重苦しい空気を吹き飛ばす、お姉さまの登場に琉璃は喜びを隠しきれませんでした。
『士元の死』はすぐに宮中のみならず町中に伝わり、親しい者は涙し、親しくはないものの辣腕の参謀として知れ渡っていた彼を悼む声が届く。
士元の家族は、何の偶然か孔明と金剛と共に出向いていて、遺骸と共に移動するらしい。
特に、奥方の叔常は夫の死に嘆き悲しみ、後を追うと言っていたのを孔明がたしなめたのだと言う。
喧嘩ばかり、その上どちらも忙しく手を抜かない真面目な二人……子供たちも可愛い盛りで、成長を見届けたいだろうに……と、周囲は可哀想にと、叔常の弟には言いたくもなかったが、丁度所用で、遠くまで訪れていた叔常の兄の嫁で、孔明の姉の紅瑩が訪れていると聞きつけ、弔問に訪れた。
弔問の先は孔明の家で、土地だけは広いものの、極端に館が狭く、他は畑と竹やぶと馬小屋に、武術の稽古用の広場程度。
ある親子が訪れた。
壮年から老年に向かいかけた男とその二人の息子。
そこそこの財産があったこの家は、二人を出仕させていた。
自尊心は人一倍だが努力の嫌いな兄と、謙虚で控え目、真面目で孔明の部下となっている弟である。
兄は、嘲るように、
「何だ?ここは、諸葛参謀の屋敷だろう?何でこんなにボロ……いや質素なんだ?……」
「お金は持っていても意味がないから、まずは子供たちの勉強の為、将来の為、次は私たちの為、ひいては町の人の為に使うべきものだって、考えられている方なんだよ。参謀様は」
弟の心酔し、そしてその配下として働けることを誇りに思っていると言いたげな様子にムッとする。
「何がだ。ただ周囲に自分はこれだけやってますって言いたいのか?」
「兄さん‼参謀のことをそんな風に言うのは止めてくれない?」
元々大人しく、いじめられる彼だったが、キッと兄を睨む。
「な、何だよ‼」
「参謀は、私たち部下のことを本当に心配されて、時々、この畑でとれたと言う食べ物で、菜を訓練の後に作ってくださるんだ。一食でも、本当に大事なお金だろう?下級の兵士なんて……この間の覚えてる?」
士元の死因になった戦いで、先に亡くなった者や大怪我をした者が帰ってきた。
遺体には簡素な申し訳程度の防具、怪我人にも同様で、口々に、
「士元参謀と孔明参謀に救われた……」
「士元参謀は、本当に自分も大怪我を負われながらも、戦い続け……お二人がいなければ、全滅していた‼」
「命の……私たちの命の恩人だ‼」
「死んだ者も、士元参謀を救えたことを誇りに思っていると思う‼」
と繰り返していた。
そんな馬鹿な。
参謀如きで……。
と思っていた兄は、泣き崩れる一団に会う。
「参謀様が‼」
「我らの、命の恩人が……そんな……‼」
「あぁぁ……」
うわっ、こいつら本気か?
と思う兄の横で目を擦りながら、
「私も、子龍将軍と孔明参謀を失ったら……同じようになると思う」
とまで言われ、引いた兄である。
しずしずと行列が進み、兄弟と父親の番になった。
「他の方々と同じく……言葉は足りませんが……陳何某と息子にございます」
と、頭を下げた父親と共に頭を下げる。
「……あら、陳何某様の御令息……申し訳ございませんが、弔問お受けいたしませんわ」
「えっ?」
3人は顔をあげる。
それを見て、横に座っていた孔明の部下である苞が、
「あ、仲維殿は孔明参謀と子龍将軍の部下です。誠実な方で、私たちにも優しい方です」
「あぁ、この方ね?仲維どのは、本当に弟をありがとう。そして、士元参謀のこともご存じだと思われるの」
「仲維どの。ごめんね。巻き込まれてしまって、悪いのは別だからね?」
と3人共を奥に送り込む。
それを確認後、再び次々に弔問を受け、その度に奥に送られる家もあり……ひとしきり行われた弔問が終わったのは、ずいぶんと遅くなってからだった。
「じゃぁ、行きましょうか」
琉璃は娘二人と怪我人の広と、疲れを訴えた青い顔の喬と共に隣の公祐の屋敷にいる。
ここにいるのは何故か益徳と漢升、公祐と循、統と索。
「何かありましたでしょうか?将軍」
弔問に訪れたのに、部屋に押し込められた形の男達は不満である。
「ん?とある方から、お願いだそうだ」
「あぁ、来られたようです」
公祐の後ろから現れたのが、紅瑩である。
ニッコリと微笑んで、
「お願いがありますの」
「何の事でしょうか?」
「うちの愚弟の嫁、関平から貴金属、反物等を受け取った泥棒がいるのですわ。捕まえて返して頂けませんかしら?」
その言葉にざわつく。
「関平が泥棒たちにばらまいたのは、馬家の大事な財産‼その財産は、溜め込まれるものではなく、使う為に必要なもの‼この軍でも約二年分の財産を盗み取り、それを小悪党に分けたのですわ。返して下さいませ」
「こ、小悪党とは、随分なお言葉ではありませんか?」
仲維の兄が言い返す。
「小悪党ではないの。弟の方が出来が良いからと、妬むだけで努力一つせず、上司の関平の愛人になって、水害で流された橋を直す為のお金として準備していたものを、関平から貰って、自分の身に散りばめている癖に‼」
