第13話 オアシスの町トルファラ
内陸の町メルザバードを発って半日が過ぎた。バギーは、オアシスの町トルファラを目指し、砂を巻き上げて走り続けていた。
ハサドは相変わらず、柔らかい砂を避けて、車をたえず左右に振っている。
ミレアが振り返ると地平線の先は、もう茶色く濁っていた。砂の壁が、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
「嵐が近づいてるわ」
「ああ。来る前に町へ入ろう」
ハサドはそれだけ答えて、アクセルを踏み込んだ。
砂漠の先に、木々の緑が見えてきた。
エイルが手すりを掴んだまま、身を乗り出した。
「ミレア、あれ……」
「トルファラよ。やっと着いたわ」
砂ばかりを四日間も見てきた目には、その緑の木々は、嘘のようにまばゆかった。
低い家が、水のあるところへ身を寄せ合うように建っている。家々のあいだには丈の低い木が葉を広げ、その根もとを、細い水路が走っていた。メルザバードのような囲いの壁はなく、町は砂の中に、ぽつりとあった。
「こんな奥地にも、町があるんだね」
「水が湧くところには、人が住むの。トルファラは、巡礼者たちが最後に休憩する場所よ」
バギーを町の外れに停めると、風が一気に強まった。
砂を巻き上げて、家々のあいだを吹き抜けていく。
町の人々に、慌てた様子はなかった。表に出ていた者が、水路ぞいに並べた品物を片付け、扉を閉めていく。
「中へ入るぞ」
ハサドが空を見て言った。
「嵐が抜けるまでは、外へは出られねえ」
三人は、ハサドに連れられて、水路ぞいの小さな宿へ入った。ミレアとエイルが揚水機の部品の木箱を、ボルグは自分の荷物を運び込み床に下ろした。
外では、風が低い音を立てて吹き続けていた。扉の隙間から、細かい砂が入り込んでくる。
エイルがその隙間から外をうかがったが、砂に霞んで、何も見えなかった。
「すごい量の砂だね」
「ハサドが、二日続くこともあるって言ってたわ」
ミレアは壁にもたれて、目を閉じた。
「でも、今日のは長くないって」
ハサドの読みどおり、風は日暮れ前におさまった。
扉を開けると、空気はまだ砂っぽかったが、風はやんでいた。水路の水面に、薄く砂が積もっている。
町の中ほどに人だかりができ、誰かが声を張り上げている。
「何かあったのかな」
エイルがその輪のほうへ目をやった。
ボルグが人だかりのほうへ歩いていって、すぐに戻ってきた。
「白衣の連中だ。歩いてた一団のうち、何人かが、町にきてないらしい。町の連中が捜したが見つからなかったそうだ。夜になるから、これ以上の捜索は困難ってことで、もう打ち切ったとよ」
「嵐で、はぐれたのね」
ミレアは来た道を振り返り、昼に追い越した白衣の一行を思い出した。
ボルグは暗くなりかけた空を見上げた。
「嵐のあとは、砂の起伏が変わって足跡も残らねえ」
ミレアはしばらく道のほうを見てから、ボルグに目を向けた。
「救出に行く?」
「おう」
ボルグは、それだけ答えた。
ハサドが首を横に振った。
「夜は走らねえ。嵐のあとなら、なおさらだ。砂に突っ込んで埋まったら、今度はこっちが捜される側になる」
「分かってる。あなたに頼むつもりはないわ」
ミレアは言った。
「バギーだけ、貸して」
ハサドはミレアの顔を、しばらく見ていた。
「運転は?」
「私がやる」
ハサドは、何か言いかけて、やめた。代わりに、運転の癖を短く伝えた。柔らかい砂の見分け方、車の振り方、後輪が流れたときの戻し方。
ミレアは、黙って聞いていた。来るときに、ハサドの手元はずっと見ていた。
「車体が埋まったら車は置いていけ。あとで、取りに行けばいい。命のほうが大事だ」
ハサドはそれだけ言って、鍵を渡した。
「水を、積めるだけ積んで」
荷物を宿へ降ろしたぶん、バギーの荷台は空いていた。水の入った革袋を積み込み、ボルグが乗り込むと、車体が大きく傾いだ。
ミレアがエンジンをかけると、高く乾いた音が、夜の静けさに響いた。
バギーが走り出すと、町の明かりが、後ろへ遠ざかっていった。
「このへんで、追い越したのよね」
ミレアが前を見たまま言った。
「ああ。十人くらいの、一列だった」
ボルグが答えた。
どれくらい走ったころか、エイルが闇の中の一点を指さして言った。
「ミレア、あれ。光ってる」
