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月亮の輝きを……【破鏡の世に……第二章】  作者: 刹那玻璃
進む道は楽なものではないと誰もが知っているのです。
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元直さんのいる許都では……。

「こら?月亮げつりょう。何をしているの」


 2年前に執務を完全に引退し、家でコロコロと朗らかに笑っている義母の瓊樹けいじゅは、娘の玉樹ぎょくじゅと生まれた孫達と一緒に、庭を見ている。

 その庭では、


「ヨーシ‼おっちゃんは敵‼お祖父様が『お祖母様と母様を守るんだぞ』って言ったんだもん‼行くぞ‼」

「わぁぁ‼」

「こら‼月亮」

「あぁ、父さま‼」


 わーい‼


 嬉しそうに目をキラキラさせる息子を抱き上げる。

 年を重ねた元直は、息子の額にコツンと額を当てると、


「で、又、何をされているのですか?仕事は?義兄上」

「な、何が兄だ‼貴様」

「では、子林しりんどの」


 見下ろしたぼうは、又ギラギラとした派手な格好をしている。


「仕事を放置して何をされているのですか?じゅう兄上は父上と職務に励まれていますが?」




 瓊樹の夫、夏侯元譲かこうげんじょうには7人程息子がいたとあるが、いみなもしくはあざなが解るのは4人。

 長男のじゅう(字不明)、次男が楙、そして、子臧しぞう子江しこうと言う字のみ遺された二人の子のみ。

 従弟の夏侯妙才かこうみょうさいにはこうしょうえいけいと言う名前の息子があり、それぞれ字は伯權はくけん仲權ちゅうけん叔權しゅくけん季權きけん幼權ようけん稚權ちけん義權ぎけんと字が遺っている。


 妙才の息子は、後に権力を握る司馬仲達しばちゅうたつにクーデターを起こし、仲權が自分の従姉の子供になる張益徳ちょうえきとくの娘の夫、蜀漢しょくかん後主こうしゅ劉公嗣りゅうこうしの元に逃れた為だろう。

 因みに正史『三国志』の作者、晋の陳寿ちんじゅ、字は承祚しょうそは元々蜀漢の出身で父親が馬幼常ばようじょうの失策の際に、罪を受けたと言われている。




 因みに元直は徐家じょけを離れ、義母の荀家じゅんけの養子になっている。

 一応、義母の公での名前の荀彧じゅんいく(字は文若ぶんじゃく)は、清流派の強い勢力を持つ一族であり、年上ではあるものの甥の荀攸じゅんゆう(字は公達こうたつ)と共に支えていた。

 二年前に突然義母が仕事を辞めたと聞いた時には、元直は何の冗談かと思った程、仕事好きであった。

 が、あっけらかんと、


「だって、元直く~ん。孟徳もうとくさまが、旦那さまと又離れろって言うんですもの‼しかも、公達兄さままで構わないって。酷いでしょ?だから、元直くんをうちの養子にするから、私は仕事やめま~すって」


と答えた義母に、元直は額を押さえる。


 ちょっと待て……‼

 この目の前にいる義母は、本当に見た目はぽややんだが、普段もぽややんだが‼

 仕事は集中すれば三人分を一日でさばく内政担当者‼

 これに近づくには……。


「あの、義母上。私は義母上や孔明こうめいのように……恐ろしい程の執政能力はありませんが……」


 だらだらと冷や汗をかきつつ告げる。


「母上や孔明程、仕事をさばく自信はありません……」

「あ~ら‼」


 瓊樹はコロコロと笑った。


「何を言うのかしら。公達兄さまが誉めるなんて、余程よ?うちの子は皆、馬鹿って言うんだもの」

「……‼」


 因みに元直の横にいたのは、『馬鹿』呼ばわりされている本人の3人の息子……。

 そして、その父であり、瓊樹の夫である義父元譲……。


「兄さまは旦那さまがお気に入りなのよ。武官になるなら最低でも旦那さま。文官なら最低でも亡くなった郭嘉かくかじゃないとダメですって‼オホホホ……あんなのになったら、仕事はできても、女好きよ?私、アイツ嫌いでしたもの‼」

