣いに溢れた手作り弁当の中に予想外にワイルドな要素が混入している事実に、彼は一瞬だけ戸惑いを覚えた。
だが、ネギマ串の為に朝から狩りに出る彼女の行動も、彼が好きな料理を出来るだけ美味しく作ろうとしてのことと思えば、覚えた戸惑いも嬉しさに転じた。
「で、卵焼きの甘いのも焼いたの。本当はノア君、お出汁たっぷりのフワフワ出汁巻卵の方が好きなの知ってるんだけど……あれって、冷めるとお出汁が浸み出してペシャンコになっちゃうでしょ……?」
「お弁当、全部美味しそうだね」
「お料理はね、ちょっとだけ頑張って修行したんだから」
「明花は前から料理上手だったよ」
「ノア君の口に合うといいな……」
また少し頬の血色を鮮やかにして彼女ははにかみの表情を見せた。
その嬉しげで恥ずかしげな様子の奥に、確かに自分に対する強い好意を感じ取り、堪らないな……と彼は思った。
「……絶対に美味しいよ」
何しろ彼は飢えている。
「もう、食べる前にハードル上げないで。食べてから感想言って」
「大丈夫、お腹ペコペコだから、絶対美味しいって」
「あ、ノア君ひどーい」
冗談めいたやり取りに、目もとを笑みに和ませながらふくれっ面と言う器用な表情で文句を言う彼女だが、これは冗談事ではなく、彼の"餓え"は真実だ。
但し、餓えているのは胃袋よりも、彼女と言う存在に対する飢餓ではあるのだが。
「早く食べたいな」
「あれ? やだ、もしかしてノア君、本っ当にお腹すいてた!?」
「うん、だって……ずっと食べてないから」
「わ……そっか。100年以上あの治療用水槽に入ってたんだもんね! もう直ぐだよ、そこの大きい岩のトコ曲がると、海と砂浜が見えるから……ほら!」
繋いだ手をグイグイ引いて、明花は彼を海辺の一角へと誘った。
景色が良いとの言葉通り、ところどころにピンク色の花を今が盛りと咲かせた低木の群生を置き、白い砂浜を近景に、深い鮮やかな青の海原が緑の島影をポツポツと浮かべながら広がる光景は美しく、吹く風は澄んだ潮の香を含み、爽やかだった。
「そっちの岩の日陰になってるところにシート敷くから、そこで食べようよ」
「ああ……海が見えて眺めがいいね。それ敷くの、僕も手伝うよ」
青と白のギンガムチェックのレジャーシートを敷いて、彼と彼女は腰を下ろした。
「とりあえずコレ、おむすびさんと卵焼きとか。で、喉詰まったら危ないからさっきの飲み物ここね。お茶の道具も持って来てるから、後でお湯作って熱々淹れるよ」
目の前に取り出されて並べられるおむすび入りの竹籠と、木製のお弁当箱の中に並べられた経木のカップの中の彩り鮮やかなお菜の数々。
深めのバスケットからそれらを取り出そうと彼女が屈むたび、シンプルな形のワンピースの襟ぐりから鎖骨の下あたりまでがチラチラと覗いた。
「やっぱり、美味しそうだ」
渡された箸と木製の取り皿の取り皿を手に持って、彼は目を細めた。
「どうぞ、召し上がれ」
「うん、いただきます」
軽く両手を広げて料理を勧める笑顔の彼女。
彼は地球に住んでいた頃を思い出しながら、箸を持ったまま両手を合わせ、差し出された料理に手を付けた。
「うん、美味しい」
「ありがと。ネギマ串はちょっと待っててね。いま電子レンジっぽい魔法であっためてから、火の魔法で軽く炙るから」
「……魔法、活用してるんだね」
予想外の魔法使用法に思わず笑いながらそう言えば、彼女は鳥の串焼きを真剣な表情で温めつつ、
「せっかくノア君が使えるようにしてくれたんだもん。活用しないともったいないよ」
と、当たり前の事のようにそう答えた。
一抱えほどのサイズで丸い空間が橙色に発光するエフェクトの中、葱と鳥とが刺された串が香ばしい香りを周囲に漂わせ、やがて表情をやや緩めた明花が炙り終えた串に粗目の塩をパラパラと振り、彼の方へ差し出した。
「はい、出来上がり~」
「ああ……いい匂いだね」
「でしょ? でも本当はね、これも出汁巻卵と一緒で、出来立てが一番だと思うんだよね。温め直しじゃなく、ちゃんと炭で焼いた焼きたて食べて貰いたいな」
「炭で焼くんだ?」
「もちろん!」
「あ、美味しい。歯ごたえがしっかりしてて……肉味が、濃い」
「そうなの、ホワイトコカトリスって味がいいんだから! でもね、生の炭火焼きの出来立ては、次元が違う味なんだよ。ぜひノア君に食べてもらいたいの」
シートの上にペッタリ座って、彼女はネギ味噌の焼きむすびを頬張る合間、いかに焼きたてのホワイトコカトリス肉が美味嘉良であるかを力説した。
