第38回 張郃、曹操の死を見届ける
衝撃が走った。
「魏王曹操、死す。」
西暦二二〇年(建安二五年)の事であった。
曹操の跡目は、太子である曹丕が引き継いだ。
曹丕は、同年、漢の献帝に「禅譲」をせまり、帝位につくことになった。ここに、漢は滅亡したのである。
この事実を受けて、漢の正統な後継者を名乗る劉備は、蜀漢を建国して、皇帝をなのった。
この時、孫権はあえて帝位に上ることなく、魏に仕えると申し出て、呉王に任命された。
曹操の死は一つの時代の終わりと、新しい時代の始まりとなる。曹丕は、魏の初代皇帝「文帝」となった。
この年は、魏と蜀漢の緊張感が一気に高まり、お互いが牽制をしあった結果、大きな戦は行われなかった。
そして、張郃のもとに訃報が届く。
母親の楊丹が亡くなったという。享年八三歳の長寿であった。張郃は、母との約束を思い出した。
「私がもし、亡くなった時は、父上と同じお墓に入れてください。それと、喪に服すのは一日。一輪の花と共に、墓に詣でてくれれば十分です。」
しかし、張郃は今や西方防衛線戦の総大将である。しかも故郷の冀州鄚県はかなり遠い。張郃は使いの者に言った。
「私は今、この地を離れることは出来ない。しかし、母からの遺言は預かっている。まず、父と同じ墓に埋葬すること。そして、一輪の花と共に、墓に詣でることだった。私は、本日より一日、母の事を思い過ごすことにする。申し訳ないが、私の代わりに、一輪の花を母の墓に捧げてくれ。」
使いの者は拝礼して、戻って言った。
この話は、文帝曹丕のもとに届いた。
文帝はその忠義の心と、母の喪に服させてあげられない現状を詫びる気持ちから、張郃を「征西将軍」に任命した。
今や、魏は大国といえども、張郃なしに西方の平安は保たれない、ということの表れであった。




