天藍は驚く。
「……いさん、兄さん?」
肩を揺すられ、目を覚ました天藍に、統がホッとしたように表情を優しくした。
「大丈夫?うなされてたよ?」
「あ、ありがとう……統」
「はい、お水。今、お兄ちゃんが着替えを取りに行ってる」
渡された器から水を飲み干し、額に浮かぶ汗をこれも先回りして渡して貰った布で拭う。
「ありがとう……統は、すごく気が利くんだね」
「私は5才の頃かな……父さんに引き取って貰ったんだ。多分父さんが教えてくれたと思うけど。常山郡真定県から、ずっと。その頃、荊州は荊州でも新谷の辺りまで、お祖父様を追ってきたんだ。お祖父様は亡くなってたけど。広はやんちゃで言うこと聞かないし、幼馴染みは自分勝手で、もう苦しかった」
目を伏せる、天藍ですら息を飲む程の絶世の美貌の少年。
「その時、父さんや母さん、お兄ちゃんが引き取ってくれて、可愛がってくれたんだ」
「お兄ちゃん……って、喬だよね?」
「うん。他の兄さんは皆兄さん。お兄ちゃんは特別。私が高い熱でうなされていた時も、ずっとついててくれたんだ」
「……うん。それ解る。俺は父がいなくて、母が宗教に傾倒して、僅かなお金もつぎ込むんだ。仕事をして得たお金で借りた人に返すのに、また借りてて……注意しても怒鳴り散らすばかりで……あの日、酒場で知り合いのおじさんと一緒に、均お父さんが食べてて、俺を見て『ほらほら、一緒に食べよう』って『食べて、寝ないと駄目だよ?』って言ってくれたんだ。俺にそんなこと言ってくれる人いなかった……。翌日、家に戻ったら母が怒鳴り散らして……もう、うんざりだった。泣きそうだった……」
天藍は瞳を潤ませる。
「そうしたら均お父さんが『迎えに来たよ。一緒に帰ろう』って……そして、戻っていったらお父さんがいて『金剛と兄弟だね』って……」
「……私たち共だよ。兄さん。……あ、お兄ちゃんに、索兄さん」
扉を開けてきたのは、喬ともう一人、長身の少年。
「喬と途中で会ったんだ。あ、そうだ、初めまして。俺は黄索。金剛の一つ上なんだ。よろしく」
「あ、私は天藍と言います。金剛の一つ下です。よろしくお願い致します」
「索兄さん?天藍兄さんも丁寧に挨拶したのに、それはないんじゃない?」
「えっ!あ、申し訳ない」
「いえいえ!私は年下ですし、まだ未熟です。構いません!」
天藍は首を振る。
「まぁ、索兄さんのあっさりさはいつもだし、天藍お兄ちゃん。着替えしようよ。今度お母さんと循お兄ちゃんが仕立ててくれるけど、あるものになっちゃうけど、はい、お母さんがこれを着てねって」
「えっ?こんなに上等の?」
「お兄ちゃんのだよ。僕は不器用だから、統か循お兄ちゃんが手伝ってくれるからね?髪も結い上げる?」
「えっ?そう言えば3人共結い上げてるけど、出仕してるの?」
「うん。広もなんだけど、広はね?出仕中に怪我をして静養中。お兄ちゃんも落ち着いたら出仕だと思うよ?武官少ないし……僕はダメだから……皆武官なのに……」
うつむく華奢な少年の後ろから、
「コラコラ~喬。私を忘れてない?まぁ、喬は内政、私は参謀だけどね」
「あ、循お兄ちゃん」
「あぁ、索兄さん、喬がまた倒れないように、担いでいいから連れていって。私と統で準備するから」
「あぁ、解った。じゃぁ喬、行くか?」
索は軽々と担ぎ上げ、部屋を出ていった。
「……お父さんもそうだったけど、ここの家では子供は担がれるの?」
その背を見送り呟いた天藍に、循が、
「父さんはだっこが好きなんだよ。索兄さんは喬と広と、自分の弟の興だけは抱えてる」
「索兄さんは強そうだね。俺は敵わないかもしれない。多分統にも……俺が得意なのは接近戦と弓弩だから……」