「あ、アイツ……‼」

「あら、嫌だ。聞かなかったことにしてね?死んだ人間を後々まで憎く思う……あぁ、思い出すのも嫌‼」


 全身をかきむしる義母に、元譲は慌てて手を取る。


「瓊樹。やめてくれないか。折角のそなたの美しい体が‼」

「で、でも、旦那さま……」

「えーと、父上、母上。私が元直を説得します」


 嫡男の充が両親を追い出すと、元直を見る。

 父親の元譲ががっしりとした歴年の武将、そして美貌で知られる瓊樹の子供にしては、中肉中背で平凡より少し凛々しい印象の青年である。

 4人の兄弟の中で一番全体的に平凡より上……でも、その一つでも飛び抜けて、抜きん出て優れたところのない中途半端、それが充である。

 しかしそれでも懸命に努力をして父を目標にと努力を続ける充は、元直と一番に仲良くなった義兄弟である。

 学問も、そして元直が身に付けている武術も鍛えたいと、家は別に構えているのだが度々会いに来てくれていた。


「ね?元直。お願いだから母上の言う通りにして。あの方の名前を思い出しただけで、母上お……怒るから」

「あの、郭奉孝かくほうこうどのですよね?」


 元直が許都きょとに来る前に病死した孟徳の参謀、郭奉孝……。

 かなり才能のある、孟徳が若くして逝ったことを嘆いていたときいている。

 しかし、確か、義母が孟徳に推薦したとも聞いているが……。


「えとね、奉孝どの。母上の言っていた通り女好きで、母上に迫ってたんだって。公達叔父上の13才下で、叔父上は『やめておけ。文若はお前は好みではないそうだ』と止めたのに……で、ついに屋敷まで来てね……父上いなくて……母上が武器を持っちゃったんだよ……」

「持っちゃった?」

「『おらぁぁ、貴様ぁぁ‼』って、父上や妙才叔父上を傍で見てたから、父上の武器をぶん投げて、そこら辺のものを全部投げつけて……女性では口にしないような罵詈雑言の数々……に『触られた、気持ち悪い‼』とあぁやってかきむしって……父上が戻ってきた時には、家具や書簡の山に押し潰された奉孝どのの上で、血まみれの母上。父上はびえびえ泣きじゃくる母上を慌てて医師に見せて、奉孝どのは妙才叔父上と公達叔父上に取っ捕まって帰っていったんだ。それ以来、傍に近づかれるとあれ。それで孟徳さまが参謀として連れていく代わりに母上は内政。で、母上の前では禁句になったんだ。だから思い出させないように、お願い‼」


 3人に手を合わせられて拝まれる……因みに子林はいない……居心地の悪さもあり、答える。


「わ、解りました。実家の方も弟がおりますし、大丈夫です。でも母上の息子としてと言うのはとても緊張します……それでなくとも上司である公達さまに何とか付いていっている状態ですので……」

「いやいや……それが普通じゃないから」

「そうですか?私の敬弟の孔明は、きっと公達さまが納得すると思います。それに、癖は強いですが士元しげんは……」

「私は、元直だから十分やっていけると思うのだが?」


 姿を見せたのは公達本人である。


「昼間、文若の様子がおかしかったので来てみたのだが……殿が口を滑らせるとは……」

「口を滑らせた?」

「あぁ。珍しくあの文若が殿に食って掛かったらしい。公での対応が悪い。服装も公と私は分けるようにと。で、つい文若に『口うるさい。奉孝だったら……』とボソッと言ってしまったらしい。で、もう少しで物を投げるのを、文謙ぶんけんどのに止めて貰って……曼成まんせいどのがおられれば、まだましだったのだろうが……」


 珍しくため息をつく。

 曼成……李典りてんは5年前、病に倒れすでに亡くなっていた。

 まだ36で、然程年の変わらない元直は、かなり衝撃を受けた。

 口数が少ないというよりも口下手であがり性、それでいて武芸にも学問にも努力を惜しまなかった好青年である。

 幼い子供達を遺し逝くのは辛かっただろうと、今でも思う。


 でも、自分は心に刻んでいる……孔明の言葉を。

 まだ死ぬ訳にはいかない。

 離れていても、孔明の道を見届ける……いや、その手伝いをできうる限りして見せるのだと。


「……で、文若はやめると言うよりも、死ぬと言うので……一族で話し合い『文若』は病死し『瓊樹』が自由に生きろと言うことになった。だが『文若』の後継者がいない。元直。お前が『荀』の姓を名乗って欲しい。良いかな?」

「……私は、先も申し上げましたが、然程優秀ではないと思います。それに、私はご存じだと思いますが、公にできない隠し事も持っています。それと『諸葛孔明しょかつこうめい』の義兄弟です。幾ら忠誠を誓ったと言えども、兄弟の誓いは破ることはもうしたくありません。それでよろしければ……」

