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アイナの声に励まされ、ツルカは深呼吸を一つする。
グランドシオルという世界は、グレイやマリアネのような存在だけでなく、人間側にもあのような化け物がいる。
「……僕も、強くならないとなー……」
だが、意を決したその言葉とは裏腹に、ツルカの腹の虫が情けない音を立てた。
「……まずは腹ごしらえだよねぇ……」
《そうですね。マスターの現在の空腹度は危険水域に達しつつあります。このままでは餓死しますよ》
「だからまだ大丈夫だって。割と余裕はあるって。……怖いこと言わないでよ」
ツルカは謎の男が指し示した東へ向かって、再び森の中を歩き始めた。
幸い、あの三者が去った後の森は元の静けさを取り戻していた。
しばらく歩くと、茂みから茶色い毛玉のような小動物が顔を出し、クリクリとした目でツルカを見つめてきた。
「……っわ。リス……ってやつかな? 可愛い~」
地下では決して見ることのなかった、愛くるしいその姿。それだけで、張り詰めていたツルカの心が少し解れる。
だが、安らぎは長く続かず。
「……うん?」
先ほどの小動物とは違う、大きい気配が茂みを揺らした。
ツルカが咄嗟に身構えると、そこから現れたのは牙の生えた猪と熊を足して二で割ったような、体長三メートルはあろうかという魔物だった。
「うわっ、でか!? え、ええっ!?」
《……ふむ。解析完了。通称『フォレスト・ボア』。ガリロルザ領でよく見られる魔物ですね。まあ、マスターの力なら──────》
アイナの分析を聞くより早く、魔物は低い唸り声を上げ、地面を前足で掻きながら突進の体勢に入る。
「ひぃぃぃ! ちょ、待って待って! 話せばわかる、かもしれない!」
《分かるか! ほら、来ますよ》
「むりむりむり! 逃げるぞアイナ!」
ツルカは情けない絶叫を上げ、回れ右して逃げ出そうとしたが、その背中に向かって魔物が猛然と突進してくる。
「うわああああっ!?」
背後から迫る足音にパニックになったツルカは振り返りざま、咄嗟に手を突き出した。
「と、とりあえず、なんか、ちょっとだけ火でも出して、びっくりさせて……!」
当の本人は指先で小さな火花を散らすくらいの、脅し程度の魔法のつもりだった。
「あっち行けぇーっ!」
だが、ツルカの掌から放たれたのは、そんな可愛らしいものではなかった。
ツルカのイメージとは裏腹に、そのずば抜けた魔力によって練り上げられたのは高密度の炎──火球であった。それは、砲撃された弾丸のように、魔獣に向かって飛翔した。
「…………え?」
放ったツルカ本人も、そして突進してきた魔物も、一瞬、時が止まったかのように硬直する。
やがて、火球は魔物の眉間に直撃した。凄まじい衝撃によって、その巨体は抵抗すらできずに勢いよく後方へと吹き飛ばされる。何本もの木々をなぎ倒し、そのうち勢いが収まると、獣はそのまま動かなくなった。
いや、気絶で済んでいるようだ。魔物の頭上で愉快な小鳥たちが回っているのが辛うじて見える気がした。
「………………」
ツルカは自分の突き出した手のひらを、ぽかんと見つめた。
「……あ。やっちゃった」
《…………いやいや、マスター》
「い、いや! 違うんだよアイナさん。僕は本当に、こう、マッチの火みたいな、ちっちゃいやつで……ちょっと脅かすだけのつもりで~……」
《……マスター? 自分の魔力適性、身体能力、耐性その全てが、『人間』という枠を逸脱している自覚をまず持ってください》
「えええ……」
《といっても、今の火球……威力は間違えど、普通の魔法使いが見習うレベルの完璧な魔力制御でしたね。……無意識で発動しているのがまた不可解。流石、『さいきょー』の魔法使いなことで》
「それは、褒められるんだねっ」
《そうですねー》
ツルカは黒コゲになって動かない魔物を見て、気まずそうに目をそらした。
(……ご、ごめん、猪さん……)
どうやらこの世界で『加減』して生きるのは、ツルカにとって一番難しいことなのかもしれない。
その後も何度か魔物に遭遇したが、ツルカも学習していった。
「あ、なんか来た。アイナさんアイナさん、あれ食べられるやつ?」
《食べられませんし、食べようとしないでください》
ツルカが石ころを拾って投げれば、石は音速を超えて魔物の足を挫き、魔物は悲鳴を上げて逃げていく。
「……僕、やっぱり、結構強いんだね……うんうん」
《今さらですか……》
そんな当の本人だけがその異常さに気づかぬまま、道中の魔物たちは恐れ慄いて、逃げ出していく。
そうして、どれくらい歩いただろうか。
太陽が少し傾き始め、ツルカの元気が少しづつ右肩下がりになった頃。それまで不規則に生えていた木々が途切れ、明らかに人工的な道が森を貫いているのを発見した。
「……あ、道だ」
それは獣道などではない。多くの人や馬車が通ったことで踏み固められた、幅の広い土の道だった。
《情報の通り、この道はおそらく、ナドラナという町に続いているはずです》
「やったぞっ」
疲労困憊だったツルカの足に、再び力がこもる。
道に沿って歩き始めると、しばらくして森の景色が徐々に開けていった。木々の密度が減り、遠くの空が見渡せるようになってくる。
「……あ、見えた!」
そして、ついに森を完全に抜け、緩やかな丘の上に出たツルカの視界に、それは飛び込んできた。
眼下に広がる、大きな町。高い城壁こそないが、丸太を組んだ頑丈な柵が町全体を囲い、いくつかの見張り台が設置されている。町のあちこちからは、白い煙が何本も立ち上っていた。
「ナドラナ……。ついたぁ!」
感慨に浸るツルカの足は、自然と町の入り口へと向かっていた。
町の門は大きく開かれており、そこには屈強な門番が二人立っていた。
だが、彼らは人間ではなかった。
「……おっきい……」
一人は熊のように毛深く、筋骨隆々とした獣人。もう一人は狼のように鋭い目つきをした獣人だ。二人はツルカの姿を一瞥したが、特に咎める様子もなく、雑談を続けている。
ツルカは恐る恐るその門をくぐり抜け、町の中へと足を踏み入れた。
「わぁ…………っ!」
そこはツルカが想像していたどんな光景よりも、活気に満ち溢れていた。
建物は石を土台にし、壁は木材や石材、レンガ等で、屋根はワラや木の板で葺かれた、素朴なものから立派な造りのものまで、多く並んでいる。
だが、ツルカを驚かせたのは建物ではなく、そこを行き交う人々だった。
「うわ、猫耳の人だ……。あ、あっちの人は……鳥の翼が生えてる!」
犬の耳と尻尾を生やした商人。牛のように立派な角を持つ屈強な戦士。背は低いが頑丈そうなドワーフ。そして、もちろんツルカと同じ人間もいる。
様々な種族が当たり前のように共存し、露店を冷やかしたり、酒場と思われる建物で高らかに笑い合っている。
「……すごい! お祭りみたいだっ!」
ツルカは強烈な空腹さえも一瞬忘れ、その活気に満ちた光景に目を奪われた。
もしマリアネがここにいたら、きっと子どものように目を輝かせただろう。
「……よし!」
ツルカはパン、と自分の頬を両手で叩いた。
「まずは、あの人が言ってた『冒険者ギルド』? ……だね。まずは生きるためにそこで仕事を探して……いやっ、その前に、まずご飯か……!」
ツルカは再び鳴り始めた腹の虫を押さえながら、ナドラナの町中へ、興奮した足取りで駆け出した。