「あ、そう言えば……家の研究用の連弩今度試す?天藍。均おじさんが昔作ったのを改良しているけど、使うのが私だけで、不備とか分からないんだよね」
「連弩?」
「うん。10連射式連弩。兄さんたちや、統や広は連弩を準備する暇があったら出ていくし、喬は余り丈夫じゃないから使わないんだ。だから私が主に……でも、説明ができないんだよね~」
循の言葉に頷く。
「うん。やってみたい。それより、ごめん。髪の毛もつれてるでしょ?」
「と言うか、父さんも同じ。丁寧に梳かすから……でも、これだけ長いと結い上げるより、飾った方がいいかも」
「そうだね。天藍兄さんは髪の毛が茶色に近い金色だから、まとめあげるよりも見映えがするよ。それと、兄さん背中丸めてる!はい!胸を開くようにする!」
統はぽんっと背中を叩いた。
「ウワッ!はい!」
「じゃぁ、兄さん。背が高いんだからきちんとする!」
「それに、髪も結い上げるより、飾ってみたら似合うじゃん。あぁ、私より背が高い……」
立ち上がった天藍は、自分の身を覆う衣装に驚く。
「し、刺繍!刺繍してる……着たことない」
「あ、それ、私の力作。小さい頃から刺繍の名手の実家の母に教わっていたんだ。それに、母さんも上手だよ」
「えぇぇ!刺繍出来るの?」
「女の子みたいでしょ?」
苦笑する循に、天藍は首を振る。
「違うよ!俺、家が貧乏だから色々と手間賃が貰える仕事を幾つもしてたけど、縫い物は繕いはできても、こんなすごい刺繍ができたら、もっと借金が返せたかなぁって……借金遺してきたし……循に教えて貰って……」
「天藍~?」
窓から顔を覗かせたのは、均である。
「借金は父さんがと言うよりも、金剛のエロ親父から掠め取った小遣いで返しておいたから。刺繍は習ってもいいけど借金返済よりも、家の姉さんに子供ができたから何か作ってあげてくれない?」
「お父さんの……お姉さん?」
「そう、おばはんだよ、おばはん。もういい年なのに……アダダダダ!」
「均?今何て言ったのかしら?」
顔面を鷲づかみ、ついでにもう片方の腕で首を絞められ、均はうめく。
「紅瑩お姉さま、申し訳ございませんでした~‼」
「全く、亮が帰ってきたら遊んであげるのに、貴方だと、遊ぶことができないじゃないの」
「やってるじゃないか~‼姉上の凶暴!」
「この程度で根をあげる貴方じゃないでしょ!私が本調子なら、ねぇ?」
「……妊婦があれは絶対にやめて下さい、姉上。それでなくても一度流産してるんだから!身体大事にして!お願い!」
痛がりつつ忠告する。
「……そのつもりよ。それに息子たちが情けなくて、ここで鍛えて貰おうと思って。均。よろしくね?最低でも、索くんか統についていける位鍛えて頂戴。本当に甘ったれなんだから」
「解りました~‼だから顔面が変形しそうになる位、力込めないで~‼姉上!」
指がめり込むのを見て、天藍は唖然とする。
飄々としていた均が、本気で必死になっている。
顔立ちは良く似ている、でも華奢な体といい女性のはずである。
「あ、天藍。父さんたちの上のお姉さんの紅瑩伯母さん。妹の晶瑩伯母さんは許都にいて、一番上のお兄さんと妹さんが江東にいるんだ」
「あぁ、初めましてね?天藍?紅瑩伯母さんよ?よろしくね?均?さぁ、膝を付き合わせてお話ししましょうか?」
「うぎゃぁぁ!何でこんな時に兄さまいないの~!最悪だ~!」
「うだうだ言わないの!貴方は体力と図太い神経だけは、諸葛家の血をしっかり引いているんだから、来なさい!」
妊婦だといっていたはずの姉は、弟を片腕で引きずっていく。
「……す、すごい伯母さんだね……」
天藍は、何とか呟いたのだった。




