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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ガリロルザ 編

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86/86

30

 王城から離れた城下町の路地では、『青嵐の翼』の三人が、文字通り泥に塗れながら敗走を続けていた。


「ジン……もう少しだけ……!」


 ナユはジンの左腕を自分の肩へ回し、ジンのほとんど体重がナユに押しかかる。額へ張りついた髪は汗と埃で乱れ、涙の跡が頬に何本も残っていた。


「次の建物まで行ったら……もう一回、傷を見るから……」

「いらねえ」

「でも!」

「回復薬だって無限じゃねえだろ。お前の魔力も、限界かある」

「そんなこと言ってる場合じゃ……!」

「全部使い切ったら、次に怪我した奴をどうする」

「それは……」


 ナユは言葉を失い、俯いた。

 ジンの脇腹には布を何重にも巻いた簡易包帯が巻かれているが、中央部分はすでに赤黒く染まり、その縁から新しい血が滲み始めている。

 以前ナユが購入していた高級回復薬を惜しみなく使用したものの、損傷が深すぎた。裂けた肉をある程度繋ぎ合わせ、出血を抑制することには成功しているが、すでに失われた血液や体力まで、瞬時に回復させられるものではない。


「……ごめんなさい」


 ナユはジンの腕を力強く掴み、再び涙を零した。


「私が……あの時、怖がったから」

「またそれか」

「私がもっと早く魔法を撃ててたら……ジンが庇う必要なんてなかった」

「ナユ」

「もっと強かったら……!」

「おい」

「もっと凄い魔法を使えたら……私だって……!」

「ナユ!」


 ジンが声を張ると、ナユは肩を震わせて顔を上げた。


「うるせえ……泣くな」

「そんなの……無理だよ……ううっ」


 ジンは苦痛に眉を寄せながらも、ナユの肩から少しだけ身体を起こした。


「俺は、まだ立ってる」

「……うん」

「お前が治してくれたからだ。謝るなら、俺が死んでからにしろ」

「そんなこと、言わないでよ……!」

「だったら死なせんな」

「…………」


 ジンは前方へ顎を向けた。


「前を見ろ」

「……うん」

「敵は待っちゃくれねえ」


 その先頭では、マリナが弓を構えながら路地の角を慎重に確認していた。

 といっても、矢は底をつき、射る物はない。


「……右、いない」


 壁に背を預けたまま視線だけを先へ送り、マリナが数秒後に小さく手を振る。


「次の大通りまで行けそう」

「本当……?」

「……今のところは」


 マリナは答えながら、自分の腰へぶら下がっている矢筒へ無意識に手を伸ばした。指先が触れたのは、空になった筒の底だけだ。


「…………」


 手元に残っているのは、愛用の弓だけ。

 どれほど優れた武器であっても、射出する矢がなければ本来の性能を発揮できない。


「マリナ……?」


 ナユがマリナの横顔を覗き込む。


「……大丈夫?」

「……うん」

「でも……」

「大丈夫」


 マリナは弓を握る手へ力を込めた。


「私が先を見るから」

「矢……ないんだろ」


 ジンの指摘に、マリナは強く唇を噛んだ。


「……ない」

「なら無茶すんな」

「でも、私が先頭に立って……せめて、敵を探すくらいしなきゃ……」


 マリナは手元の弓を見つめる。


「ツルカちゃんも、ミライちゃんもいない……」


 マリナの表情に不安が滲んでいく。

 その横顔を見て、ナユの表情も曇っていく。


「二人とも……大丈夫かな」

「……知らねえ」


 ジンは壁に手をつきながら姿勢を保った。


「でも、あいつらを心配する前に俺たちが死んだら意味ねえだろ」

「……そうだね」

「だが……必ず、生きて合流する」


 ジンは自分自身に言い聞かせるように前方を睨んだ。


「それだけ考えよう」


 三人は互いの呼吸を確認しながら、敵の気配が薄い路地を慎重に進んでいく。

 やがて正面に少し広い大通りが見え始めた。


「待って」


 マリナが片腕を横へ伸ばし、後ろの二人を制止する。


「何か……いる」

「……なっ」


 壁際へ身体を寄せながら、マリナが半歩だけ前へ出る。

