Slow Burn(☆)
「夏時間、君と」内の「マボロシのどかーん」及び「ゆるり秋宵」内の「実在のずきゅーん」の二人の話です。
青山さんの運転は、やっぱりというか何というか安全運転だった。
高速道路の車線は常に左。ウインカー一回でぎゅんと割り込んでくる車に、私ならマボロシの爆破ボタンによる無慈悲な処刑を繰り出しているところだけど、のほほんとしたまま「おトイレ行きたくて急いでるのかなぁ、間に合うといいよね」なんてとんちんかんな心配までしてあげている。まっすぐ前を向いている横顔は、いつもより少しシャープだ。
「なに?」
ハンドルを握る姿に見とれていたら気付かれたので、「コーヒー、飲みます?」ってあらかじめ用意してあった言い訳を口にした。
「ありがとう、いただきます」
「はい」
ドリンクホルダーからタンブラーを取り上げ、飲み口の蓋を開けて手渡す。ちっとも冷めてないそいつにゆっくり口を付けて、青山さんは「熱、」と言う。
「口の中火傷しました?」
「それほどじゃないけど、高速乗る前に買ったのにまだ全然あったかいのすごいよね」
「そりゃあ、うちのお店の今期イチ売れてますから、この保温タンブラー」
「おぉ、さすが副店長」
「イエイエ、エリマネが数おさえてくれたおかげです」
「そんなそんな。でもお店で売る君たちの役に立ててたなら嬉しいなあ」
「役に立ってないって言うやつがいたら教えてください。全員ぶっ飛ばしてきますから」
「ねえ三戸さん元ヤンじゃないってよく言うけど、絶対嘘だよねえそれ」
「何言ってるんですか、私風情が元ヤンを名乗れるわけないじゃないですか」
「うわガチな返事だ」
「そんなのどうでもいいんですよ! それよりタンブラー勝手におそろいにしちゃってすいません」
「何言ってんの、嬉しいですよ」
別にノルマとかはないけど、毎日見て触れていたら欲しくなる上に社販で少しは割引になるときたら、買わない理由はないでしょう。
というわけで、このドライブに合わせておそろいのタンブラーを買い求めた次第。青山さんが車を出して運転手もしてくれるから、私からはコーヒーとタンブラーとおやつを提供させていただいた。
「このコーヒーおいしい」
「でしょう?」
朝、うちまでお迎えに来てくれた青山さんに、早い時間から開いててテイクアウトもしているカフェに立ち寄ってもらって、そのお店で持参したタンブラーにコーヒーを入れてもらっただけ。なのに、まるで自分の手柄のように誇ってしまう。
「あそこのカフェでたまにコーヒー豆買うんですけど、家で適当に淹れたのもおいしいですよ」
「へえ。カウンターに置いてたロゴ入りのマグなんかもよかったし、うちとコラボしてくれないかなあ」
「本社に提案投げときます?」
「お、三戸さん意欲的だね」
「いやいや、単純に本社に使い勝手のいい後輩がいるってだけです。正規ルートで通すよりそっちから話させた方が早いんで」
「ああ、例のギフトセットのフローチャート作ったっていう……」
あ、覚えててくれてたんだ。うれしくて、うっかり言葉が弾んでしまう。
「はい。研修で店来た時に面倒見たら『三戸さんの舎弟にしてください!』って言われて、そこからなんかずっと続いてますね」
「……ずいぶん厳ついこと言う子なんだね」
「あー、本人曰く『俺は元ヤンじゃないすけど、ダチがゴリゴリのヤンキーだったんでそのせいですかねー』って」
「ん?!」
「え、どうかしました? もしかして、降り口見逃したとか?」
急にめずらしく大きい声なんか出したりして、運転しながら背筋がぴんってなるからびっくりするじゃんか。
でも青山さんはすぐに「……ああ、大丈夫、高速はまだ降りないから」と通常モードに戻った。
「ならよかったけど、そろそろ休憩入れません?」
「そうだねえ」
