30
王城から離れた城下町の路地では、『青嵐の翼』の三人が、文字通り泥に塗れながら敗走を続けていた。
「ジン……もう少しだけ……!」
ナユはジンの左腕を自分の肩へ回し、ジンのほとんど体重がナユに押しかかる。額へ張りついた髪は汗と埃で乱れ、涙の跡が頬に何本も残っていた。
「次の建物まで行ったら……もう一回、傷を見るから……」
「いらねえ」
「でも!」
「回復薬だって無限じゃねえだろ。お前の魔力も、限界かある」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「全部使い切ったら、次に怪我した奴をどうする」
「それは……」
ナユは言葉を失い、俯いた。
ジンの脇腹には布を何重にも巻いた簡易包帯が巻かれているが、中央部分はすでに赤黒く染まり、その縁から新しい血が滲み始めている。
以前ナユが購入していた高級回復薬を惜しみなく使用したものの、損傷が深すぎた。裂けた肉をある程度繋ぎ合わせ、出血を抑制することには成功しているが、すでに失われた血液や体力まで、瞬時に回復させられるものではない。
「……ごめんなさい」
ナユはジンの腕を力強く掴み、再び涙を零した。
「私が……あの時、怖がったから」
「またそれか」
「私がもっと早く魔法を撃ててたら……ジンが庇う必要なんてなかった」
「ナユ」
「もっと強かったら……!」
「おい」
「もっと凄い魔法を使えたら……私だって……!」
「ナユ!」
ジンが声を張ると、ナユは肩を震わせて顔を上げた。
「うるせえ……泣くな」
「そんなの……無理だよ……ううっ」
ジンは苦痛に眉を寄せながらも、ナユの肩から少しだけ身体を起こした。
「俺は、まだ立ってる」
「……うん」
「お前が治してくれたからだ。謝るなら、俺が死んでからにしろ」
「そんなこと、言わないでよ……!」
「だったら死なせんな」
「…………」
ジンは前方へ顎を向けた。
「前を見ろ」
「……うん」
「敵は待っちゃくれねえ」
その先頭では、マリナが弓を構えながら路地の角を慎重に確認していた。
といっても、矢は底をつき、射る物はない。
「……右、いない」
壁に背を預けたまま視線だけを先へ送り、マリナが数秒後に小さく手を振る。
「次の大通りまで行けそう」
「本当……?」
「……今のところは」
マリナは答えながら、自分の腰へぶら下がっている矢筒へ無意識に手を伸ばした。指先が触れたのは、空になった筒の底だけだ。
「…………」
手元に残っているのは、愛用の弓だけ。
どれほど優れた武器であっても、射出する矢がなければ本来の性能を発揮できない。
「マリナ……?」
ナユがマリナの横顔を覗き込む。
「……大丈夫?」
「……うん」
「でも……」
「大丈夫」
マリナは弓を握る手へ力を込めた。
「私が先を見るから」
「矢……ないんだろ」
ジンの指摘に、マリナは強く唇を噛んだ。
「……ない」
「なら無茶すんな」
「でも、私が先頭に立って……せめて、敵を探すくらいしなきゃ……」
マリナは手元の弓を見つめる。
「ツルカちゃんも、ミライちゃんもいない……」
マリナの表情に不安が滲んでいく。
その横顔を見て、ナユの表情も曇っていく。
「二人とも……大丈夫かな」
「……知らねえ」
ジンは壁に手をつきながら姿勢を保った。
「でも、あいつらを心配する前に俺たちが死んだら意味ねえだろ」
「……そうだね」
「だが……必ず、生きて合流する」
ジンは自分自身に言い聞かせるように前方を睨んだ。
「それだけ考えよう」
三人は互いの呼吸を確認しながら、敵の気配が薄い路地を慎重に進んでいく。
やがて正面に少し広い大通りが見え始めた。
「待って」
マリナが片腕を横へ伸ばし、後ろの二人を制止する。
「何か……いる」
「……なっ」
壁際へ身体を寄せながら、マリナが半歩だけ前へ出る。
その時だった。
「……!」
向かい側の路地から、脚部を規則正しく運ぶ一体のバルゴゾーンが姿を現した。
人間の女性を素体として改造された機体だった。