「十分だ。逆にそう言わないと、追い出すつもりだったよ」


 公達は微笑んだ。

 それから公では荀元直と名乗り過ごしている。




 元直は、妻の兄弟を見つめる。

 そして穏やかに、


「あぁ、そう言えば、貴方の仲が良い、曹子桓そうしかんどの、子建しけんどのも、一般の官吏として働かれていらっしゃいますね。子林どのは……無官でしたか?」

「うるさい‼貴様が、この家にいるからだ‼貴様が来なければ‼敵に情報を送っている裏切り者が‼」

「黙りなさい‼」


元直は低い声で告げる。


「何が裏切りです?私がもし、孔明に書簡を送っていたとしても、それは孔明の家族……奥方や子供達について息災かどうか‼他に聞くことはありません。それに、それは妻や母上、父上に見られても構わないと思っていますし、母上のご友人であらせられる卞夫人べんふじんさまにも伝わり、孟徳さまもお聞きになられる。皇帝陛下の可愛がられておられる黄晶おうしょうどのもご存じだ‼特に黄晶どのは孔明を知っている‼貴方のような者が、何の意味もない嘘偽りを並べ立てても、誰が聞くと言うのだ⁉」

「うるさい‼貴様が、その子供を連れて……」

「私の子です。貴方にどうこう言われる筋合いはない‼」

「それに、私の子ですもの、どうして私の家に居てはいけませんの?お兄様……いいえ、誰でしたかしら……?」


 玉樹は夫を見上げる。


「貴方様?月亮が最近やんちゃで困りますの」

「私に似たからかなぁ……昔はかなり悪戯をしてて……」

「でも、とても優しいですわ。私やお母様と手を繋いでは連れていってくれますし、お兄ちゃんとしてしっかりとしてきて……お父様が『流石は私の孫だ‼』と、よくお客様に自慢してますのよ。ね?」

「お祖父様、お客様が来る度に僕を呼ぶんだよ?あ、でも、お客様のお話は面白いよ?ねぇ、父さま‼黄晶お兄ちゃんが今度遊びに来てってお便りが来たんだ。父さま今度行くんでしょう?一緒にいって良い?」

「あぁ、行こうか。じゃぁ、お母様とお祖母様の所に行きなさい」

「はい‼お母様。行こう?」


 月亮は母の手を握り楽しげに歩いていく。

 それをちらっと見送り、向き直ると低い声で、


「父上がいない時を見計らい、こう度々来られるのは困るので、貴方の元奥方のご実家に申し上げに参りますね。えぇ、父上と共に」

「な、何だと‼」


子林の元妻は清河公主せいかこうしゅと後の世に諱が残る、曹孟徳そうもうとくの娘である。


「えぇ。今度お伝えしますね?……あ‼」


 回廊を回って談笑しつつ現れたのは義父元譲と義兄の充、そして、曹孟徳の嫡男の子脩ししゅうである。


「子脩さま、父上、兄上お帰りなさい」

「久しぶりだな‼元直」


 曹孟徳の嫡男であるのだが、かなりざっくばらんで大雑把に見えて、緻密な思考能力は父親に似ている。

 ちなみに女好きの血は、彼や同母弟のしゃくは受け継がなかったらしい。

 二人共妾はおらず、奥方をそれはそれは溺愛している。

 で、鑠には月亮の二つ下に女の子が生まれている。


「で、何だ?又来てるのか?」

「あー‼子脩叔父上‼充叔父上‼お祖父様、お帰りなさい‼」


 母を席に送り届け、嬉しそうに駆け寄る月亮に子脩は、


「おっ?前より大きくなったな⁉頑張ってるか?」

「はい‼叔父上‼僕はお祖父様みたいな、強くて優しい人になります‼あ、父さまみたいに賢くて立派な官吏としてお仕えしたいです‼」

「そうかそうか~‼月亮は偉いぞ。お祖父様や父さまみたいにきっとなれる。頑張れ」

「はい‼」


抱き上げられて喜ぶ月亮を見た子脩は、子林を見て、


「両親が本当に必死に育ててくれたのを忘れ、未だにこれか?陛下に上奏して、お前を別の地に送り出して戴けるか、お願いすることにする‼」

「なっ!」


目を見開く従弟を冷たく見据え、吐き捨てる。


「家族のことを思うことすらできぬ人間が、権力を握ることこそ恐ろしい‼お前がもし権力を握るようになれば、南方の劉備りゅうびとまでは言えないが、荊州襄陽けいしゅうじょうようを一時的に支配した蔡瑁さいぼうと変わらぬ‼あの者の末路は覚えているだろう?」


 子林は蒼白になる。

 赤壁で大敗した彼は、責任を取り命を奪われた。

 赤壁大敗よりももっと重いとされた罪は、皇帝より預かった兵を病で失ったこと、そしてそれを放置し兵の為の食糧を食い尽くしたことである。


「今すぐ出ていけ‼そして数日後の陛下よりの命を待つことだ‼」


 子脩の声に転がるようにして逃げ出した子林を、皆は冷たく見送っていたのだった。

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