 その時だった。


「……!」


 向かい側の路地から、脚部を規則正しく運ぶ一体のバルゴゾーンが姿を現した。

 人間の女性を素体として改造された機体だった。

 顔立ちには人間だった頃の面影が残されているものの、両目からは全くの感情は失われ、左右の前腕は巨大な湾曲刃に変貌していた。


「な……!」


 三人の身体が同時に硬直すると同時に、バルゴゾーンの虚ろな視線がこちらを捉える。


「まずい……!」


 マリナは反射的に弓を持ち上げ、右手を矢筒へ伸ばしたが、何も掴めない。


「……くっ!」

「マリナ!」


 ナユは杖を構えようとしたものの、敵の刃が視界へ入った瞬間に肩を強張らせ、両手が震え始めた。


「嫌……また……震えが……!」

「ナユ、下がれ……ッ!」


 ジンはナユの肩を引いて後方に下げると、自ら前へ踏み出した。


「ジン、駄目……!」

「いいから、下がってろ」

「その身体じゃ戦えないよ!」

「じゃあ、誰がやる……」


 ジンは大剣を両手で握る。

 しかし、脇腹に力が入っただけで激痛が全身を駆け、剣先も震えながら地面すれすれまで下がっていた。


「……最悪だぜ。へっ」

「ジン……」

「身体は動かねえ。マリナには矢がねえ。ナユに至っては怖くて泣いてやがる」

「泣いてない……!」

「ふん、そうかよ……!」


 ジンは薄く笑い、迫るバルゴゾーンへ剣を向ける。


「……まあ、やるしかねえな」


 バルゴゾーンが腰を落とし、両腕の刃を左右に広げた。


「来るぞ……!」


 有無を言わせない勢いでバルゴゾーンは加速し、瞬く間に三人との距離を縮めていく。


「くぅ……っ!」


 ジンは痛む脇腹を無視して大剣を振り上げた。

 だが、意思に反して身体が動かない。


「くそっ……!」


 振り下ろされるバルゴゾーンの鎌刃。

 ジンは奥歯を噛み締めた。

 間に合わない。


「……悪い」

「──────ジン!」


 差し向けられた刃がジンの首筋へ届こうとした、その寸前。


「なっ……!」


 目にも留まらぬ銀色の斬撃が、横合いから走り抜けた。

 まるで時か止まったかのように、バルゴゾーンの動きが止まる。


「……!」


 バルゴゾーンの上半身と下半身の境に一閃が刻まれたその直後、胴体が斜めにずれながら地面へ滑り落ちた。


「……え?」


 ナユが涙に濡れた瞳を大きく見開く。

 倒れたバルゴゾーンの背後には、一人の男が立っていた。

 黄金の鎧は煤と返り血によって輝きを失い、幾つもの傷が走っている。自慢の髭にも砂塵が絡みつき、額から流れた血が片側の眉を赤く染めていた。

 それでも、片手に握られた剣だけは誇らしいほど輝いていた。


「……チッ」


 男は剣に付いたオイルのような液体を振り払い、三人へと横目を向けた。


「なんだ、その情けねえ面は」

「……バンパー……?」


 ジンが目を細めて、完全に脱力して膝を突いた。


「幻覚でも見てんのか、俺……」

「テメェみてえな雑魚の走馬灯に出演する趣味はねえよ」

「じゃあ……本物……?」


 ナユが呆然と呟くと、男──バンパーは露骨に不機嫌そうな顔を浮かべた。


「何だよ、その反応」

「だ、だって……!」

「俺がここにいちゃ悪いか!」

「悪くはない……けど……!」

「じゃあ黙ってろ」


 かつて自分たちを見下し、ことあるごとに挑発してきた男が、傷だらけの姿で三人の前に立っていた。


「……なんでここにいる」


 ジンは大剣を杖代わりにしながら身体を起こした。


「お前も……ここに来てたってのか」

「は?」


 バンパーの眉間に太い皺が刻まれる。


「いや、だって……」

「勘違いすんな」


 バンパーは剣を肩へ担ぎ、視線を逸らした。


「……約束だ」

「約束?」


 ナユが小首を傾げると、バンパーは不愉快そうに舌を動かしながら、瓦礫の向こうへ目を向けた。


「にしても、なんだそのザマは。もう、剣も振るえねえじゃねえか。カスがよ」

「それにしてはぁ……お前もなかなか手を焼いてるじゃねえか。最強様なんだろ? もっと戦ってこいよ。俺たちみてえな、雑魚Bランクには荷が重くてよぉ」

「テメェ、瀕死のくせに減らず口だけは一丁前だな」

「へっ。お前をボコすまでは、死なねえって決めてるんだ」

「……ふん。元気そうでなによりだ──────っ……」