顔立ちには人間だった頃の面影が残されているものの、両目からは全くの感情は失われ、左右の前腕は巨大な湾曲刃に変貌していた。
「な……!」
三人の身体が同時に硬直すると同時に、バルゴゾーンの虚ろな視線がこちらを捉える。
「まずい……!」
マリナは反射的に弓を持ち上げ、右手を矢筒へ伸ばしたが、何も掴めない。
「……くっ!」
「マリナ!」
ナユは杖を構えようとしたものの、敵の刃が視界へ入った瞬間に肩を強張らせ、両手が震え始めた。
「嫌……また……震えが……!」
「ナユ、下がれ……ッ!」
ジンはナユの肩を引いて後方に下げると、自ら前へ踏み出した。
「ジン、駄目……!」
「いいから、下がってろ」
「その身体じゃ戦えないよ!」
「じゃあ、誰がやる……」
ジンは大剣を両手で握る。
しかし、脇腹に力が入っただけで激痛が全身を駆け、剣先も震えながら地面すれすれまで下がっていた。
「……最悪だぜ。へっ」
「ジン……」
「身体は動かねえ。マリナには矢がねえ。ナユに至っては怖くて泣いてやがる」
「泣いてない……!」
「ふん、そうかよ……!」
ジンは薄く笑い、迫るバルゴゾーンへ剣を向ける。
「……まあ、やるしかねえな」
バルゴゾーンが腰を落とし、両腕の刃を左右に広げた。
「来るぞ……!」
有無を言わせない勢いでバルゴゾーンは加速し、瞬く間に三人との距離を縮めていく。
「くぅ……っ!」
ジンは痛む脇腹を無視して大剣を振り上げた。
だが、意思に反して身体が動かない。
「くそっ……!」
振り下ろされるバルゴゾーンの鎌刃。
ジンは奥歯を噛み締めた。
間に合わない。
「……悪い」
「──────ジン!」
差し向けられた刃がジンの首筋へ届こうとした、その寸前。
「なっ……!」
目にも留まらぬ銀色の斬撃が、横合いから走り抜けた。
まるで時か止まったかのように、バルゴゾーンの動きが止まる。
「……!」
バルゴゾーンの上半身と下半身の境に一閃が刻まれたその直後、胴体が斜めにずれながら地面へ滑り落ちた。
「……え?」
ナユが涙に濡れた瞳を大きく見開く。
倒れたバルゴゾーンの背後には、一人の男が立っていた。
黄金の鎧は煤と返り血によって輝きを失い、幾つもの傷が走っている。自慢の髭にも砂塵が絡みつき、額から流れた血が片側の眉を赤く染めていた。
それでも、片手に握られた剣だけは誇らしいほど輝いていた。
「……チッ」
男は剣に付いたオイルのような液体を振り払い、三人へと横目を向けた。
「なんだ、その情けねえ面は」
「……バンパー……?」
ジンが目を細めて、完全に脱力して膝を突いた。
「幻覚でも見てんのか、俺……」
「テメェみてえな雑魚の走馬灯に出演する趣味はねえよ」
「じゃあ……本物……?」
ナユが呆然と呟くと、男──バンパーは露骨に不機嫌そうな顔を浮かべた。
「何だよ、その反応」
「だ、だって……!」
「俺がここにいちゃ悪いか!」
「悪くはない……けど……!」
「じゃあ黙ってろ」
かつて自分たちを見下し、ことあるごとに挑発してきた男が、傷だらけの姿で三人の前に立っていた。
「……なんでここにいる」
ジンは大剣を杖代わりにしながら身体を起こした。
「お前も……ここに来てたってのか」
「は?」
バンパーの眉間に太い皺が刻まれる。
「いや、だって……」
「勘違いすんな」
バンパーは剣を肩へ担ぎ、視線を逸らした。
「……約束だ」
「約束?」
ナユが小首を傾げると、バンパーは不愉快そうに舌を動かしながら、瓦礫の向こうへ目を向けた。
「にしても、なんだそのザマは。もう、剣も振るえねえじゃねえか。カスがよ」
「それにしてはぁ……お前もなかなか手を焼いてるじゃねえか。最強様なんだろ? もっと戦ってこいよ。俺たちみてえな、雑魚Bランクには荷が重くてよぉ」
「テメェ、瀕死のくせに減らず口だけは一丁前だな」
「へっ。お前をボコすまでは、死なねえって決めてるんだ」
「……ふん。元気そうでなによりだ──────っ……」
その時、周囲の路地から複数の気配が近づいてくる。
