少年を引き取る。
出勤する為、着替えに戻った姜維は、貰ったお金は家に置かず隠したまま仕事に向かう事にする。
店主は優しく、食事を食べさせてくれた為、
「行ってきます」
と声をかけると、眠たそうに起きてきた母親が眉をつり上げる。
「お前‼私に許しもなく、こんな時間に‼」
「母さん。仕事だから」
「私に反抗するのかい‼これだからお前なんか……」
いつも通り手を振り上げられるのを、諦めたように立っている。
「失礼します」
背後から声が聞こえた。
「おはよう‼昨日はありがとうね。城門にギリギリに転がり込んだ私に、宿を見つけてくれたり、食事が出来る所を探してくれて助かったよ……って、家族の喧嘩?」
「な、何だい‼あんたは⁉」
「はい?」
均は、上げた手を隠したポッチャリとした母親を見つめ、酷薄な笑みを浮かべる。
「年齢にしては痩せすぎた、顔色の悪い彼のことが心配で、様子を見に来た赤の他人ですが?」
「あ、赤の他人が、家にずかずかと‼」
「入ってないと、あんたは息子を殴ってるだろ?それに、あんた知ってるか?」
近づいてきた均は、姜維の手を掴む。
一瞬逃れようとしたが、ほっそりとした印象の手には、姜維よりも固い特有のタコがある。
「あんたがお楽しく現実から逃げて、金をばらまいて子供に苦労を押し付けて、満足しているんだろうが、子供は親を選べないんだよ‼自分が不幸だ不幸だと、子供を不孝だと口ではいっているようだけどな⁉子供をこんな仕事をさせるまで苦しめて、何だと思ってるんだ‼」
「何だって‼」
「この子はな⁉」
「言わないで‼」
姜維は必死に頼み込むが、均は一瞬いたわるように微笑むと、母親を怒鳴り付ける。
「あんたが息子を殺し屋にしようとしてる。私はそれを許さない‼おいで‼お前は今日から家の子だ‼」
「何だって‼」
「おいで、必要な荷物があれば、持っていっていいよ」
均の声に、懐に入れていた銭を母に差し出す。
「これを……最後の孝行だと思います。受け取って下さい」
「こんなのにやらなくていい‼」
「……私が生まれたから、実家に帰れなかったそうです。それに……私がいたから不幸になったのなら……生まなかったら良かったのに……母上」
頬を伝うものを気にせず、母の手に握らせる。
「これだけしか出来なくてごめんなさい。『再見』」
「なっ‼」
「私の今まで母上に渡して来たお金は、貴方が信じる教祖に命令され邪魔な者や、教祖が信者に『妬んでいる。殺して欲しい』と頼まれた者を殺して得たお金です」
「ひ、ヒィィ‼」
息子の手を振り払う。
それを寂しげに見つめた後、頭を下げた。
「忘れてください。『再見』……あの……」
「行くよ」
「はい……」
青年に手を引かれ去っていく息子を茫然と見送り、閉ざされた扉の内側に投げ込んだか、ひらひらっと舞うのは自分が息子の意見を聞かず、あちこちに作った借金の借用書。
それは返済済の文字や印が押され、最後に目の前に落ちたのは、
『宗教に溺れ、銭を得る為に息子に朝晩働かせ、暴力を振るう母親に、金を貸し出した者なり。借財のかたに息子を貰い受ける。二度と息子の事を口にせぬように。諸葛均』
と言う文字。
母親はしゃがみこみ、息子が最後に手渡してくれた手を振り払い、ばらまいたお金を、ぼんやりと見つめていたのだった。
城内を歩きながら、幾つかの物を店主とやり取りしつつ値引きして購入しつつ、
「はい。これ、これも。帰ったらお母さん……お前のお祖母様はあれこれ揃えてくれるけど、最低限は持っておくんだよ?」
