士元さんは大怪我ですが、孔明さんは死ぬ寸前です。
士元の運び込まれた梅花の馬車ではなく、荷物を入れる馬の引く荷車に場所を作り、孔明を横たえる。
そして、目の傷の手当ては自分がと言う均の代わりに球琳が乗り込んだ。
白馬に乗って傍を警護するのは、いかつい『張任』の名を捨てた趙子龍。
益州は山岳地帯でありうっそうとした森が多く、がけに細い道を掘るかもしくは杭を打ち、その上に板を貼っていき、通っていく場所すらある。
しかし、趙子龍が馬にあっさりと乗れると言うことは、かなりの力量と、それだけの実力にあった地位であったと言うことである。
球琳は初めて会った『趙子龍』に、
「子龍将軍。私は、ほう士元の妻であり、後方支援など内政を受け持つ馬叔常と名乗るもの。普段は球琳と申します」
「ほ、ほう士元どの‼……も、申し訳ありません‼味方に裏切られ……」
「解っております。夫も、味方の関雲長に裏切られ目を……。この悔しさを貴方も同じに思われているのでしょう……」
感情が薄い……のではなく、必死に抑え込んでいるのが解る美しい女性は、まっすぐ見つめる。
「お願い致します。孔明兄上を支えて差し上げて下さい。優しく、優しすぎるこの兄上を、たしなめるのは本当に難しいですよ。でも、よろしくお願い致します」
「……ありがとう。叔常どのとお呼びすればよろしいだろうか?だが、馬叔常どのというと……『馬家の五常、白眉もっともよし』と……白眉どのであろうか?」
「いや、白眉は愚弟の季常。この兄上を義兄弟といいつつ利用して苦しめる男です。後で血を這いずって死んでも、私は……あの愚弟の死を、私は喜ぶでしょう……」
悲しげな眼差しの球琳の言葉に驚く。
「弟……殿は、賢いと……」
「悪賢いのです。それでいて自分の才能を過信しひけらかし、鳴り物入りで劉備の元へ。しかし実践を、机上の戦闘しか知らぬ弟は、劉備の怒りを買い、殺されるのはごめんと、私の夫と夫の友人で現在は魏に住まう徐元直兄上とこの孔明兄上を売ったのです。しかも夫は一度は逃げ切れた。もう一人の愚弟末弟の幼常が夫を罪人だ等と噂を流し、逃げ切れず戻るまで……でも兄上は、琉璃を盾に取られた。琉璃は兄上と、息子を……」
湯を沸かして貰い止血をして、矢を抜いていく。
その度に血が溢れ傷をゆすぎ、薬草を貼り付け布を巻いていくことを繰り返す。
球琳も辛い作業に、馬を預けた子龍は荷車に乗り、
「私が致そう。球琳どの。幾ら、傷の治療と申しても、これでは力が必要だ。薬をお願い致す」
「ありがとうございます。誰か。新しい衣を。巻く帯も用意して」
「はい‼」
怪我人の多い、士元の付き添う兵の大部分は、ほう令明に預け、そして、裏切り者の張永年は広がけろっと、
「これを、均叔父さんに教えて貰ったあれこれ拷問をして、色々吐かせるから。球琳姉ちゃんは安心して~‼ついでに、幼常おっちゃんも絞めておくよ~‼」
と嬉しそうに手を振っていたのは記憶に新しい。
ちなみに、『白熊』「紅熊」と名付けた大熊猫親子は、何故か広になつき檻も用意せず、そのまま連れて帰った。
「も、猛獣……」
と呟いた子龍に、金剛はニッコリと、
「大丈夫です。一応『白熊』より気の荒い『月花』と言う暴れ馬いますし」
「暴れ馬‼何処に⁉」
「あれです‼」
「乗せなさーい‼馬に乗って、強弓の特訓します‼逃げないで下さいですの~‼」
どこをどう見てもお嬢様の梅花が踏ん張って、しかも、嫌がり逃げようとする馬を逆に引きずり戻す。
「お、まちなさーいですの‼私の筋力を馬鹿にすると……ウリャァァ‼」
綱が切れる寸前で、首に腕を回した少女が、脇を締めて……‼
必死に逃げようとしていた馬が、大人しくなり、
「やったぁですの‼乗せて下さいませね‼」
と言う姿に、
「あの、金剛どの……」
「子龍将軍は、父さんの側近で私の伯父です。呼び捨てでお願いします」
その言葉に、
「こ、孔明どのもだが、広ど……広も梅花どのも……」
