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いずれ神に至るため  作者: 鍋谷葵
運命を憐れむ人々

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ほんの一コマ

 強情でもなければ虚勢でもない凛とした八千代の覚悟に、氷花は呆れを含んだため息を漏らした。もちろん、自らの確固たる覚悟を前に気落ちするような言動を取られた彼女は、氷花に対してムッとした、随分と可愛らしい表情で不平を訴えた。しかし、その訴えは絶世の美少女と形容される氷花の微笑を前にして撤回される。そう、氷花は彼女に対して爽やかで、何か吹っ切れたような笑みを向けたのである。もはや、彼女を言葉で止める算段は無い上に、彼女自身、自らが死の危険にさらされていることを理解している。しかも、それは彼女自身が兄という唯一無二の保護者から自立しようとしている試みの一つなのである。この成長の一歩を誰が止められるだろう。そして、誰がその権利を持っているのだろうか。誰も持っていないのである。したがって、氷花は微笑みによって未だ心の中で山積していた彼女に対する問題を一時的に解決したのである。

 さっぱりとして、けれども印象に残る氷花の笑みを前に八千代は言葉を失った。同時に自由にやれという氷花からのメッセージを受け取った。したがって、彼女は氷花に小さく頷き、自らが氷花の伝えんとすることを受容したことを行動によって示した。彼女の行動を見届けた氷花は、再びため息を吐くと、伊野をじっとりとした湿り気のある瞳で見つめた。


「美紀ちゃん、どうしたんだい? 僕に何か?」


「いえ、どういう訳でもありませんけど。あいつの了承無く、八千代ちゃんに紫雲のこと話したんだって思っただけですよ。あいつが起きたらこの現状をどう思うか、知って話したんですか?」


 どうやら氷花は、伊野の傍観と八千代の発言から、一切の了解を薊から得ずに大切な情報を、この都市において自分たちや新庄以外知り得ぬ情報を、伊野が勝手に話してしまったことを悟ったらしい。このため、氷花は後で良心の葛藤に悩まされるであろう彼のことを一分適度想いながら、残りの九分は瑞雲の心労に向けながら、伊野に対して少し恨めしい瞳を向けたのである。

 しかし、非難の意を含んだ視線を向けられたところで伊野は普段通りの余裕がたっぷり含まれた微笑を崩すことは無かった。悪気だとか、後悔だとかの感情は一切含まれていない純粋な悪ガキのような笑みを顔に貼り付けたのである。このため、氷花は若干苛立たしさを含んだため息を漏らした。そして、伊野はこの溜息についてプッと笑いをこぼした。伊野からすれば自らの態度に釣られ、氷花の感情が揺れ動いたことが愉快だったのである。つまりは平生の伊野が、そこに居たという話である。

 言動による内面の示唆により、氷花は伊野のこぼれた笑みに苛立たしさを覚えることは無かった。ただ、むず痒い平生への回帰による喜びが、氷花の内面に滲んだだけであった。岩の割れ目から染み出る水のように、氷花の心を満たしてゆく喜びは、氷花の視線を伊野から逸らすことに成功した。自発的に逸れた氷花の視線に、伊野はニヤリと意地悪な笑みを浮かべたが、それ以上の動きを見せることは無かった。流石の伊野も、一度恥じらった人間を追い詰めるほど人間としての質は劣っていない。いや、そう断言することは難しいのかもしれない。何せ、伊野の思考から行けば、これが氷花ではなく、ソファでぐっすりと眠っている少年たちであればもっと自らの快楽的欲求を満たすための行動を取っていただろうからである。したがって、氷花の興奮の探求が健全なモノかと言えばそれは違うとも言えるのだ。

 ただし、何はともあれ八千代は自らの心構えを伝え、伊野は満足し、氷花は極々近い面倒ごとに対して溜息を漏らした。こうして妙に顔が良く、一人を除けば随分と性格の良い少女たちは、各々が感じ得た感情に従った表情を顔に示しながら行動に移していった。氷花は冷蔵庫を探り、伊野は電気ケトルの中に水を注ぎ、八千代は山科の本棚から適当に選んだ本を取ってぺらぺらと捲ったりした。


「……朝?」


「そうです、朝ですよ、瑞雲さん」


 ゆっくりと瞼を開け、生ぬるい眠気を帯びた声を漏らしながら瑞雲は目覚めた。そして、瑞雲の最も近くで本をめくっていた八千代は瑞雲に朝の訪れを告げた。


「おはよう。よく眠れた、八千代たん?」


「その言い方、止めてくださいよ」


 呼び慣れた愛称で自らの名前を呼ぶ瑞雲に対して、八千代は嫌悪感を示した。しかし、彼女は本気で瑞雲の言葉を拒絶する言葉を、眉間に皴を寄せながら紡いだ。これに対し、瑞雲はショックを見せることなく、いの一番に紡いだ声とは真逆の意思の感情を込めた無邪気な笑みを浮かべた。


「ああ、ごめんね。それでよく眠れたかい?」


 そして、妙にキザな口調で八千代に睡眠の質を問いかけた。これまでのどこか追い詰められ、余裕のなさそうにしていた様子に比べ、普段通りのどこか変態チックな態度を取り戻した瑞雲に彼女は笑みを浮かべた。これは先ほど、氷花が伊野の言動に対して抱いた感情と同じである。しかし、氷花と異なるのは、彼女が自らの感情に対して少なからず正直であるということである。


「はい。おかげさまでよく眠れましたよ」


 このため八千代も、瑞雲と同じように純粋で屈託のない笑みを浮かべたのである。


ご覧いただきありがとうございます。

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