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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ガリロルザ 編

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84/84

28

「はぁ……はぁ……!」


 ノンナは傷だらけの膝に片手を置き、何度も荒い呼吸を繰り返す。

 岩石化が解けた拳には、血が滲んでいた。衣服も裂かれ、傷口から鮮血が滲み出ている。


「アタシは……」


 ノンナは腫れた瞼を持ち上げ、瓦礫の山を睨みつける。


「アンタを認めないッス。魔王の言いなりになって……自分で考えることまで放棄して」


 瓦礫の奥から、黒い外套の一部が見えた。


「そんなもんをヒナ=ノーノンだなんて、絶対に認めないッスよ! 少なくとも……昔のアンタは誇り高かった」


 積み重なった瓦礫を蹴り飛ばされたかのように弾けると、その中からヒナがゆっくりと身体を起こした。

 整っていた左頬は赤く腫れ、口端から細い血の筋が顎へ伝っている。


「……」


 ヒナは呆然としたまま、自分の頬へ指先を触れた。


「……痛い。痛い……です」


 先ほどまで狂気に塗り潰されていた瞳が潤む。


「なんで……」


 震える指を頬へ添えたまま、ヒナは俯いた。


「こんなに……痛いんですか」

「そりゃ、頬だけの話じゃなさそうッスね」

「…………」


 ヒナの肩が微かに揺れた。

 再びノンナを睨め返し、殺伐とした空気が漂い始める。


「知ったようなことを……」

「知らないッスよ」


 ノンナは傷ついた身体を引きずるように、ヒナに数歩近づいた。


「何がそんなに苦しいんッスか。母親のことッスか。それとも、仲間を裏切ったこと?」

「……やめてください」

「大魔王のこと」

「やめて」

「自分が間違ってるかもしれないって、本当はずっと思ってること」

「やめてください!」


 ヒナは両手で頭を抱えて、その場で膝を折りかけた。

 脳裏へ、過去の情景が次々と蘇る。

 食卓を囲んだ日々。無謀な依頼へ笑いながら挑んだ記憶。背中を任せられる仲間がいることを、当たり前だと思っていた頃。

 そして、自分を救ってくれた母。


「……何が」


 ヒナは顔を伏せたまま、震える唇を開いた。


「何がいけなかったというのですか……。私はただ……母を大切にしたかっただけなのに。恩を返せたらと思ったのに」


 指の間から、涙が地面に落ちていく。


「命を助けてもらった。育ててもらった。何も『記憶』がない……そんな私が一人でも生きていけるように、全部教えてくれた」


 ヒナは顔を上げ、泣き腫らした瞳でノンナを見た。


「その人を守りたいと思うことの、何がいけないのですか……?」

「……っ」


 ノンナはすぐには答えられず、唇を噛んだ。

 荒れ果てた庭園の中央で、二人はしばらく無言のまま向かい合う。


「……別に」

 やがてノンナは傷ついた肩を軽く回しながら、口元を歪めた。

「母親を大事にすること自体は、悪くないんじゃないッスか」

「……ならッ!」

「でも」


 ノンナは人差し指をヒナに向ける。


「そのために自分まで壊す必要はないッス」


 ヒナの体が大きく揺れた。言葉を詰まらせ、生きる気を失ったかのように完全に脱力する。


「仲間も捨てて、自分も嫌なことして、最後には全部壊してやるなんて叫んで」


 ノンナは呆れたように肩を竦め、力なく笑った。


「それ、母親が本当に望んでるんッスかね」

「…………」

「少なくともアタシなら、娘がそんな顔してたら嫌ッスね。うん」


 ヒナは俯いたまま、何も返さなかった。ただ、遠くで聞こえる魔法の炸裂音だけが、この空間まで響き渡ってくる。


「さぁ……どうッスか? ヒナ=ノーノン」

「何がです」

「気分。今の気分」


 ノンナは腫れた自分の拳を軽く持ち上げ、挑発するようにヒナへと向けた。


「一発殴られた気分は、最高ッスか?」


 ヒナはすぐさま涙を拭い、闇の魔力を滾らせる。


「ぜんっぜん。これっぽっちも最高ではありません」

「そうッスか~」

「むしろ最悪です」

「それは良かったッス」

「……あなた」


 ヒナは血の付いた口元を袖で拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。


「本当に腹が立ちますね。今すぐ消したい程度には」

「よく言われるッス。仲間にも、冒険者ギルド、国の王様とかにも!」


 二人は再び向かい合うが、横柄なノンナの内心は苛立ちにも似た焦燥があった。


(ひゃあ。もう、疲れたッス……。まだ、ヒナはピンピンしてるし……。城の防衛のせいか……魔力も底が尽きそうっすねぇ……。次、本気で来られたらアタシ……死ぬ? いやぁ、そんなわけ。はぁ、やっぱりメンバーの一人くらい連れてこればよかったかなぁ)