「父は、一応力の手加減は知っている怪力で、広は反動や、一瞬の隙に相手の力を利用して投げ飛ばすんです。梅花どのは天性の怪力です」
「あれでは、大丈夫なのか?」
「怪力だから嫁のとか?」
「違う‼力と言うものの使い方を間違うと、人を傷つける‼球琳どのも女性だが、戦場で苦しい思いをして来たのだろう?あのような姫に戦いを教えるのか?私は……」
言葉を無くし何度も首を振る。
「男だ女だではなく、私は……孔明どのの『可愛い子供たちの為に戦う』と言う言葉が、胸を締め付けられた。戦いは権力者の見栄とエゴと、ただの遊戯と思っている愚か者の所業‼その一人が劉備だ‼」
「……子龍兄上。聞いてくれるか?ある、こんな時代には何処にでもあるような話だ。手当てを続けながら聞いて欲しい……」
球琳の声に耳を傾ける。
「ある青年がいた。血気盛んで正義感を持ち、混乱の世を平静にと望み、田舎から義兄弟の契を結び戦おうとした。貧乏暮らしで金はなく、仕事をしながら転々と移動し、任侠の頭のように慕う者を連れてある街に行った。そこで一人の美しい女性に出会う。白い肌に青い瞳、美しい金色の髪……西域の舞姫」
優しく手当てを続ける球琳の声を聞きつつ、抜き終わった矢の傷を確認する。
「恋に落ち、彼女と共に生きていくことを誓う男とその義兄弟たちは、困ったことがあった。ずっと、町を転々とするのみで、混乱を静める為の戦場に向かう軍資金が集まらなかった」
「……黄巾の乱……だな」
「その頃、ある街に着いた一行を一人の女が見つけた。その女は馬商人の娘で、大きくはないがある程度の財力、周囲の影響力を持っていた。その女は一目惚れをした。一行を従える任侠の長兄を。そして父親に頼み込む。彼と結婚したい」
傷に薬を当て、布を巻くと、
「男は商人の財力は欲しかったが、すでに美しく優しい妻があり、彼女との結婚は断った。だが、一目惚れをしたその女は、父親と関わる他の商人たちに手を回して貰い、自分と結婚しなければ援助を打ち切ると脅し、仕方なく結婚した。だが、男は愛する妻を傍に置き、怒った女は、夫のすぐ下の弟に命令して妻を追い出させた。しかし彼女は男の末弟たちに姉と慕われていた為に、軍に残りついていった。男も愛情もない女ではなく、愛する妻に会いに行き、二人には子供が生まれた。女の子……妻が麗月と言う名前だったので、娘に『亮月』と名付けた」
「『亮月』……」
「女は夫を恨むことはできず、代わりに娘を生んだ夫の愛妻を憎み妬み……そして、まずは赤ん坊を殺そうと奪い取り、取り戻そうとした母親を殺し、ここでは言えないような……遺骸を辱しめ捨てた。そして愛妻を失った夫は心を凍らせ、妻を殺した女ではなく世界を壊していくことを決めた。その為にまず生きていた娘を名前を取り上げ棄てた。代わりに与えたのは武器と『破鏡』と言う名前。破鏡は戦場でひどい目に遭いながら必死に生きた。その破鏡を守っていたのが『趙子龍』将軍だ。老齢で、広とその兄の統は孫になる。途中、戦場で果てた将軍の名前を受け継ぎ戦い続けた破鏡は、8才の時に負け戦の殿で取り残され、馬の上で餓えと喉の乾き、怪我で意識を失った。馬はさ迷い、偶然迷いこんだのが臥竜崗だ」
子龍は目を見開く。
「そこは……」
「で、少女はこの兄上に救われ『琉璃』と言う名前を与えられ、兄上の妻として幸せに暮らしていた。それを……7年前に壊したのは、愚弟たち‼兄上が喬と先に出掛け、入れ違いにやって来た愚弟と、連れられてきた3人の男に再会する……。子龍兄上。この先敵は多いが、味方も多い‼この旅の間に教えておく。貴方は絶対に覚えておいて欲しい‼」
「解った‼では、その3人……」
「私の愚弟たちと劉備、関羽は信用してはいけない‼だが、義兄弟の末弟、張益徳兄上だけは味方‼夫の士元とも友人だ。あの方にだけは、気を許しても大丈夫‼そして……」
手当てをしながら進む荷車では、球琳の声が広がっていくのだった。




