第15回 張郃、袁紹軍掃討戦で活躍をする
官渡の戦いで敗れた袁紹は敗走をしたが、何とか体制を立て直した。そして再び曹操と雌雄を決するべく、「倉亭」に出陣した。それを曹操が迎え撃つ格好となった。
この時点では、戦力的に袁紹の優位は変わらない。
しかし、曹操はここで抜擢人事を行う。
何と、降伏してきたばかりの張郃と高覧を先鋒に起用したのだ。
かつての味方に攻撃を仕掛けるわけだが、二人はそういった後ろめたさは何も感じなかった。
ただ純粋に、曹操軍の先鋒として袁紹軍を打ち砕くことに全力を注いだのである。
張郃と高覧が得意とするのは歩兵の指揮であり、曹操は二人に重装歩兵を与えた。高覧が言う。
「儁乂よ。降伏したばかりの我々がまさか先鋒に抜擢されるとは思わなかったな。」
「ああ。これが曹操様と袁紹との違いであろう。受け入れた以上信じる、なかなかできることではない。我ら二人は、この抜擢に応えねばなるまい。」
高覧は頷いた。
張郃と高覧は、重装歩兵を密集して破壊力を高め、突撃を敢行した。袁紹軍の先鋒も重装歩兵であったが、その指揮を採っていた張郃と高覧はもういない。二人の敵ではなかった。
袁紹軍の先鋒には、かつての部下も多く、投降すれば曹操軍で働けることを喧伝した結果、多くの重装歩兵が降伏を申し出た。先鋒がそんな状態では戦にならず、袁紹軍は敗走したのである。
この戦いで、曹操は河北の南部を掌握することが出来た。
そして、この戦いの敗戦が原因なのか、袁紹が心労で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのである。
袁紹亡き今、息子たちが一枚岩となって曹操に挑まねばならないところ、愚かにも袁譚と袁尚は跡目争いを繰り広げたのだ。
曹操がこの隙を見逃すはずもなく、袁紹軍の掃討戦が各地で展開されていくことになる。この際も、張郃と高覧の重装歩兵はその破壊力を発揮し、戦功を積み上げる。
そして、河北は徐々に平定され、曹操の勢力圏に組み入れられていくのである。そして、袁紹の本拠地であった「鄴」も曹操の手中に入った。この時点で袁譚は討ち取っており、残る袁紹の子供は袁煕と袁尚であった。
この二人は、あろうことか異民族の「烏桓」を頼りに逃亡をし、ここから烏桓との戦いが始まるのである。




