帰るべき場所
静寂。
商店街の音も。
虫の声も。
全部、
遠くなった気がした。
フィアナは、
修の袖を強く掴んでいる。
修は、
その小さな震えを感じていた。
黒ローブの男――王宮魔導士は、
静かに頭を上げる。
「長らくお探ししておりました」
声は丁寧だった。
でも。
どこか冷たい。
感情が薄い。
修は、
フィアナを少し庇うように前へ出た。
「……帰れってことですか」
男の金色の瞳が、
ゆっくり修を見る。
ぞくり、とした。
まるで、
心の奥まで見透かされるような目だった。
「あなたが」
男は静かに言う。
「フィアナ様を保護していた方ですか」
「……まぁ、そんな感じです」
「感謝いたします」
言葉は礼儀正しい。
でも。
修は、
なぜか安心できなかった。
フィアナが、
小さな声で言う。
「……クロード様」
修が振り返る。
フィアナの顔は、
少し青かった。
クロード。
それが、
この男の名前らしい。
クロードは、
フィアナを見つめる。
「王も、王妃も、ご無事を喜んでおられます」
フィアナの瞳が揺れる。
家族。
その言葉に、
胸が痛そうだった。
修は、
何も言えない。
クロードは続けた。
「帰還術式の準備は整っております」
「……!」
「明日にでも、お戻りいただけます」
その瞬間。
修の胸が、
ぎゅっと苦しくなる。
――明日。
そんな急に。
フィアナが、
帰る。
頭では。
“良かった”
と思うべきなのに。
全然、
そう思えなかった。
フィアナも、
黙っていた。
クロードは、
そんな二人を静かに見る。
そして。
ふと、
部屋の窓を見上げた。
古いアパート。
狭いベランダ。
干された洗濯物。
クロードは、
少しだけ目を細めた。
「……随分と」
「質素な場所で暮らしておられたのですね」
修の眉が、
ぴくっと動く。
フィアナは、
すぐに顔を上げた。
「そんなことありません!」
クロードが止まる。
フィアナは、
まっすぐ言った。
「ここは、温かい場所です」
「……」
「ご飯も美味しくて」
「商店街の皆さんも優しくて」
「修さんも優しくて」
修が、
少し目を見開く。
フィアナは、
胸の前で手をぎゅっと握った。
「わたくしにとって」
「大切な場所です」
夜風が吹く。
クロードは、
しばらく黙っていた。
やがて。
静かに言う。
「……そうですか」
その声だけは。
少しだけ、
柔らかかった。
でも次の瞬間。
クロードは、
再び王宮魔導士の顔へ戻る。
「ですが」
「フィアナ様は、王女です」
現実みたいに。
その言葉は、
重かった。
「帰るべき場所があります」
修の胸が、
また痛む。
フィアナは、
何も言えない。
誰も、
間違っていなかった。
だからこそ。
苦しかった。