 戦いは、まだ終わっていない。

 ノンナは再び魔力を集中させ、満面の笑みを浮かべた。

 先ほどまでとは違い、ヒナの瞳には感情がある気がした。


(さっきよりも、いい顔してるじゃないッスか。まあ、どっちが強いかここで決めとくのも、ありッスねぇ)


 拳を通じて叩き込まれたノンナの言葉は、長い間、暗闇の底へ沈められていたヒナの心に、大きな亀裂を入れていた。

 そんな二人の激闘を王城上層階の一室から見下ろしている者がいた。

 かつて王族が来賓を迎えるために用いていた豪華な応接室は、現在では窓硝子の大半が割れ、壁紙も無惨に剥がれ落ちている。

 部屋の中央には、深々とフードを被った一人の女性が静かに佇んでいた。

 古びたローブの袖から伸びた手は青白く、細い指先から放出される魔力が周囲の水分を結晶化させ、城全体に薄い霜のような結界を形成している。

 フードの隙間から覗く、氷のように冷たい瞳が輝く、氷河の女王──ドルナーシャ。

 現在は正体を隠し、ノンナに代わってガリロルザ王城を覆う結界の維持を担っていた。


「……ヒナ」


 窓辺へ立ったドルナーシャは、遥か下方で立ち上がるヒナの姿を見つめていた。

 氷のように端正な顔立ちは、平静を装ってはいるが、ローブの内側で握り締められた左手だけは、爪が掌へ食い込むほど強く震えていた。


「………」


 ドルナーシャは一度瞼を閉じ、結界へ流し込む魔力量を増加させた。

 本来であれば、今すぐ戦場へ降りたい。ヒナを抱き締め、ここから連れ去りたい。だが、それをすれば大魔王グレイの監視に、自らの存在を晒すことになる。自分の存在が露見すれば、ヒナはさらに逃げ場を失う。

 今は、耐えるしかない。


『……おやまあ』


 突然、ドルナーシャの頭内に軽薄な男の声が流れ込む。


『随分と熱心に結界を維持されていますね、女王陛下』


 ドルナーシャは眉間へ皺を刻み、頬を痙攣させるように引きつらせた。


「……チルノーヤか」

『その不機嫌そうなお声。相変わらずで安心しましたよ』

「くだらない挨拶はいい」

『つれませんねぇ』

「状況を報告しろ」


 ドルナーシャは一向に窓から視線を外さなかった。


「ガリロルザ王はどうなっている。まだ、時間は稼げるのか」

『そちらは順調です。陛下のおかげでノンナは行動できるようになり、さらにはノンナを利用できたおかげで、ガリロルザ王は城の前線から離すことができた。ヒナをおびき寄せ、ノンナと交戦させることができ、さらには魔操使の連絡通り、ゼクスが戦場に投与されたこともあり、ガリロルザ王も足止めを食らっている。最高ですね』