「何だって‼兄さん‼何て事を‼夫のいる上司に‼……でも申し訳ないけれど、私は関平将軍よりも、参謀の奥方の方が優しい上に、私たちにも親切で尊敬する……それに私には妻がいるし」
「アハハ‼貴方は本当に賢いわ‼代わりに兄は愚かね。返して頂戴‼財宝って言うのは身を飾ってなんぼじゃないのよ‼何に使うかで有利にも不利にもなるわ‼だから、日々宮廷でお金の取り扱いについて話し合い、政策を纏めてたりしているんじゃないの‼そんなことも解らないの?滑稽だわ‼」
紅瑩は鼻で笑う。
「しかも、金でしか男を集められない関平と、彼がいっていたように、弟の嫁のように周囲に親切にしたり声をかけたりするだけで、人を集める人間がいるのよ。どちらがましか、そしてどちらを敬愛するかで変わってくるわね。偶然にも兄弟がハッキリと見せてくれるなんて思わなかったわ」
「な、何だと‼」
「兄さん‼悪いことをしたのは兄さんじゃないか‼謝罪して、お金を返そう‼どれだけ貰ったの‼」
「あぁ、その方は……」
その言葉に黙っていた父親は驚きに腰を抜かし、弟も呆然とした。
「な、何だって、そ、そんな額……」
「賭け事をしていたようよ。その借金のお金を何回も頼んでるのを聞いたってお友だちが」
「う、五月蠅い‼お、お前が悪いんだ‼お前が‼」
突然弟につかみかかろうとするのを、待機していた索が引き剥がす。
「仲維どのが悪いのではなく、お前が悪いんだ‼努力も反省もしない、逃げるだけ‼そんな人間に自分からなっていったんだ‼文句を言うなら自分の行いを恥じよ‼」
「お、奥さま……も、申し訳ございません‼」
父親の陳何某は、何度も擦り付けるように頭を下げる。
「息子のことで、本当に……ですが、ですが……その借金の全額をお返しする程、財産はなく……」
「私が、働きます‼ですので‼」
「いいえ、お二人から取ることはしないから安心して頂戴。それに、奥さまもいるのでしょう?大事にしてあげなくては。それに、お父様?お二人も息子がいるのですもの。一人位減っても構わなくて?」
「えっ?」
父親にニッコリと笑う。
「この人の借金分、家の仕事で返して貰うから。橋を直したり、力仕事して貰うから。その代わり、弟さん?孔明の部下っていっていたけれど大変でしょ?でも、根は悪い子じゃないのよ?よろしくね?」
「いえ、は、はい‼これからも、参謀にお仕えしたいと思っております‼」
「あ、ありがとうございます‼」
父親はホッとした。
借金の額に、長男の行動に……長男を廃嫡にして次男を後継者にすることができるのだ。
それからも、紅瑩の『お裁き』が続き、終わったのは朝日が上る頃……。
「……こ、これで、お仕舞いだわ……あぁ、昔だったら一日寝なくても、外に遊びに行って孔明の所に猪を追い込んで、からかったりしてたのに……もう、無理……」
珍しく愚痴を漏らす叔母に、
「紅瑩伯母さん?神経すり減らせる疲労って結構くるんだよ」
「統は神経質そうだものね……無理しないのよ?」
「お兄ちゃんがいたら大丈夫‼」
「あらあら、統は喬大好きだものね」
循と共に伯母を立たせ、そして、
「あの、伯母を休ませてきますね。すぐ戻ります」
「いや、お前たちも休むといい。ここには……」
「私がいますので大丈夫ですよ」
公祐は微笑む。
ちなみに、公祐は途中で退席し、自宅で休息と琉璃たちの様子を見て戻ってきたばかりである。
「お休みなさい。紅瑩様も、一旦我が家の方に部屋を用意しておりますので、お休み下さい」
「あ、ありがとうございます。では、失礼致します」
甥に連れられ、下がっていった紅瑩を見送り、益徳と漢升が、
「土竜の姉貴だけあるわ……あのねーちゃんって言えねぇな。あの人は」
「それぞれの処分を、対話して引き出して決断する。地道じゃが、あれ程成し遂げるとは、流石はあの馬家の嫁……」
「そんなに有名なのですか?」
「ん?最初はの、身分違いのおなごが来たと陰口じゃ。でも、あの快活な性格と、おじ気ぬ物言い、孔明殿に教わったのか、武術のみならず学問についてもある程度の知識があった。最初は侮っていた周囲も次第に変わっていき、特に夫君がの、のんきにしておられるのを窘めて『次男だからこそ、お兄様の補佐として様々なことを知りましょう。それに、将来の為に出来るのは無意味にお金を貯めるのではなく、お金はばらまき逆に知識や技術を得ましょう』と訴え、考え方を変えていった」
あごひげを触れる。
「『馬家の嫁のようになれ』が、最近の言葉じゃ。ご自分でも才能があるのに、夫を支え家を守り、お身体の弱い義理の兄や夫に代わり領地を回り……叔常殿もこれは姉上から教わったと聞いたぞ」
「そうなんですね……」
「まぁよい。これから休みに戻ろうな。索よ」
「あ、はい。失礼致します」
索は頭を下げて、父の後に従った。
「あーまぁ、俺も帰らせて貰うわ……兄さん、よろしく」
「ハイハイ。では、お休みなさい」
紅瑩は、公祐の屋敷に用意された部屋で眠りについたのだが、目を覚ますと、何故か両脇に二人の姪、枕元には頭をおいてすやすや眠っている琉璃にビックリしたのだった。




