小さな背中に、大きすぎる責任
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伊野は自らの言葉で、自らの冷静さを証明しようと試みた。伊野は自らの精神が実際には、平静であり、その土台の上に弁明を述べているつもりであった。つらつらと口から溢れ出る言葉は怜悧な思考の結果であり、語気の強さは説得力を持たせるための手法に他ならないつもりであった。そうして自らの声が薊の疑念を打ち払い、彼が向けてきた殺人への覚悟に対する疑念を払拭できているつもりであった。
だが伊野は自らの行為が自らの認識から外れていることを彼の表情から捉えた。物悲し気に目を見開いて、唇をわなわなと震わせる少年の姿に他ならない悲劇を見抜いた。光景から自らの精神を逆説的に分析した伊野は唇の端を噛み締めて、華奢な肩をがっくりと落として、目を伏せて、自らと彼の視線から意識を逸らそうとした。
現実逃避に近しい先輩の言動は、落涙を催すほどの寂しさを含んでいた。彼は相変わらず体を剛直させて、眼前の少女と同じように目を伏せた。そうして瞼の裏に、少女が抱えるには重すぎる責任と自己犠牲の像を見通した。それは彼の経験と接続され、これまでわかっていた想像上の事実よりも一層深い絶望を彼に与えたのだった。つまるところ、少女が宣言している殺人は、彼の視点からすれば、自らの手で喜多を殺すことと同意義なのであった。無二の友人のうちの一人を燃え上がる狂気の中に放り込み、復讐と慟哭を自らに与えた不可逆的な事象を自らの手で起こし、その全責任を自ら負おうとしている事実。これは彼が想起した少女の像に、彼の想像をすべて没落させるほどの痛みをもたらし、それに従って彼は「絶対に自分にはできない。そうして、自分にできないのであれば、伊野さんにもできないはず。伊野さんが聖使徒で、いままでどんな仕事をしてたかわからないけど、自分の親友を自分の手で殺す真似なんてまともな倫理観を持ってたらできるはずがない」と脳裏に言葉をぶちまけた。
自らの言葉に彼が何を想っているのか、その悲壮的な言動に如何なる思想が載せられているのか、伊野はこれを知る術を持っていた。魔術を行使さえすれば、頭蓋の奥など容易に覗き込めた。だが伊野はしなかった。魔術を使い、彼の真意を知ってしまえば、感情がさらに昂ってしまい、出来損ないの倫理とかりそめの覚悟とが破綻し、いよいよ殺人などできなくなってしまう。そんな予感を抱いたためであった。したがって、伊野は憎しみと、苦しみと、痛みと、嘆きに歪んだ顔を上げて、俯く後輩の頭頂部を見つめた。それからぴょこんと跳ねるアホ毛に抑えつけるように、彼の頭に手を置いた。
「薊、僕は大丈夫だよ。絶対に大丈夫だ。僕が責任を負う。ろくでもなくて、一生涯苦しむような罰が降りかかる仕事だとしてもやり遂げるさ。大体にして、こんな汚れ仕事は僕にしかできないんだ。いや、僕だけができる仕事なんだ。転向した阿呆を殺すのは、その親友だけなんだよ。正義の味方でも、行政でも、誰でもなくて、その親友が、常に傍らにいたのにそいつの心理に気づけなかったもう一人の阿呆がやらないとなんだ。だから僕はやるさ。僕にはできるさ。薊は心配しなくていいよ」
嗚咽を押し殺して無理矢理紡いだその言葉に、彼は唇を微かに開けた。悲し気な虚勢に意味がないこと、その判断が一生涯の後悔になること、そうして罪として人生をめちゃくちゃにするだろうことを予期し、その旨を、頭にぶちまけられた言葉の全てを紡ごうとしたのだった。けれども彼は先輩の覚悟を無下にする真似はできなかった。自らに降りかかる事実を想起して、そのすべてを飲み下した少女をどうして制止することができようか。彼は半開きの唇を閉じて、深々と息を吐いた。それから顔を上げて、出来るだけ屈託のない笑みを浮かべた。
「任せますよ。俺もできることはやりますから」
薊は伊野の心の重みを婉曲的に、微かに和らげるために、微笑の中にあえての挑発を入れた。
「きまったか?」
そして薊の言葉が消えると同時に、封じられた部屋から伊野にとっては嫌というほど馴染みのある声が聞こえてきた。
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