3.古代椎良
「――待ってください!」
気がつけば、ドアノブに手をかけた墨子さんに、大声で待ったをかけていた。
思いの外大きな声で呼び止めてしまった所為か、墨子さんは少し驚いたような表情を浮かべて、首をこちらに向ける。
「お、おれ……」
言葉がどもる。口の中でもんどりうって出てこない。
今まで〈自分の言葉〉で話してこなかったんだから、当たり前だ。適当に誤魔化していなしてばかりいた俺は、いざそれを手放してしまうと、見るも無残な残骸しか残っていなかった。
それでも、残骸を掻き集めてもう一度、俺という個人を作らなきゃ。
そうしないと俺は、今までと同じままだ。
「お礼を、ですね……させて欲しいんです」
今度は俺が、墨子さんを真っ直ぐ見つめる番だった。
「『イカ多めの特上盛り合わせ』ってあれ、言葉だけで終わらせちゃ駄目だと思って。今度、きちんと用意して持って行きたいんです」
「お礼なんて要らないわ」
しかし哀しいかな、墨子さんは俺からの提案を即座に退けた。
深いため息の後、こちらに向き直った墨子さんは、右手をこめかみの辺りに当てながら、あのね、と言う。
「別に私は、お礼が欲しくて叶え人の件に関わっているんじゃないの。私の目的は、そんなのじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
殺気すら感じそうなほどに怒気を孕んだ口調に、反射的に謝罪の言葉が出た。
墨子さんの逆鱗に少しでも触れようものなら躊躇なく刺されるという実体験を伴った教訓が、恐らくは必要以上に俺を委縮させている。だけど、抜糸したばかりの左肩の傷が疼いたのも、決して気のせいではない。
「それに」
どうやら、完全に墨子さんの地雷を踏み抜いたようだ。この感じだと、これから本格的なお説教モードに入るんだろうかと、密かに覚悟を決める。恩人であらせられる墨子さんの説教だ、有り難く傾聴しよう、と思ったのだが。
「……高校生に寿司を奢られる社会人なんて、世間体最悪じゃない……」
「……」
存外、一般的な答えが返ってきた。
都市伝説になるような人も、世間体とか気にするんだ……。
「そういうわけだから、お礼なんてしようと思わなくて良いの。強いて言えば、お礼をしないことこそがお礼よ」
「で、でも……」
「わかったら返事!」
「は、はい!」
有無を言わせない墨子さんの言い様に、思わず返事をしてしまった。が、ここで引き下がるわけにはいかない。
「あの、墨子さん!」
今度こそ、意を決して挑む。
「なによ。見送りなら結構よ」
「弟子入りさせてください!!」
「見送られるのって昔から苦手なのよ――って、は?」
再度ドアノブに手をかけていた墨子さんは、険しい顔をして首だけ振り返る。
「今、手数入りって言った?」
「いえ、弟子入りって言いました」
手数入りって、確か相撲の土俵入りのことだよな。……仮に俺が「手数入りさせてください」って言ったとしたら、墨子さんはどんなリアクションを取ったんだろう。少し気になる。
「弟子入り、させてください。墨子さんのお手伝いがしたいんです」
「駄目よ」
果たして、墨子さんはほとんど喰い気味に却下した。
さっきのお礼の話以上に強い拒絶だということくらい、俺でもわかる。
「叶え人関係の事件は命に関わるほど危険だって、貴方が一番わかっているんじゃないのかしら。あの薬は、もう人殺しさえ可能にしてしまおうとしているのよ。そんなところに首を突っ込もうとしてる馬鹿を、私が許可するはずないでしょう?」
「で、でも、タコさんは弟子にしてるじゃないですか」
「あれはストーカーの類よ。弟子にした記憶はないわ」
「じゃあ俺も墨子さんのストーカーになります!」
「警察に突き出すわよ」
「じゃあ弟子入りさせてください!」
「却下」
「弟子入りって言葉が悪いんですか?! じゃあ幇助って言えば良いんですか?!」
「私はなにもやましいことやってないわよ馬鹿!」
……以下、割愛させてもらうが、こんな感じのやりとりが、双方の意見は全く折れず妥協案も見つからないまま、三十分ばかし行われた。互いに息も切れ切れで、徐々に、自分は一体なにをしているんだろうと疑問にさえ感じた頃に、状況は動いた。
「――わかった、わかったわ、古代椎良。そんなに言うなら弟子入りさせてあげようじゃないの」
「本当ですか!」
平行線を辿った戦いは、意外にも、墨子さんのほうが先に折れるという結末を迎えようとしていた。
「だけど、条件つきよ。それが飲めないようであれば、素直に諦めることね」
「わかりました。それで、条件っていうのは?」
固唾を飲んで、墨子さんの言葉を待つ。
一体どんな条件を出されるのか、微塵も予想がつかない。命の危険がついて回るようなことに関わろうとするのだから、指の一本でも詰めろとか?