彼女の言う通り、食べたことはないが確かにこの鳥の焼きたてはさぞかし旨いのだろうと思う。
だが、彼女の温めてくれたネギマ串は十分に美味しいし、甘い卵焼きや出汁と爽やかな柑橘の酸味と香りを吸ったミニトマトも美味かった。
地球の頃にも年齢の割、それなりに料理上手であった明花だが、今はもう、その腕は次元の違うレベルでの進化を遂げていた。
「じゃあ……作って貰おうかな。いい?」
「作る作る! どこで食べる? 私の部屋だと『はじまりの地』の冒険者ギルド本部の建物内になるけど、来る? それとも、ノア君の部屋に行こうか? あれ、でもあそこだと料理作る場所ないよね」
「この『はじまりの地』の方の天空城に今度から住もうかと思ってるんだ」
「あ、ジルがそんなこと前に言ってたよ」
「うん。しばらくの間はそこに住んで、この世界作る時に出来た新しい技術とかを、えーと……日本風に言えば特許出願? の手続きをしたり、地下で眠ってた間のレポート見たり、しばらくこの世界の推移を見守ってる心積りだから、あそこを拠点にしようかなって」
「そこ、お台所あるんだ?」
「えーと……作るよ」
「むぅ……ノア君の食生活、すごく怪しいよね!」
「……じゃあ明花が、助けてくれないかな?」
「……うん!」
きれいな景色の中で可愛い彼女と共に過ごす一時は、とても幸せな時間だった。
掛け値なしに旨い手料理で胃の空腹は満たされてはいたけれど、足りない……と、彼の中の"飢餓"が言う。
「じゃあ、明花が使いやすいような厨房設備大急ぎで造るから、食べさせてくれる?」
「わかった。続けてネギマ串ってのも詰まんないし、むかしお爺ちゃんが作ってくれた宮崎風の黒い炭火焼きにしようかな。それと出汁巻卵と……他、食べたいもの、ない?」
「ん? ……じゃあ、とりあえず今は、これかな?」
彼は身を乗り出して無防備に自分のすぐ前で寛ぐ彼女の顔へと手を伸ばし、唇に触れた。
「……明花の口に、お弁当発見」
下唇にくっついていた米粒を一つ拾い上げ、躊躇なくパクリとそれを食べれば、触れんばかりに間近にせまった彼の顔を丸めた目で見ていた彼女の顔と言わず全身が、瞬時、驚くほど真っ赤に染まる。
「ノ……っノア君の……意地悪!」
「ごめんごめん」
恥ずかしがる彼女に謝罪の言葉を告げながら、彼は心の中でもまた、詫びの言葉を呟いていた。
あんまり急いでこんな彼女を追いつめるような真似をするのは、彼にしても可哀想だとは思っている。しかし、恐らく長い期間の我慢はたぶん出来ないと思うから、ごめんね……と。
「もお、ご飯くっついてるならそう言ってっ。そうじゃなくて、何を食べたいのかって話なのに」
「……そうだな、頭から丸齧りがいいかな……」
「丸かじり……!? え、なんだろ……煮干し……は料理じゃないよねさすがに。あ、ソフトシェルシュリンプのガーリック焼きとかいいかも。頭からガブっと齧ると美味しいんだよ」
「うん、明花のなら何でも色々食べたいから、それがいいかな?」
「じゃあ、お台所が出来たら教えてね?」
「わかった、急いで作るよ」
なにしろ927年もの時間なのだ。
手に入れられない筈だった彼女を裏技を駆使して攫い出し、通常不可能なところを無理やりに可能にして再生し、やっとこうして彼の作った世界と言う名の檻の中に囲い込んだ。
自分の領域の内へ、内へ……けっして逃げられないよう追いつめて、千年に近いお預けの後にやっとありつけるご馳走は、どんなに美味しくてもたぶんそう簡単には彼の"飢餓"を満足させられない。
「楽しみだな……」
海辺のレジャーシートの上で綺麗な顔をしたはらぺこノア虫がそう言えば、暢気な顔のご馳走が
「頑張って美味しくするよ!」
と、笑って拳をギュっと固めた。
「なるべくガツガツしないように気をつけるから、許してね」
若干、耳の辺りを赤く染めた彼が、彼女に詫びの言葉を呟やいた。
彼女は小首を傾げ、
「ノア君、綺麗に食べるから大丈夫だよ。私、たくさん食べてくれた方がうれしいよ?」
と言ったので、彼はたくさんそれを食べることにした。
「……丸齧りどころか、丸呑みしちゃいそうだな」
苦笑いの彼の言葉に彼女がビックリ顔で
「喉が詰まっちゃうから丸呑みはダメだよ。よく噛んでゆっくり味わって食べて!」
と、そう言うので、ご馳走はよく噛まれ味わい尽くされてゆっくりと食べられる事になった。
きっとそれはいつまでもいつまでもモグモグと彼に食べ続けられることになるだろう。