「……癪に障るな。ヒナをも利用するのは」

『そんな怒らないでください。そうしなければ、七光玉の捜索のための時間は稼げなかった』

「……ふん」


 ドルナーシャは僅かに鼻梁を動かした。

 しばし二人の間に沈黙が訪れる。その間もドルナーシャは、ヒナとノンナの戦闘から目を離さなかった。


『──────心配ですか?』

「当たり前だろう。殺すぞ」

『おぉ、ヒナの事になると殺意高すぎません?』


 ドルナーシャの返答には一瞬の迷いもなかった。


「ヒナは元気そうですよ』

「どこを見ればそう思える、お前の目は節穴か」

『身体的には、という意味です』


 チルノーヤは楽しげな声音を僅かに抑えた。


「急げ。ヒナが壊れる前に計画を進めろ」

『もちろん、そのつもりですがね』

「……何だ」

『一つ、予定外の事態が発生しまして』


 ドルナーシャの表情が険しくなる。


「何が起きた」

『……感じませんか?』


 チルノーヤの声音から、先ほどまでの軽薄さが消える。


『この、おぞましいまでの闇の波動を』

「…………」


 ドルナーシャは意識を城下町全体へ広げる。

 その瞬間、遠方から押し寄せてきた異質な魔力に、蒼い瞳が見開かれた。


「……これは」


 バリオンの炎ではない。

 ヒナの闇とも違う。

 もっと深い。もっと古い。


「誰だ……?」


 ドルナーシャは窓辺へ身を寄せる。


「この魔力……お前たちに近い」

『おや、さすがですね』

「他にも夜魔将官を送り込んだのか?」

『いいえ』

「ならば誰だ」


 数秒の沈黙の後、チルノーヤは妙に楽しげな声音へ戻った。


『光の子、ですよ』

「……何?」

『どうやら、ブチ切れてしまったようで』

「光の子が……闇を?」


 ドルナーシャの顔に、初めて動揺が浮かんだ。


「そんな馬鹿なことが……」


 ドルナーシャは目を伏せ、遠くから感じる魔力をさらに精査する。


「……いや」


 その質感。その深さ。

 記憶の奥深くに、似たものがある。


「まさか……」


 ドルナーシャの脳裏へ、一人の魔王の姿が蘇る。

 お人好しで、弱く、それでも、誰よりも他者のために傷つくことを恐れなかった子。


「……マリアネ」

『おや』

「『四封の暗黒』……!?」


 ドルナーシャは自分の胸元を押さえた。


「馬鹿な。光と闇が同じ器に共存するなど……」

『普通なら、あり得ませんね』

「普通なら……。だが、あの光の子に……」


 ドルナーシャの声が上擦り、きつく眉が寄せられた。


「マリアネの力が宿っているというのか?」

『さあ』


 チルノーヤは含み笑いを漏らすが、どこか恐怖したように嘆息した。


『ですが、傑作でしょう? 大魔王様が血眼になって探していた鍵が、まさか敵の懐にあったとしたら』

「…………」

『これほど皮肉な話もない……』


 ドルナーシャは警戒を満面に貼り付け、遠くの景色を眺めた。


「今、光の子はどうしている」

『暴走中です』

「何?」

『バリオンが余計なことを言ったのでしょうね。現在、半殺しにされております』

「……バリオンが?」

『ええ。いや、どちらも……?』

「四神魔界王のバリオンを……?」

『互角……でしょうか。面白い光景ですよ』


 チルノーヤの笑みが、声だけでも容易に想像できた。


『しかし、笑ってばかりもいられません』

「……分かっている」

『この魔力を本命に知られるわけにはいかない』


 ドルナーシャは結界へ視線を向ける。


『幸い、現在はガリロルザ全土を覆う結界のおかげで、外部から直接感知されてはいないようです。ならば、大魔王にも知られていないはず』

「だが、このまま暴走を続ければ……」

『ええ』


 チルノーヤの声音が低くなり、刹那の沈黙が流れた。


『ガリロルザそのものが消し飛ぶかもしれない』

「なら急げ」

『そのつもりです。現在、各々が取り込み中。ならば、混乱に乗じて、『虚空の檻』を解除します』

「……だが、そうすれば光の子の存在が」

『大丈夫です。先ほどホレイと連絡を取りました。あちらは任せておけばいいでしょう』

「本当に大丈夫か……?」

『ええ。大丈夫ですって』


 チルノーヤが通信の向こうで、呆れながら首を振っているのが目に浮かぶ。

 対するドルナーシャは焦燥を隠せずにいた。


『ひとまず、結界を破壊。外部通信を復旧させ、転移制限も解除する。国内をさらに混乱させる』

「……その隙に」

『ええ。七光玉をいただく』


 ドルナーシャは静かに頷いた。


『それが我々の勝利条件です』

「分かっている」


 現在、ガリロルザ国を覆う強力な通信妨害結界『虚空の檻』。

 魔操使によって展開されたその結界は、外部への救援要請を遮断するだけでなく、一定範囲の空間そのものを固定し、転移魔法や長距離空間移動を阻害する効力を持っている。

 チルノーヤはノンナへ偽の計画を伝え、ヒナとの戦闘へ誘導する一方、その空白をドルナーシャに補わせている。

 ノンナが敵であるヒナと戦っている間に。

 計画は順風満帆に進んでいる。

 ヒナとノンナ、ガリロルザ王とゼクス、バリオンとツルカ。危険となる存在はまとめて足を取られ、その間に チルノーヤは王都を自由に動き回り、七光玉の在り処を探る。


(……ノンナには悪いが、利用させてもらう)


 ドルナーシャは眼下へ視線を戻した。

 計画。それを果たすのが使命だ。しかし、ヒナのためなら、何だって踏み台にする。


「ヒナ……」


 その小さな姿を見下ろしながら、ドルナーシャは静かに目を細めた。


「もう少しだけ……耐えてくれ。ごめん……」

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