「……シイラ、じゃそのままだから、そうね……」
呟きながら考えていたらしい墨子さんは、しばらくの後、ひらめきを得たように指を鳴らす。
「シーラカンス」
「え」
「シーラカンス――それが貴方のコードネームよ。弟子入りするのであれば、私は常に貴方をそう呼ぶことにするわ。それが嫌なら、弟子入りの話はなかったことにしましょう」
「良いですよ」
「でしょう? それが普通の反応よ――は?」
満足気に頷いていた墨子さんは、本日二度目のノリ突っ込みを決めた。
「俺、今まであだ名らしいあだ名なんてつけてもらったことないから、なんだか嬉しいです! そんなのが条件なんて、墨子さんは優しいんですねっ!」
「最近の高校生の感覚がわからないわ……」
「え?」
「な、なんでもないわ。それなら……条件その二よ」
大袈裟な咳払いをし、墨子さんは右手の指を二本立てて俺に見せた。
「ひとつじゃなかったんですか?」
「当たり前じゃない」
「まあ構いませんけど。それで、ふたつめの条件って?」
静かに部屋の中を見回す墨子さんに、俺は大人しく話の先を促す。
「条件その二は……髪の毛」
「えっ」
まさか頭を丸めろとか言ってくるのだろうか。
墨子さん、見た目によらず体育会系な性格なのかもしれない。
「髪の毛、に――ピンクのメッシュを入れられるものなら入れてみなさいよ」
「メッシュ、ですか」
若干喧嘩腰の墨子さんに、俺はおうむ返しで訊く。
メッシュとは、これまた予想外な。
「うっすらピンクとか、そういうのは駄目よ。ショッキングピンクくらいの迫力がなきゃ許可しないわ。まあ貴方が学生である以上、染髪はハードルが高いんじゃない? ましてピンクだもの、馬鹿じゃなきゃしないわ。無理なら良いのよ、貴方が弟子入りを諦めるのであれば、私はそれで一向に構わないから」
早口でそうまくしたてた墨子さんは、それではごきげんよう、なんて上品な挨拶を最後に古代家を後にしたのであった。
髪を染めることそれ自体のハードルは、確かに高い。だけどそのハードルを越えさえすれば、墨子さんは俺を弟子にしてくれるのだと思うと、俄然やる気が沸いた。
だから墨子さんが帰った直後にでも髪を染めに行っても良かったのだけれど、さすがの俺にも親の目というものが気になりはする。母さんはともかく、小井川さんに心配されそうだ。
そんなわけで、引っ越し準備のごたごたが少し落ち着いた頃、ようやく美容室へ足を運ぶことができたのであった。
墨子さんの指定通り、ピンクのメッシュ。
勿論エクステではなく、地毛を染めた。どれくらい染めたら墨子さんに認めてもらえるのかがわからなかったから、とりあえず左側だけ。あとは墨子さんにこれを見てもらって、弟子入りさせてもらえるかどうかが決まるのだろうけれど。
あれから、全く墨子さんを見かけなくなってしまった。
なにか目撃情報はないものかと、決死の覚悟で姫路さんに『闇子さん』の話を訊きにいったりもしたのだが、新たに得られた情報はなし。本当、探そうとすると全然見つからないのな、墨子さん。
今はどうしたものかと次の手を考えている最中だが、もう二度と墨子さんに会えなかったとしても、墨子さんに助けてもらい、俺がそれを心から感謝していることに変わりはない。もし弟子にしてもらえないとしても、この髪はその記念にしちゃえば良いのだ。
俺が自ら選んで髪を染めた。
これは、自分の意思でこれから先を歩いていく決意表明でもあるというわけだ。
「ええとね、椎良君。さしでがましいようだけど」
ときは一月二十五日に戻り。
八畳1Kの俺の部屋で、左門さんは言う。
「やっぱりその色は、ちょっと……なんて言うか、人目を引き過ぎるというか……高校生然しないというか……。新しい学校で、友達ができなくなっちゃうんじゃないかな……」
「大丈夫ですよ左門さん。俺、コミュニケーション能力なら、人より多少の自信がありますから」
どん、と自分の胸を叩く。
人の輪に入ること自体は、元より得意なのだ。
「同級生が良くても、先生方が放っておかないだろ? 問答無用で生徒指導室行きじゃないか、それ」
「それも心配ご無用です。俺、授業中はほとんど突っ伏して寝ちゃってるんで、髪のことはバレません!」
ぐっと右手の親指を立てて言い切った。
すると、なんと言うことだろう。あの優しさ満点の雰囲気だった左門さんが一変、後ろに般若の面が見えそうなほどに激怒したのである。
「ばっ……、もっと駄目だよ! 授業中に寝てて良いわけないじゃないかっ! 椎良君の学力がどれほどのものかは知らないけど、でも、思いきり勉強ができるのは学生のうちなんだよ?! ちょっとうとうとするくらいならともかく、突っ伏して寝るだなんて評定が――……」
それから三時間ほど、左門さんにこってり絞られた。
引っ越し初日からお隣のおにーさんに全力で説教を喰らうなんて、どれだけ波乱の幕開けなんだろう。
「それにね椎良君、今はそれが格好良いと思っているのかもしれないけど、そんなのは勘違いも甚だしいだけであって、やっぱり学生は学生らしくあってこそ――……」
これから始まる毎日は、きっと今までとは違うものになるだろう。
いや、違うものに俺がするんだ。
父さんの為でも母さんの為でもない、俺の人生。
ほとんどゼロからのリスタートになるだろうけど、何故だかそれが無性に楽しみで、不意に笑い声が漏れた。
「ちょっと椎良君、どうしてこのタイミングで笑うんだ?! ちゃんと僕の話聞いてる?!」
「へ? ……あ、すみません。もう一回言ってもらえます?」
終
ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました!
感想や評価等、お気軽にどうぞ!