ちょうど『最寄りまであと五km』の案内の看板が出てきたので、そのままサービスエリアに入った。
「お疲れ様です」
「そんなでもないよ。コーヒーもらうね」
「どうぞどうぞ」
「……あったかくておいしいねえ」
白い息といっしょに出された、しみじみ呟かれた言葉。ぬくぬくな車の中から一転、外気に晒されているせいか赤くなった鼻の先がかわいい。
「寒くないですか? 外ベンチじゃなく、中のお店入ります?」
「僕は平気。三戸さんは?」
「全然。風ないし晴れてるし、外の方が気持ちいいです」
「うん」
建物の外に点在している木のテーブルと椅子に陣取って、駐車場と建物の間を行き交う人やでっかいトラックやライダーの群れを見ながら休んだ。ドッグランと犬用の水飲み場があるせいか、ひっきりなしにわんこが行き交う。
「かわいー」
思わず呟くと、青山さんが笑う。
「なんですか」
「いやあ、ガラじゃないから言わ」
「言って」
「はは、早」
すぐに年だのなんだの持ち出して守りに入ろうとする青山さんの弱気ワードをいつものようにぶった切ると、タンブラーを両手で持ちながら「……かわいいっていう君がかわいいなんて、おっさんが言っていい言葉じゃないでしょう」と小さく言った。鼻の先だけじゃなく、頬まで赤く染めて。
「いいじゃないですか、私はそれ聞けて嬉しいです」
もれなくもらい照れしてるけど、嬉しいのは本当だし。
ひとしきり照れ終わった青山さんが、「行こっか」と手を差し伸べて、私も当たり前に手を繋いで、車に戻る。
そのあともういちど休憩を入れて、高速を降りた。結局、青山さんは最後まで左車線だけで走ってた。
「僕の運転、イラッとしなかった?」
「全然。快適でした!」
飛ばして前の車との車間距離を詰めすぎてはそのたび急ブレーキで減速する、なんてことがないから、車酔いしがちな方なのにちっとも気持ち悪くならないで済んだと伝えると、嬉しそうに笑う。
「よかった。元々そうスピードを出す方じゃないけど、大事なよそのお嬢さんを危ない目に遭わせるわけにはいかないから、いつもより慎重になっちゃった」
そういう言葉ひとつで、私の導火線にも火があちこち付くって分かってんのかなあ。
「青山さん、おそろしい子……!」
「僕は子じゃなくおっさんですよ……?」
ちょいちょいこういうネタの通じなさ具合にジェネレーションやらカルチャーやらのギャップを感じるけど、今のところそれも楽しい。
――楽しくなくなる日も来るのかな。あーまた通じないよってイラッとしたり、青山さんの良さとして捉えている部分を嫌いになったりするんだろうか。そうじゃないといいな。
永遠なんてないから、色々変わっていくのは仕方ない。でもこの人とは線香みたいにちりちりと長く続いてほしいと思う。
車は山道に入ってからもゆっくりと、でも危なげない運転で進んだ。時折対向車が来るとす――っと脇に避けてやり過ごし、互いに軽くホーンを鳴らしあってまた車を走らせる、そのやり方のスムーズさに来慣れている感があった。ぐねぐねなカーブ+アップダウンの道も高速同様スピード任せに進まないから、やっぱり酔わないまま目的地である湖畔のキャンプ場に着く。
今日はここでデイキャンプの予定。私はド素人だけど、キャンパーとしてもう長いこと楽しんでいる青山さんの指導のもと、いっしょにタープを張ったり、火を熾したり。私がうまく出来なくて自分にイライラしそうになっても「初めてなのにじょうずだなあ」「ゆっくりで大丈夫だよ」という言葉ばかりをくれた。いい気になったことは言うまでもない。
各種セッティングが出来て、二人並んでチェアに座った。熾した火に小鍋をかけて湯を沸かす。そのお湯で、今度はインスタントのコーヒーをちびちび。
