番外編 ジュリアの憂鬱
今回はクリスティーナの親友のジュリアちゃんのお話です。
時系列的には、ローラが退場した後です。
ジュリアは目の前のソファに座って、お手本のような綺麗な所作でお茶を飲む婚約者、サイオン・テスラーをチラリと見た。
宰相の嫡男であるサイオンは頭脳明晰、容姿端麗の上、王太子のジークハルトの側近候補としての地位を盤石なものにしつつあり、次期宰相と呼び声高く、将来性抜群で令嬢から大人気だ。
侯爵家の娘であるという以外は普通を絵に描いたような自分とは釣り合わないことを日々実感しているが、親同士が決めた婚約で、二人の意思は関係なかった。
クリスティーナと一緒にいることが多いせいか、比べられることが多々ある。
彼女が悪い訳ではないことは分かっているが、容姿も成績も魔術も、彼女と比べると平凡で、「あんな平凡な令嬢が婚約者で可哀想」なんて聞こえよがしに言われたら、傷つく。
彼はどう思っているのか。
不満に思っているんじゃないかと思うと気分が沈む。
あぁ、こんな暗い雰囲気じゃ申し訳ないわ。
折角、わたしの誕生日のプレゼントを態々持って来てくれたのに。百合の花を模ったサファイアの石の付いた綺麗なネックレスだ。
婚約者の義務としてなのかもしれないけど、ちゃんと大切にしてもらっている。
これ以上望むものじゃないわ。
最近、ジークハルト殿下とティーナの仲が深まったようで、仲のいい二人を見ていると、ちょっと羨ましくなってしまっただけだ。
「どうした?ネックレスは気に入らなかったか?」
サイオンは様子のおかしなジュリアを不思議そうな顔をして見た。
ジュリアは慌てて首を振って笑顔を浮かべた。
「いいえ、素敵なネックレスをありがとうございます。大切にしますね」
「それならいいけど。元気ないみたいだけど、何かあった?」
「なんでもないですよ。もうすぐ試験だから、昨日ちょっと夜更かしして睡眠不足なのかも」
義務感だけで続けられる婚約関係は寂しいと考えて落ち込んでるなんて、言えるはずもないので、曖昧に笑って誤魔化す。
「そうか。あんまり根を詰めて勉強しないようにな。体を壊したら元も子もないから」
サイオンは心配そうにジュリアを見た。
平凡な才しか持たないわたしが上位を取るにはかなり頑張らないと無理なのよ。
秀才のサイオン様には分からないんだろうな。
その後も話が弾むこともなく、サイオンは帰って行った。
この日、ジュリアはクリスティーナから誘われて久しぶりにラグリー公爵邸を訪れていた。
「ねぇ、見て、綺麗でしょ?今日は久しぶりにジュリアとゆっくり話せると思って、うちのシェフに作らせたのよ」
クリスティーナが目をキラキラさせて小鼻をちょっと膨らませた。
確かに侍女が目の前のテーブルに置いたマカロンは赤や緑や青、白色の今までに見たこともないほど鮮やかな色彩の物だった。
「本当、綺麗な色ね」
マカロンを一つ摘んで口に運ぶ。
口の中で柔らかく解けていって、優しい甘さで、自然と顔が綻んだ。
それを見て、クリスティーナはちょっとホッとした表情を浮かべた。
「何か悩み事?無理にとは言わないけど、話を聞くくらいはできるわよ」
クリスティーナの言葉にハッとして、顔を上げる。
「悩んでそうに見える?」
「ちょっとね。元気ないかなと思って」
「そっか。そんなに分かりやすいんだ。なるべく気分が顔に出ないようにしてるのに、まだまだね」
普段通りにしてるつもりなのにと、ため息が出る。
そう言えば、サイオン様もそんなことに言ってたわね。
本当、淑女の仮面って難しい。
「わたしって普通でしょ?」
唐突なジュリアの言葉にクリスティーナがキョトンとした。
「普通?」
「平凡。優秀なサイオン様の婚約者がこんな平凡な娘でかわいそうって」
悲壮にならないように、そんなに気にしてる訳じゃないんだけどって思ってもらえるように笑って言う。
しかし、それには失敗したようで、クリスティーナの顔がどんどん厳しくなって目つきが鋭くなった。
「誰がそんなこと言ったの?ぶっ飛ばしてやるわ」
「ぶっぶっ飛ばす?」
「大体ね、サイオンにジュリアが勿体ないのよ。あの根性なしの朴念仁!」
「ぼっ朴念仁?」
「そうよ!あいつがちゃんとジュリアを大事にしないから、そんなこと言う馬鹿が出てくるのよ」
いつもは淑女らしく微笑んでいるクリスティーナがプリプリと怒る姿に呆気に取られる。
「ジュリアは平凡なんかじゃないわ。すごい努力家で優しくてかわいいんだから!そんなのジュリアに嫉妬して言ってる負け犬の遠吠えなんだから気にしちゃダメよ」
ジュリアは自分の手をぎゅっと握って言い募るクリスティーナを見て、なんだか話したこともない令嬢たちの言葉にあんなに憂鬱になってた自分がおかしくなってきて、ふふふっと笑い出した。
「ありがとう、ティーナ。わたし、ちょっと、自信がなくなってて。でもティーナのおかげで元気出たわ」
「そう?ならいいんだけど」
急に笑い出したジュリアを少し訝しげにしながらも、握っていた手をそっと放した。
「マカロン、まだ沢山あるからいっぱい食べてね」
にこにこしながら、お菓子を勧めてくるクリスティーナはやっぱり可愛らしい。
さっきの般若のような厳しい顔は見間違いに違いない。