「お祖母様?」
「そう。私と兄の妻子はこっちに来てないんだ。あぁ、兄さまの長男の金剛は、来てるけどね。あぁ、私達の姉の、義理の妹の家族はいるよ」
自分を一回り小さくした背丈の少年に、
「あ、そう言えば、もう一回聞くけど、名前は?」
「姜維です。字はありません」
「年は?」
「15です」
「うはー‼これ位だったのか‼昔は女装出来たの解るなぁ……」
感心したように漏らす。
「女装?」
「そう。前に言ったでしょ?徐州の出身だって。8才の時に戦乱に巻き込まれて、姉二人と兄と4人で必死に逃げ回ったんだよ。で、上の姉でも15、下は14、兄は12。長兄は私より11上で、私を生んだ母が逝って、再婚した義母とその娘である妹とは別に逃げたんだ。父はもう死んでたから家長の兄が馬車で。私たちは叔父を頼れってね。でも、あちこち転々」
「私じゃ無理ですね」
「それはないんじゃない?お前は綺麗な顔をしているから。でも、大変だよ?」
クスクス笑う。
「家の姉たちはそれはそれは豪快な姉たちで、弩や弓、もう一人は拳で猪を追いかけて仕留めてたからね。兄さまが嘆いて『折角つくろった衣が……かぎ裂きにボロボロ。どうするんですかぁ‼』って『猪が往生際が悪いからよ』『そうそう』って、二人の姉はけろっとしてるから兄さまが泣きながら猪をさばいて、料理を作って、姉さま達の衣をつくろって……」
「え?お姉さん……」
「お姉さんなんて可愛いもんじゃないよ。あれは人間外‼2対1で、張飛将軍が手を抜くのも辛かっただって」
「張飛将軍って、あの?」
「多分、想像の人だよ。ほら、これもって」
手渡された荷物を持とうとするが、
「お、おっもー‼」
「アハハ‼半分持つよ~」
「でも、もう持ってる⁉」
「兄さまならもっと怪力だけど、私もそれなりにだよ。ほらほら、門を出よう」
門番に札を見せると出ていくと、
「あの、この荷物で長距離は……」
「うん、あそこ」
示すのは馬孟起の屋敷である。
「あ、あの……?」
「そう。馬鹿の奥さんの妹が私の兄さまの奥さんで、挨拶に来ているんだよ。あ、おーい‼叔常どのー‼」
「あぁ、均どの。こらっ?宏。馬に乗れなかったら、どうするんだ?」
馬からひらっと降りると、上に乗ったままの少年はべそをかく。
「だって、だって……無理だよ……均叔父さん‼」
「頑張れ、宏。家の統は5歳で乗ってたよ」
「だそうだぞ?宏?それと……彼は?」
「ん?あ、そうそう。僕の息子。名前は天藍。年は15歳だよ。天藍。私の姉さまの義妹の球琳どの。年が変わらないし兄弟のように育ったんだ。で、長男の宏。見ての通り、武術が苦手で、口が達者。兄さんは?それに琳瓊と玉葉は?」
「アハハ‼……あれだ、あれ」
球琳は示すと、二人の少女が父親と遊んでいる……と言うより、父親を振り回している。
「ちょっと待て‼二人とも‼父さんは一人でな?」
「宏とばっかりだったもん‼りんりんとようようと遊ぶのよ」
「うん‼遊ぶのよ‼」
「お、均‼均がいるぞ」
「兄さん、頑張れ‼さて、天藍。中に行くよ」
均は息子と、天藍と名前をつけた姜維を連れ、奥に入っていったのだった。
「あの……天藍?」
「そう。空の青い空の色。綺麗な色だろう?広くて美しいし、お前に似合うと思って。ほら、奥。置いていくよ、天藍」
「は、はい‼」
幼くして父を亡くしていた彼にとっては、『父親』は憧れで、『息子』と呼ばれるのも嬉しい。
荷物を持ち、せかせかと追いかけていったのだった。