時折、パチッと大きな音で薪が爆ぜる。知らない鳥(青山さんは知ってるかも)が鳴きながらバサバサと大きく羽音を立てて飛んで行っては湖へ滑らかに着水するのが見える。
日は柔らかく差しているけど、どこか薄くて肌寒い。火に面したところだけが暖かい、というか熱い。
冷たい風が吹くたびに、青山さんが心配マシマシトッピングな顔で「大丈夫? 僕の分の毛布も掛ける?」と膝掛けしている毛布を差し出そうとしてくる。どんだけヤワに見えてるんだか。
――どんだけ過保護にされてるんだか。
「大丈夫ですよ。それに、もらっちゃったら青山さんが冷えちゃうでしょう?」
「いやあ、僕もともと体温高いみたいで、今もそこまで寒くないんだよね」
ほら、とこちらへ出された手に触れると、言葉通りほこほこと温かかった。
「……ほんとだ」
こちらのチェックが終わってもその手は逃げていかず、私の手をそのままきゅっと包んだ。心臓が高鳴ったタイミングで、また一つ薪が爆ぜる。
お付き合いはしているけど、私からゴリ押しして始まったようなものだから、こうやって気持ちを返してもらえてるって分かるとホッとする。よかった、こっちだけじゃないって。
同情とか、とりあえずで付き合う人じゃないともう分かってはいる。にこにこしてて垣根がなさそうなのに、ガードはめちゃくちゃかたかった。今もまだそれなりにかたい。たまにそれがじれったい。
でもそこを否定するのは違うよね、と、つい詰りたくなる自分を戒めるとき、やっぱりマボロシのボタンを押してしまう。見つけられたくないから、主に夜の自室で。
翌日には何もなかったみたいにあっけらかんと無傷な左手の人差し指の付け根あたりを見て、よかったこれで心配されずに済むとほっとしつつ、残ってたら心配してもらえるのに、とも思う自分の、こんな面倒な気持ちこそド派手に爆破してやりたい。
でも今は、爆破案件のことはいったん忘れて、静かで優しいこの時間を堪能する。
二人の前に炎。その先には湖。横を向けば大好きな人。
「来たばっかりだけど、もうすでに帰りたくないです」
「それはよかった。でもこの時期、日が落ちると一気に冷え込むよ」
「そっか」
「暖かい季節になったら泊まりがけで来ようか。夏場でも夜は寒いくらいだけど、三戸さんがよかっ」
「はい、ぜひ!」
「はは、早」
ひとしきり会話をして、示し合わせたように焚火に目をやって、ぼーっとして。その繰り返し。
マシュマロを焼くでも、お酒を飲むでもないのに、ただ見ているだけの炎に飽きない。こういう時間の使い方ってあんまりしたことないかも。とくに社会人になってからは。
なんにもしないって、とびきりのぜいたくだ。
しばらくのんびりしたのち、お昼時に青山さんがこさえてくれたインスタントラーメンをいただいた。寒い中でもうもうと湯気を立てるラーメンを私は勢い良く、青山さんはちょっとずつすする中、そういえばと聞いてみる。
「青山さんは、一人でキャンプよくするんですか?」
「まあ、たまにね」
「いいなあ、すごいリフレッシュ出来そう」
「でもその代わり、バンジーだとかボルダリングだとか、そういうアクティブなのは全くもって苦手だよ」
「でしょうねえ」
「君は?」
「私?」
「お休みの時、何してるの?」
「そうですねえ、よその雑貨屋さん巡ってみたり、走り込みしたりですかね」
「三戸さんらしい」
「名前」
「え?」
「そろそろ下の名前で呼んでもらえません?」
「……そんな急には呼べないよ」
「急って、もう我々二ヶ月付き合ってますよ」
「まだ二ヶ月だよ」
「……」
「少しずつ、ゆっくり大事に一つずつ進めたいんだ、もどかしかったらすまないね」
「あ――!!」
たまらず私はマボロシのボタンを連打して、「こらこら!」と止められた。絡んできた指に、こちらからも指を絡めて甘えてしまう。