サイオン様のことも呼び捨てで根性なしの朴念仁とか言ってたような…
いや、深く考えるのはやめよう。
ティーナは殿下と過ごす時間が増えても、昔と変わらずわたしの一番の友達で、わたしの為に怒ってくれる。
ジュリアは憂いが随分薄らいだ気がして、微笑むと、クリスティーナご自慢のマカロンに再び手を伸ばした。
「自信がなくなったなんて、やっぱりあの朴念仁が…」
ジュリアがマカロンを美味しそうに頬張っているのを笑顔で見ながら、クリスティーナがぶつぶつと呟いていたが、小さな声だったので、何を言っているのかまでは分からなかった。
数日後、ジュリアが生徒会室に行くと、珍しくサイオンが一人で仕事をしていた。
いつもなら、ジュリアがここに来る頃には既に何人か集まっている。
同じクラスのシリウスは先に教室を出て行った気がするのになと首を傾げながらも
「今日は皆さんまだなんですね」
いつもの席に座り、サイオンに話しかけた。
「あー、うん、みんな気を利かせて、と言うか、面白がってと言うか」
サイオンはちょっと気まずそうに目を逸らして、いつも自信に満ちている彼にしては珍しく歯切れが悪い。
サイオンは大きく息を一つ吐くと、不思議そうな顔をしているジュリアと向き合った。
「気づいてやれなくてごめんな」
サイオンが申し訳なさそうに眉尻を下げているが、ジュリアには訳が分からず、目を瞬かせた。
「え?何の話を?」
「令嬢たちに嫌なこと言われてるんだろ?」
なんでサイオン様がそのことを…ってティーナか!
「俺がもっとちゃんとしてたら」
「サイオン様は婚約者としてちゃんと振る舞ってくれてます」
一般的な婚約者としての義務は十分に果たしてくれているから、サイオン様に悪いところがある訳じゃない。
気にしないでいいと首を振った。
「違うんだ。親が決めたからジュリアと婚約したんじゃない。俺がジュリアと婚約したいって願ったんだ」
ジュリアは大きな目を見開いてサイオンの榛色の瞳をじっと見つめた。
「ジュリアの真面目で努力家なところも、優しいところも、笑うと少し幼く見えるところも、大きな目がキラキラしててすごく可愛いくて、全部好きなんだ。だから、婚約破棄なんて考えないでくれ」
「え?え?え〜!?」
サイオンのいつにない必死な様子と言葉に驚いて、とても淑女とは思えない大きな声が出てしまった。
「ごめん。格好つけてた。余裕ある格好いい男になりたくて。そのせいでジュリアを傷つけることになるなんて思いもしなかった」
この真っ赤な顔で堰を切ったように喋るこの人は一体誰なのだろう?
そこには大人びていて、滅多に感情を表に出さないクールで格好いいと人気の高いサイオン様じゃなくて、叱られた犬みたいにしゅんとしたかわいいサイオン様がいて…
かわいい…
今までとのギャップに混乱しながらも、ジュリアは胸が高鳴り、自分でも顔が紅潮してるのを感じた。
「これから頑張るから、婚約破棄はしないで」
跪いてジュリアの手を取るサイオンを見つめる。
こんな風に恥も外聞もなく、自分を全て曝け出してわたしを求めてくれる彼を好きにならずにいられる訳がない。
ジュリアはサイオンの手にもう片方の手を重ねる。
「わたし、婚約破棄はしません。もっともっとサイオン様のことを知りたいし、わたしのことも知ってほしいです。わたしもサイオン様のこと好きです」
ジュリアの言葉に、サイオンの顔がパッと輝いた。
「本当に?」
「本当です」
「本当に本当?」
「本当に本当です。大体、婚約破棄だなんて、何でそんなこと思ったんですか」
ジュリアは一度だって、そんなこと考えたこともないのに、何故サイオンが婚約破棄されると思っているのか不思議だった。
「ジークとティーナが、このままだとジュリアに見捨てられるって。自分の気持ちすら伝えられなくてジュリアが傷付けられるのを許容してるようなら、婚約破棄されるって…」
そこまで言うと、サイオンはがっくりと肩を落とした、
「担がれたのか…」
ジュリアはしゃがんで、俯くサイオンの顔を覗き込んだ。
「わたしはサイオン様の本音が聞けてよかったです。政略的なものじゃなくて、わたし自身を好きでいてくれてるなんて思ってなかったから、すごく嬉しい」
ジュリアの眩しい笑顔に、サイオンはピシッと固まって暫し動きが止まる。
「これからもよろしくお願いします。サイオン様」
フリーズの解けたサイオンは目の前で微笑むジュリアをぎゅっと抱きしめた。
「敬称なしで」
「え?」
「これからはサイオンって呼んでくれ。ジュリ」
ジュリ!?
抱きしめられたのも、愛称で呼ばれたのも初めてで、今度はジュリアがびっくりして固まってしまう。
「みんなにも二人の仲を分かってもらいたいんだ。ダメかな?」
ちょっと自信なさげな声音に、ジュリアはクスクスと笑いだす。
「ダメじゃないわ。サイオン」
真っ赤な顔で見つめ合う二人。
生徒会室にはピンク色の空気が充満して、一面にお花畑が広がっているのが見えるようだった。
そんな二人をこっそり見守る生徒会役員の面々。
みんなそろって、ニヤニヤしていたのは言うまでもない。
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