第十五話 勝利の向こう側
「退いていくぞ!」
最初に声を上げたのは、城壁東側の兵士だった。
「魔物が退いていく!」
その声が。
広がる。
「勝った……?」
誰かが呟く。
戦場を見る。
空。
飛行魔物はサラによってほぼ全滅。
右翼。
夏の炎によって黒く焼けた大地が広がっている。
正門。
マジカの前へ近づこうとする魔物は、もう一体もいない。
中央。
千を超える魔物が。
ノアルの一撃によって消えた。
残された魔物たちが逃げていく。
「勝ったぞ!」
歓声が上がった。
「勝った!」
「リヴァティを守ったぞ!」
声が声を呼ぶ。
兵士が剣を掲げる。
冒険者同士が肩を叩く。
救護区画でも、負傷者たちが拳を上げた。
泣いている者もいる。
無理もない。
少し前まで。
黒い地平線が迫っていた。
数千の魔物。
城壁を埋めるほどの大群。
死を覚悟した者も多かった。
それが。
終わった。
「……助かった」
バルガンが息を吐く。
腰が抜けそうになる。
だが副支部長として、それを見せるわけにはいかない。
「負傷者の確認! 残存魔物を警戒しろ! 城外へ勝手に出るな!」
指示を飛ばす。
歓声の中。
ノアルは一人。
戦場を見ていた。
「……ん?」
何か。
引っかかる。
生き残った魔物たち。
逃げている。
それは分かる。
あれだけやられれば逃げるだろう。
だが。
「何だろ」
ノアルは周囲を見る。
森狼。
牙猪。
オーガ。
小型の蜥蜴型魔物。
本来なら捕食する側とされる側。
それらが。
並んで走っている。
「……?」
妙だ。
こちらから逃げているのなら。
方向はばらばらでもいい。
だが。
ほとんどが同じ方向へ進んでいる。
南。
西。
一部は東。
共通しているのは。
北東へ戻ろうとしないこと。
「あるじ様」
マインが近づいてきた。
「お見事でございました」
「あ、うん。ありがとう」
「久方ぶりに、あるじ様の御力の一端を拝見できました」
「いや、あれゲームの時よくやってたやつだよ」
「はい」
マインは微笑む。
その返答が何を意味しているのか。
ノアルには分からない。
「それより」
ノアルが逃げる魔物を指す。
「何か変じゃない?」
「変、と申しますと?」
「あいつら」
二人で見る。
牙猪の横を森狼が走っている。
互いを気にする様子もない。
そのさらに向こうではオーガと小型魔獣が同じ方向へ逃げていた。
マインの表情が変わる。
「……確かに」
「こいつらさ」
ノアルは考える。
昨日。
冒険者ギルドで聞いた話。
魔物が縄張りを離れている。
本来なら共存しない種族まで同じ方向へ移動している。
そして今日。
数千の魔物がリヴァティへ押し寄せた。
でも。
「街を襲いに来たんじゃないんじゃない?」
「……」
マインがノアルを見る。
「何かから逃げてたんじゃないかな」
その言葉に。
マインの瞳が細くなる。
「逃げていた……」
もし。
そうだとすれば。
数千の魔物が。
縄張りも。
捕食関係すら無視して。
一斉に逃げるほどの。
何か。
「あるじ様!」
声。
エル。
水に身体を支えられたまま、こちらを見ている。
「どうしたの?」
ノアルが駆け寄る。
エルの表情から。
いつもの余裕が消えていた。
「また?」
「……ええ」
エルは尾を見る。
来た。
先ほどより。
強い。
冷たい感覚。
尾の先から。
這い上がる。
水の中ではない。
それなのに。
深く。
暗い場所へ沈んでいくような。
圧力。
そして。
ぽたり。
また。
聞こえた。
存在しない水滴。
ぽたり。
今度は一度ではない。
ぽたり。
ぽたり。
エルが顔を上げる。
「近づいているわ」
「何が?」
「分からない」
珍しく。
エルの声に迷いがあった。
「でも……さっきより、ずっと強い」
ノアルが周囲を見る。
何もない。
その時。
ズン――。
地面が揺れた。
「……?」
歓声が止まる。
兵士たちが周囲を見る。
「今のは?」
誰かが言った。
「地震か?」
ズン――。
もう一度。
今度は。
はっきりと。
地面が震えた。
城壁から砂埃が落ちる。
救護区画の水面が揺れる。
ズン――。
一定の間隔。
「何だ……?」
バルガンが城壁の外を見る。
マインも。
サラも。
夏も。
マジカも。
そして。
ノアルも。
同じ方向へ顔を向けた。
北東。
魔物たちが。
逃げてきた方向。
「……おい」
城壁上。
兵士の一人が指を差した。
「森が……」
遠方。
森。
木々が揺れている。
一本。
二本。
ではない。
森の一角。
広大な範囲が。
沈んだ。
「……は?」
ドォォォォン――。
遅れて音が届く。
大量の木々が倒れる音。
鳥が一斉に空へ飛び立つ。
生き残っていた魔物たちが。
さらに速度を上げた。
リヴァティへ向かうのではない。
ただ。
北東から。
少しでも遠くへ。
逃げている。
ズン――。
また。
森が沈む。
そして。
木々の向こう。
何かが見えた。
巨大な影。
山。
一瞬。
そう思った。
だが。
違う。
動いている。
「何……だ、あれ」
バルガンの声が震えた。
誰も答えない。
巨大すぎる。
距離があるため全貌すら分からない。
ただ。
それが動くたび。
森が壊れる。
魔力が揺れる。
エルが胸元を押さえた。
「これ……」
周囲の水が震えている。
エルが操っているのではない。
勝手に。
「これのせい……?」
マインの表情から笑みが消えた。
サラが高度を下げる。
夏がノアルの近くへ。
マジカも正門を離れず、身体を北東へ向けた。
歓声は。
完全に消えていた。
つい数分前。
数千の魔物を退けた。
勝った。
誰もがそう思った。
だが。
違った。
あれは。
敵ではなかった。
逃げていただけ。
そして。
逃げていた理由が。
今。
こちらへ向かっている。
ノアルは巨大な影を見る。
エルの異変。
魔物の大移動。
異なる種族が争わず逃げていた理由。
少しずつ。
繋がっていく。
「……なるほど」
ノアルが呟いた。
巨大な影が動く。
ズン――。
再び。
大地が揺れた。
ノアルは目を細める。
「あれが原因か」