前方に、手持ちのものらしい小さな明かりが揺れていた。その周りで、いくつもの影が動いている。
明かりの下に、白衣の巡礼者が、何人か倒れていた。そのまわりを、別の男たちが取り囲み、倒れた者から荷物を剥ぎ取っている。
ミレアはヘッドライトを消して、車をそっと近づけていった。
「追い剥ぎだ」
ボルグが低く言った。
ミレアはエンジンを吹かすと同時に、ヘッドライトを点けた。
正面からの強い光に、男たちがいっせいに顔を上げ、手をかざした。
ミレアがアクセルを踏み込むと、バギーは男たちのあいだへまっすぐ突っ込んでいった。それを避けて、男たちが左右へ散る。
車がまだ止まりきらないうちに、ボルグが飛び降りた。
一番近くにいた男が、振り向きざまに殴りかかるが、ボルグはその腕を片手で受け止め、男の体を持ち上げ、後ろにいた二人めがけて投げる。三人まとめて砂の上を転がった。
立ち上がろうとした男の襟首を掴み、そのまま突き放した。男は数歩よろけて、尻もちをついた。
残った男たちは、もう戦う気をなくしていた。一人が、奪った金品を放り出して逃げ出すと、ほかの男たちも、それに続いた。
ボルグは追わなかった。
「もう戻ってこねえ。放っとけ」
ミレアとエイルはバギーから飛び降りると、倒れている人のところへ駆け寄った。
三人のうち一人は、ぐったりとして動かない。
ミレアは、その人の口もとに水を含ませた。乾いて割れた唇を水が伝い、やがて、ゆっくりと目が開いた。白衣は、あちこち破れて砂にまみれていた。
「……水を」
かすれた声で、その人が言った。
「あるわ。たくさんあるわよ」
ミレアは、もう一度、水を飲ませた。それから立ち上がり、バギーをそばまで回した。
「動ける人から、荷台に乗せて。急ぐわよ」
三人を、荷台へ運び込む。動けない一人は、ボルグが軽々と持ち上げて乗せた。
ミレアは来た方角を見定めると、バギーを町のほうへ向けた。
町へ戻ったのは、夜も更けたころだった。
助けた三人は、宿の一室に寝かされ、町の者が手当てを引き受けた。水を飲み、体を拭いてもらううちに、三人とも、少しずつ顔色を取り戻していった。
一番ひどかった一人が夜中に目を覚まし、かすれた声で言った。
「助かった。礼を言う」
それだけを言うと、あとは何も語らなかった。
夜が明けると、ミレアは揚水機の部品の木箱を、給水所へ運んだ。
給水所は、町の真ん中の湧き水のそばにあった。年配の女性が一人、動かなくなった揚水機に手を入れて、直そうとしていた。
「頼まれてた部品、届けにきたわ」
女は手を止め、木箱の蓋を開けると、中身をひとつひとつ検めた。それから、ようやく顔を上げた。
「これを待ってたんだ。古いのが、もう動かなくてね」
「こんな遠くまで、よく運んでくれたね」
「仕事だからね」
ミレアはそれだけ答えて、木箱を女に渡した。
ボルグも自分の荷物を届けに行った。中身は、相変わらず言わなかった。
町の外れでは、白衣の一団が出発の支度をしていた。昨日助けた三人も、その列に加わっている。やがて一団は、砂漠の奥にある古い泉を目指して歩きはじめた。
ミレアは、列が砂の向こうに消えるまで、目を離さなかった。
ハサドのバギーでメルザバードへ戻り、商隊に乗り継いで、港町サマルカーラまで帰った。
港に着くと、ボルグの《アンヴィル号》は、《ノクターン号》から少し離れた発着場に停まっていた。
別れる前に、ミレアはボルグを、港の食堂へ引っ張っていった。三人分を頼んで、ボルグのぶんも、自分の勘定に乗せる。
「水場の借り、これで返したわよね」
「飯一回でか」
「利子は取らないんでしょ」
ボルグは肩を揺らして笑い、それ以上は何も言わなかった。
食堂を出ると、二人は、それぞれの船のほうへ歩き出した。
「じゃあな、ミレア。またどこかの港でな」
ボルグが片手を上げた。
「ええ。アンヴィルを、沈めないようにね」
「あったりめえだ」
ボルグの笑い声が、港のざわめきの中へ、遠ざかっていった。
《ノクターン号》に戻ると、久しぶりに、クロードの声が応えた。
『お帰りなさい。メルザバードから先は、通信が届きませんでしたね』
「ただいま。待たせたわね」とミレアは返して、操縦席に座った。
「次の港へ行くわよ」
『かしこまりました』
――《ノクターン号》は、次の航路へ向かう。