「どうしたの急に」
「……自分がふがいなくて」
「ふがいないのは僕でしょう、誰がどう見ても」
「青山さんがそういう、急がない人だって分かってるのに、一人でやきもきしたのは私ですよ」
「うん。やきもきさせてごめんね」
繋いだままの指先に落とされたキス。こっちも、と言わずに唇を寄せたらちゃんとくれた。――これは、最近ようやくしてくれるようになった。でもまだ合わせるだけの。
重ねた、と思ったら離れてしまう唇。こんな時ばっかり早い。むう、とささやかな不満を纏う私とは裏腹に、どこか楽し気な青山さんが、リストを読み上げるように言う。
「……君の下の名前を呼ぶ、深いキスをする、『ですます』をやめてもらう」
「……」
「君が僕の下の名前を呼ぶ、うちに招待する、お泊まりしてもらう、――ぜんぶ、一つずつしたい。いっぺんにかなえちゃったらもったいない」
「私は全部乗せでもいいですけど」
「こっちの心臓が持たないよ」
「将来的には慣れてくださいね」
「……善処します」
ぱしゃん、ぱしゃんと静かに打ち寄せる波音をBGMに、チェアに腰かけたままの青山さんが同じく座ったままの私の肩にこてんと頭を乗せ、「そのまま聞いてて」って耳元で言う。
「……あのさ、行きの車で言ってた本社の後輩って、男?」
「はい、そうですけど」
あいにく俺女の知り合いはいない。
「仲良さそうだけど、よく会ってるの?」
「そうですねえ、やつが出店担当だった時は地方に行くことが多かったんでしばらく会えてなかったんですけど、最近また内勤の仕事に戻ってきたんで、ぼちぼち会いますね」
「二人きりで?」
そこまで聞かれて、ようやくこの会話の意図していることが見えてきた。
「青山さん、」
「あーもう、大人なのに大人げなくてごめんね……」
「やきもち、嬉しいです」
「いやいや、ほんとごめん、信じてないとかじゃなくてね、その、僕の勝手な気持ちの問題だから」
「分かってます。あと、二人の時もあるけど、やつにも大事な女の子いるんで、別にどうこうなったりしませんから。……そういえば朝のカフェ、どこ支店かわかんないけど彼女さんが働いてるって言ってたような……」
「それなら本当に話を通しやすそうだね」
「でも青山さんがいやなら、」
「大丈夫、今まで通り会って、コラボの話もして。せっかく元ヤン同士、気の合う仲間なんでしょ、そんなのこっちの狭ーい心に合わせないでいいから」
「……はい。二人とも元ヤンじゃないけど」
そんなやりとりをしたあと、思わず笑ってしまった。
「青山さん、嫉妬までゆっくりだ」
「おっしゃるとおりで面目ない」
「……っ」
「もう、そんなに笑わないで」
不服な顔が自主的にまた近づいて、笑いを封じるためのキスを落とした。ねだったつもりじゃなかったんだけどなと思いつつ、目を閉じて迎え撃つ。
ねえ青山さん。我々、のんびり焚火を見ながら色んな話をしましょう。
ゆっくりじっくり、仲良くなってくださいね。強火でさっと焼いた外側だけ黒焦げの恋じゃ、噛んでも硬くておいしくないし中は生焼けだろうから、時間をかけて炭火で焼いて、肉汁も逃がさないで。そしたらふっくらおいしく出来上がるから、そいつを二人でほおばってやりましょう。
初速の異なる二人だから、衝突することもあるでしょう。たまにマボロシの爆破ボタンを使うのは許してください。『こら』って叱られるの、けっこうお気に入りなんです。
いとおしそうに左手の人差し指の付け根あたりを撫でる恋人に、『そこじゃなく、薬指に指環ください』って、焦れた私が言ってしまうのと、望みどおりに指環と未来の約束を青山さんからいただくの、果たしてどっちが先だろうかという予測は、まあこちらの焦れが先だろうねと早々にジャッジを下し、合わせるだけの口づけを何度も愉しんだ。