 その時、周囲の路地から複数の気配が近づいてくる。

 バンパーの表情から軽口が消える。


「……チッ」


 獣人を素体とした大型機、小柄で重装甲のドワーフ型、長い耳と細身の四肢を残したエルフ型。

 合計、五体のバルゴゾーンが三方から姿を現し、四人の退路を塞いでいく。


「増援……!」

「どうやら、喋ってる暇はねえみたいだな」

「囲まれた……ね」


 マリナは空の矢筒へ視線を落とした。


「矢があれば……」

「ほらよ」

「え?」


 バンパーが腰に下げていた革袋から数束の矢を取り出し、そのままマリナへ投げ渡した。


「わっ……!」


 マリナは胸元で慌てて受け止める。


「これ……」

「ガリロルザの武器屋から拝借してきた」

「盗んだんですか?」

「は い しゃ く」

「お、お金は?」

「……それは『国を救う』で立替だ」


 バンパーはにやりと口角を上げる。

 マリナも思わず小さく笑い、矢を素早く矢筒へ収めていった。


「……ありがとうございます」

「礼はいらねえ」


 バンパーはマリナの弓を一瞥する。


「無駄撃ちはすんな。確実に狙え。できるな」

「はい……!」

「外したら、一発につき金貨一枚な」

「高すぎません!?」

「だったら当てろ」


 続いてバンパーはナユへ顔を向けた。


「おい、そこの泣き虫!」

「は、はいぃぃぃっ!」


 ナユは背筋を伸ばし、杖を胸へ抱えた。


「いつまで泣いてやがる!」

「い、今はもう泣いてません!」

「目ぇ真っ赤じゃねえか!」

「それはさっきまでで……!」

「うるせえ」


 バンパーはナユの言葉を遮ると、自分の胸元を親指で指した。


「俺に耐性魔法かけろ」

「え?」

「お前が使える魔法、全部だ」


 バンパーは鋭い視線でバルゴゾーンを見渡す。


「俺が、前に出る」

「でも……私なんかの魔法じゃ……」


 その瞬間、バンパーの目つきが変わった。


「お前」

「……はい」

「今からそいつらに『私なんか』って言ってみろ」


 バンパーが顎でジンとマリナを示す。


「え……」

「そいつら、お前の魔法に命預けてここまで来たんだろ。お前を仲間と思って、信じてここまで来てるんだろ……!」

「…………」

「だったら勝手に自分をゴミ扱いすんなッ!」


 ナユは唇を結び、再び涙を溜める。


「できるかどうかじゃねえ」


 バンパーは剣を前へ向ける。


「やるんだ。ここで全員死にたくなきゃな」


 ナユは震える両手で杖を握り締めた。


「……はい。やります……やりますッ!」


 ナユは詠唱を開始すると、杖の先端から淡い魔力が広がり、バンパーの身体を薄い膜となって包み込む。


「やれるじゃねえか」


 バンパーは最後にジンへ顔を向けた。


「おい、雑魚」

「……誰に言ってやがる。ゴミが」

「……立てるか」


 ジンは口端の血を袖で拭い、大剣の柄を強く握り直した。


「見りゃ分かるだろ」


 ジンは必死に直立を保とうとしてるが、足は震えて覚束ない。


「立ってねえじゃねえか」

「今、立つところだ。しゃべんな」


 ジンは膝へ力を込め、やっと一人で立つ。


「ジン……!」

「大丈夫だ……やれる」


 自力で立つが、その身体は傾いている。


「だから……短期決戦だ。すぐ終わらせるぞ」

「はっ、五体もいるぞ。やれんのか」


 バンパーが鼻であしらい、ジンを見下ろす


「数えられる程度なら問題ねえ」

「ほぉ……?」


 バンパーはジンの横へ並び、互いに背中を向けた。


「……それについては俺も同感だ。足手まといになるんじゃねえぞ」

「上等だ」


 ジンも口元に薄い笑みを浮かべた。

 かつて互いを嫌悪し、顔を合わせれば罵倒し合っていた二人が、今では背中を預け合っていた。


「マリナ、ナユ、やれるか!」

「うんっ!」

「や、やれますっ!」


 ジンは満足そうに牙を見せた。

 マリナは一本目の矢を番え、ナユも両手で杖を握り、敵を見据えた。

 そしてジンとバンパーが、それぞれの剣を前へ構える。


「来るぞ。死ぬなよ、雑魚」

「お前もな」


 敵の包囲網が狭まる中、『青嵐の翼』とバンパーによる、奇妙な共闘が始まった。

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