第1話 182
幸せで満ちた結婚式に自然と涙が溢れた。親友の幸せそうな表情に愛理の心も温かくなった。
「……風磨、これは?」
「ん? ああー……」
こちらを少し見ただけで応える彼に苛立ちを隠せない。雪乃のような寛容さがあれば他の言葉を選んでいただろうと、後悔したところで遅い。口から出してしまった言葉は取り消しが効かないのだから。
「ーーーーっ、風磨のバカ!!」
「は?!」
思い切りクッションを投げ捨て、子供のようにドタバタと足音を立ててリビングを出ていった。
風磨が忙しいのは分かってる。
結婚式の準備に時間を割く余裕がないくらいに、社長から直々にしごかれる日々が続いていて……学生の頃のように、自由な時間があるわけじゃない。
次期社長として、さまざまな対応力が求められて、それに必死について行けるように休みの日もパソコンと睨めっこの日が多い…………分かってる、分かってはいるの……でも!!
寛容さとは程遠い子供っぽさを自覚しながら電話をかければ、変わらない声色に自然と綻ぶ。通話しながらも向かうのは、親友である雪乃の自宅だ。
私生活だけでなく仕事も順調な彼女を羨ましくもあるが、描くための努力を知っているからこそ応援し続けているし、今でも【月野ゆき】のイチ読者として書籍も購入していた。書店に並ぶ前に手にした本は保存版で、購入したものを愛読していた。それは一條雪乃になってからも変わりはないが、新刊が出る度に予約購入を繰り返す愛理にも分かる。生み出す作業は、とてつもない労力がいるということが。
だからこそ、風磨の忙しさは分かっている。そう頭の片隅ではもう少し労いの言葉があってもいいのではと、思った所で素直になれない。自身の性格に溜め息が出そうだ。
「雪乃ーーーー!!」
思いきり抱きついて癒しを求める。初めて会った日の事は今も鮮明に覚えている。彼女に出逢わなければ、今の愛理はいなかった。そう断言できるほど、甘やかされて育った性格の典型的であり、両親が高齢で一人娘という事もあって我儘が通る環境だったからこそ、自身が一番であると勘違いしても致し方ないことだっただろう。
今となっては分かる事もあるが、当初は分からなかった。この世にこんなに綺麗な子がいるなんてと。
悲しい訳じゃないのに涙が出る。
『心が……叫んでいるんですよ……』
それが彼女自身に向けて告げた言葉だと知った時には、一人で立ち直っていた。甘ったれた自分が恥ずかしくなるほどに。
「…………それで、言いすぎたと?」
「うん……」
「風磨なら分かってくれるでしょ?」
「……そう、だけど…………」
行き場のない想いに自身のダメさ加減が浮き彫りになる。本当は違う言葉を口にしたかったが、止まらなかったからだ。
……分かってる…………今が頑張り時で、大変な時期だってことくらい……
反省した所で素直になれない性格が憎い。親友のような素直さがあればと、羨んだところで変えられない事は分かっていた。
「……雪乃は……ある?」
「私??」
「うん……匠さんとケンカしたこと……」
「匠と……」
考え込んだ仕草が愛らしいが、それよりも気になる事があった。
「いつの間にか呼び捨てになってる……」
「あっ、うっ、うん……」
染まった頬に、重ねた年月が思い浮かぶ。曇っていた瞳の輝きが戻ったのは一條匠のおかげだと、よく分かっているからこそ悔しさが滲む。親友の一番の理解者は自身でありたかったからだ。
「……雪乃……またデートしようね?」
「うん!」
即答する素直な親友に微笑む。散々愚痴を聞いてもらってスッキリしたのだろう。帰る頃には晴れやかな笑顔が見えていた。
昼食を一緒に過ごしてからタクシーの窓に映る空を眺める。愛理が思い浮かべたのは、特徴的なアイスブルーの瞳がどんな宝石よりも美しく輝いて見えた日のことだ。
その日はお気に入りの花柄のワンピースを着ていて、所謂社交デビューの日だった。
ガーデンパーティーの場所は覚えていないけれど、雲一つない青空の下にいた美しい子を忘れたことはない。
「愛理と同い年の子ばかりだから仲良くね」
「うん……」
そう母に言われても理解しておらず、ただ返事をしただけだ。まだ六歳にも満たない愛理の返答は妥当だが、社交の場はいわば言葉の戦場のようなものだ。無知が露呈すれば話に加わることすら許されず、本人が気づかない間に外されることもあるだろう。情報が命のような場所で大人が漏らすような真似はないが子供は別だ。まだ分別が定かではない彼女にとって世界の中心は親であり、親が一番偉いと思っていたし、自分より可愛い子はいないと本気で思っていた。それは、西園寺家当主の溺愛ぶりが多分に影響していたからだろう。
