あの子と犯行
明かされた名は瑞雲の知っている名であった。ただし、それはただ名前を知っているだけであり、その他の素性は一切知らなかった。これは単に瑞雲が五篇杏璃という人物に歯牙もかけていなかったことの表れである。いや、歯牙をかけていなかったと言えば語弊になる。実際は単に腐敗した聖使徒たちの一員であることを知っていたため、一切の情報を知らなかったとは言えない。ただ、そう、悪人たちの一人としか瑞雲は五篇杏璃を見なしていなかったのである。
このため瑞雲は五篇杏璃が明確な標的になった播磨より伝えられても、反応に困ってしまった。傍らで本に視線を落としていた氷花は、持っていた本を落としてしまう程の衝撃を受けていたのにもかかわらず、瑞雲は妙にはにかんで眉間に皴を寄せて適当な表情を浮かべるだけであった。
自らの力を行使する権利を与えた指揮官の腑抜けた顔に、播磨は大きな溜息を吐いた。播磨の溜息には憔悴の色が隠されていた。瑞雲はこの憔悴の色を観測することが出来た。そのため、酷く自分が情けない心持となった。絶大な力を振える権力を持っているはずなのにもかかわらず、全体の状況を把握していない自分に妙な嫌気が差したのである。しかしながら、自らに失望して落ち込んだところで何かが変わるわけでもない。そのため瑞雲は、自然の成り行きで下に向いていた視線を播磨へ向けて、自らの真摯な反省を伝えることとした。
「良い目してるじゃねえか。」
「ありがとうございます。それとすいません」
「謝る必要はねえさ。目覚めた矢先に、奇怪なオブジェクトを見ちまったせいだからよ。別にお前さんのせいじゃねえさ、指揮官様。けど、今みたいにシャキッとしてなきゃ駄目だぜ。そいつが指揮官様の義務ってもんだからよ」
腕を組みながらケラケラと軽い笑い声を発する播磨に、瑞雲は虚勢を見出した。けれども、見出したからと言ってそのことを播磨に言うことは無かった。一応のデリカシーである。また、瑞雲にとって目の前で何か含みのある言葉を紡ぐ播磨よりも傍らで驚愕している氷花に集中が向いていたということも要因の一つである。
瑞雲は後者の要因に従って、氷花に視線を向けた。はちみつ色の瞳をこれでもかと開いて、固唾を飲みこむ動作しかしない一人の少女を瑞雲は見つめたのである。
「美紀、どうしたんだい?」
「いや、ごめんなさいね。別にどうっていう訳じゃないのよ。ただ、あの子が、あの臆病で優しい子をこの手でって思っただけよ」
「臆病で優しい……」
狼狽える氷花の言葉に、標的となった五篇と自分とに瑞雲は微かな共通項を見出した。この共通項は自分の弱さであり、相手に付け込まれる甘さでもあった。そして、瑞雲は持ち前の優しさから冷酷な判断とは別に妥協的な手段を思いついた。しかし、それは相手に通じるはずのない対話という手段である。つまるところ薊と同じ結論に至ったのである。
自らの甘さに自ら失望して、親友の心持をなんとなく理解した瑞雲は未だに眠る薊に視線を向ける。
「まあ、本当にそいつが臆病で優しい奴だったらあんな汚ねえマネはしねえさ。昨日のあれも、今日の野郎もよ」
「昨日って、あれはあの子が仕組んだことなの!?」
「ああ、昨日会ったとある勇者はそう言っていたぜ。こんなこと言うのは、あんまり好きじゃねえけど、野郎は男だから間違いねえよ。じゃねえと、あいつが不憫すぎるぜ」
唐突な氷花の声により、薊の瞼はピクリと動く。これを観測した瑞雲はまだもう少し寝ていて欲しいと彼に思った。起き抜けに惨い現実を知るくらいならば、夢の世界で瞬きのような幸せを享受していて欲しかったのである。
「頭が千切られた黒焦げの死体になっちまった野郎が報われねえよ」
「……それってどういった火傷だったの?」
「火傷跡から見て雷に打たれたような焼け方だった。火であぶられたような火傷じゃねえ」
「そう……」
播磨は奥歯を噛みしめながら先ほど見てきた惨たらしい遺骸の状態を氷花に告げた。この事実を知った氷花は、それは自らの知っているあの少女が行ったことであると確信した。何せ、五篇杏璃の魔術は雷を司るモノなのだから。
「それでその死体はどこにあったの?」
「聞きたいか?」
そして、氷花は死体を知っている播磨に対しそれ自体の所在を尋ねた。
だが、播磨はヴァイオレットの瞳を見開いて回答を拒絶した。
「まあ、ただ、野郎は弔っておいた。俺と山科で尊厳を守れるように弔っておいたからよ、そこだけは安心してくれ。いや、こんなことで安心できる訳ねえか」
「ええ、けどあの子を殺さなきゃいけない理由は分かったわ。罪は罪、罰は罰ね。全ては一対一の関係じゃなきゃ報われないわ。そして、きっとそれこそがあの子のせいで死んでいった子たちへの弔いになるわ。身勝手な解釈ですけどね」
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