バンパーの表情から軽口が消える。
「……チッ」
獣人を素体とした大型機、小柄で重装甲のドワーフ型、長い耳と細身の四肢を残したエルフ型。
合計、五体のバルゴゾーンが三方から姿を現し、四人の退路を塞いでいく。
「増援……!」
「どうやら、喋ってる暇はねえみたいだな」
「囲まれた……ね」
マリナは空の矢筒へ視線を落とした。
「矢があれば……」
「ほらよ」
「え?」
バンパーが腰に下げていた革袋から数束の矢を取り出し、そのままマリナへ投げ渡した。
「わっ……!」
マリナは胸元で慌てて受け止める。
「これ……」
「ガリロルザの武器屋から拝借してきた」
「盗んだんですか?」
「は い しゃ く」
「お、お金は?」
「……それは『国を救う』で立替だ」
バンパーはにやりと口角を上げる。
マリナも思わず小さく笑い、矢を素早く矢筒へ収めていった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらねえ」
バンパーはマリナの弓を一瞥する。
「無駄撃ちはすんな。確実に狙え。できるな」
「はい……!」
「外したら、一発につき金貨一枚な」
「高すぎません!?」
「だったら当てろ」
続いてバンパーはナユへ顔を向けた。
「おい、そこの泣き虫!」
「は、はいぃぃぃっ!」
ナユは背筋を伸ばし、杖を胸へ抱えた。
「いつまで泣いてやがる!」
「い、今はもう泣いてません!」
「目ぇ真っ赤じゃねえか!」
「それはさっきまでで……!」
「うるせえ」
バンパーはナユの言葉を遮ると、自分の胸元を親指で指した。
「俺に耐性魔法かけろ」
「え?」
「お前が使える魔法、全部だ」
バンパーは鋭い視線でバルゴゾーンを見渡す。
「俺が、前に出る」
「でも……私なんかの魔法じゃ……」
その瞬間、バンパーの目つきが変わった。
「お前」
「……はい」
「今からそいつらに『私なんか』って言ってみろ」
バンパーが顎でジンとマリナを示す。
「え……」
「そいつら、お前の魔法に命預けてここまで来たんだろ。お前を仲間と思って、信じてここまで来てるんだろ……!」
「…………」
「だったら勝手に自分をゴミ扱いすんなッ!」
ナユは唇を結び、再び涙を溜める。
「できるかどうかじゃねえ」
バンパーは剣を前へ向ける。
「やるんだ。ここで全員死にたくなきゃな」
ナユは震える両手で杖を握り締めた。
「……はい。やります……やりますッ!」
ナユは詠唱を開始すると、杖の先端から淡い魔力が広がり、バンパーの身体を薄い膜となって包み込む。
「やれるじゃねえか」
バンパーは最後にジンへ顔を向けた。
「おい、雑魚」
「……誰に言ってやがる。ゴミが」
「……立てるか」
ジンは口端の血を袖で拭い、大剣の柄を強く握り直した。
「見りゃ分かるだろ」
ジンは必死に直立を保とうとしてるが、足は震えて覚束ない。
「立ってねえじゃねえか」
「今、立つところだ。しゃべんな」
ジンは膝へ力を込め、やっと一人で立つ。
「ジン……!」
「大丈夫だ……やれる」
自力で立つが、その身体は傾いている。
「だから……短期決戦だ。すぐ終わらせるぞ」
「はっ、五体もいるぞ。やれんのか」
バンパーが鼻であしらい、ジンを見下ろす
「数えられる程度なら問題ねえ」
「ほぉ……?」
バンパーはジンの横へ並び、互いに背中を向けた。
「……それについては俺も同感だ。足手まといになるんじゃねえぞ」
「上等だ」
ジンも口元に薄い笑みを浮かべた。
かつて互いを嫌悪し、顔を合わせれば罵倒し合っていた二人が、今では背中を預け合っていた。
「マリナ、ナユ、やれるか!」
「うんっ!」
「や、やれますっ!」
ジンは満足そうに牙を見せた。
マリナは一本目の矢を番え、ナユも両手で杖を握り、敵を見据えた。
そしてジンとバンパーが、それぞれの剣を前へ構える。
「来るぞ。死ぬなよ、雑魚」
「お前もな」
敵の包囲網が狭まる中、『青嵐の翼』とバンパーによる、奇妙な共闘が始まった。