色とりどりの花が咲き誇る中、輪の中心にいたのは藤宮雪乃であった。色素の薄い髪色も、アイスブルーの瞳も、それは思わず息を呑むほどに美しく洗練されていた。同年代とは思えないほどに、大人とも対話している横顔にも驚きを隠せなかった。
正しく言葉を使いこなす姿に憧れと、付き添っている王子様のような存在を羨んだ。
それは、小学校に上がる前の春の出来事。愛理に生まれてはじめてできた友達だった。
「……はじめまして、藤宮雪乃と申します」
「は、はじめまして……」 「……こ、こんにちは」
同い年のはずの子が誰よりも大人びて見える。背丈が大きく変わる訳ではないにも関わらず、育ちの良さが随所に出ているからだろう。
「はじめまして、西園寺愛理です」
しどろもどろになりながら受け応える子が多い中、彼女は実に堂々と返した。ただそれで雪乃の表情が大きく変わることはなく、柔らかな笑みを浮かべるほどの天使ぶりで、遠くから見守っていた春翔は顔がニヤけるのを我慢したほどであった。
「ーーーーきれいな子……」 「うわぁ…………」
「……はじめて見た」 「外人さん?」
大声で漏らすような子供はいないが、それでも漏れ出てしまう囁きがあった。近くにいる子供たちにしか分からない程度だが、愛理には確かに聞こえていた。
大人たちが噂していた子が目の前にいる。腹立たしいほどに美しく、飲み物を持つ所作にすらそれが出ていて言葉にならない。
「……雪乃、久しぶりだな」 「元気だったか?」
「風磨くん、清隆くん、お久しぶりです」
親しげな様子にまた嫉妬心が芽生える。この場に知り合いのいない愛理の反応は当然だろう。彼女に近づいた男の子が揃って整った顔立ちをしていた事もあるが、理由はそれだけではない。初対面の愛理に見せた笑顔よりも、より綻んだ表情になっていたからだ。
「ーーーーーーーーなに、あれ……」
思わず溢れる本音を心の内に留めておけるはずがない。これが雪乃だったならば呑み込んでいたかもしれないが、愛理はそれができるような子供ではなかった。
「…………はじめまして、西園寺愛理です」
「……はじめまして……財前清隆です」
「…………僕は、蓬莱風磨だけど……」
自ら声をかける選択をしたが、返ってきた返事に納得がいかない。
「……今、話してるの分からなかった?」
「…………えっ?」
何を言われたのか分からず、思わず聞き返す。咎められるとは少しも思っていなかったからだ。
「今、僕たちが話してたの見てたんじゃないの?」
「風磨、やめとけよ……」
「だって、失礼なのはこの子じゃん」
ーーーーーーーーしつれい? 失礼って、なに??
私が話しかけてあげたのに、なにがいけないの??
ぐるぐると駆け巡る思いをすぐに口に出さないだけでまだマシだろう。愛理よりも空気の読めない子はいるし、自慢話をする場と勘違いしている子も少数派だがいた。
二人に守られるように佇む雪乃が口を開くことはないが、視線が合った瞬間に感じるものはあった。
なんで…………なにも、言わないの??
割って入った自覚はある。愛理自身は気づいていないが、仲間に入れて貰いたかったというのが率直な想いだったからだろう。
アイスブルーの瞳に射抜かれて体温が急上昇するも、間に立ち塞がるように立つ男の子に納得がいかない。
「ーーーーっ、な…」 「愛理ちゃん……」
「雪乃?」
「……愛理ちゃんと、呼んでもいいですか?」
機転の良さに感謝だがそれに気づく事はなく、嬉々として応える。
「もちろんよ!」
「……雪乃…………」
小さく首を横に振った雪乃に対し、『……やめとけよ』と今にも心の声が漏れそうな風磨と傍観する清隆。
遠目で見れば愛らしい子供たちの交流のように見えなくもないが、実際は少し違っていた。友達ができた気になっている愛理と、その場を収めるために口にした雪乃。彼女が声をかけなければ、恥をかいていたのは西園寺愛理だ。思わず声を上げようとした彼女に対し、初社交の場でレッテルを貼られることのないように配慮した結果でしかない。ただそこまで考えていたかは雪乃自身にしか分からないことだが。
「……よろしくお願いします」
花が綻ぶかのような美しくも愛らしい笑顔に、大人たちが陰で【天使ちゃん】と呼ぶのも納得だ。
その場に居合わせた春翔に連れられて行った背中を見送れば、嫌な声がした。
「…………雪乃に感謝するんだな」
「……どうして?」
「…………分からないのか?」
思わず溜め息を吐きそうな風磨は、愛理の返答をまたずに離れていった。二人には雪乃の大人な対応が理解できていたからだろう。ただ少しも理解していなかった愛理が頬を膨らませたのはいうまでもない。
いくら見た目が愛くるしくとも、それだけでは通用しないと知る事になるのは、はじめましてから数ヶ月後のことであった。




