1-3:市民面談
1-3:市民面談
面談室は、小さな診察室にも、静かな応接室にも似ていた。
広すぎない。
狭すぎない。
声が響きすぎず、沈黙が重くなりすぎない。
中央には、丸みを帯びた白いテーブルが置かれている。表面はガラスのように滑らかだが、冷たさを感じさせない素材でできていた。玲央が手を近づけると、必要な情報だけが淡く浮かび上がる。
向かい合う椅子は、真正面ではなく、わずかに角度をずらして配置されていた。
真正面から視線がぶつかると、人は無意識に対立を感じやすい。
逃げ場のない座り方は、緊張を高める。
だから、面談室では相手と向き合いながらも、ほんの少し視線を外せる余白が作られている。
壁には窓がない。
代わりに、淡い空の映像が映し出されていた。
雲はゆっくり流れている。
青は濃すぎず、白は眩しすぎない。
朝でも昼でも夕方でも、面談室の空は常に穏やかだった。
天候や時間に左右されず、市民の緊張を一定以下に保つための配慮。
ここでは、空でさえ最適化されている。
玲央は椅子に腰を下ろし、最初の面談者が入室するのを待った。
予定時刻の三十秒前、扉の横に表示が浮かぶ。
市民到着。
心拍数、軽度上昇。
表情緊張度、中。
推奨導入、通常より一分延長。
玲央は表示を確認し、静かに息を整えた。
扉が開く。
入ってきたのは、五十二歳の男性だった。
大原健吾。
二十八年間、物流管理の仕事に就いてきた人物だ。
黒に近い紺色の上着を着ている。襟元はきちんと整えられていたが、肩にはわずかな力が入っていた。
玲央を見ると、彼は一瞬だけ足を止め、それから浅く頭を下げた。
「大原健吾です」
「瀬川玲央です。本日はお越しいただきありがとうございます。どうぞ、おかけください」
玲央は、声を少し低めにした。
年齢が高く、職業再配置への不安が予測される市民には、少し落ち着いた声の方が安心感を与えやすい。
強すぎる笑顔は不要。
過度な共感も、かえって警戒を生む。
大原は椅子に座った。
背筋を伸ばしているが、右手の指が膝の上で小さく動いている。
緊張している。
玲央はすぐに本題へ入らず、簡単な確認から始めた。
「本日の面談内容は、今後の職業再配置プランについてのご説明と、同意確認になります。途中で分かりにくい点や不安な点があれば、その都度お話しください」
「はい」
大原は頷いた。
声は硬い。
「今回のプランは、現在のお仕事を否定するものではありません。これまでの勤務履歴と能力評価を踏まえたうえで、今後の身体的負荷や産業構造の変化を考慮し、より長期的に安定しやすい働き方を提案するものです」
玲央がそう言うと、大原の肩の力がほんの少し抜けた。
最初に「否定ではない」と伝えること。
それは、職業再配置面談の基本だった。
人は、仕事を変えるよう勧められると、自分の過去まで否定されたように感じることがある。
長年続けてきた仕事なら、なおさらだ。
玲央はテーブルに手をかざした。
淡い光が広がり、立体グラフが浮かび上がる。
体力。
睡眠。
職務満足度。
収入安定性。
身体負荷。
将来リスク。
大原の二十八年間が、線と数字に変換されていく。
「大原さんの現在の職務適合度は七十一パーセントです。経験値、判断速度、在庫管理精度はいずれも高い水準にあります。ただし、今後五年以内に身体的負荷による継続困難リスクが上昇すると予測されています」
大原はグラフを見つめた。
その視線が、身体負荷の項目で止まる。
「……最近、腰が重い日が増えてましてね」
ぽつりと、彼は言った。
「記録にも出ています。過去一年で、筋骨格系の疲労反応が二十一パーセント増加しています」
「そんなにですか」
「はい。ただし、まだ予防可能な範囲です」
玲央は、声の調子を変えずに言った。
「ORACLEは、地域内の在庫監査支援業務への移行を推奨しています。現在の物流現場で培った知識を活かしながら、身体的負荷を下げられる職務です」
テーブル上のグラフが切り替わる。
現在職務を継続した場合。
再配置を受け入れた場合。
二本の線が、十年先まで伸びていく。
「収入は現在より四・八パーセント低下します」
大原の眉が動いた。
玲央は続ける。
「ただし、健康維持指数は二十三パーセント向上します。また、十年後の生活安定度は現在職を継続した場合より高くなると予測されています」
大原はしばらく画面を見つめていた。
「収入は、下がるんですね」
「はい」
玲央は曖昧にしなかった。
不利な情報を隠すと、市民の信頼は下がる。
大切なのは、不安要素を消すことではなく、全体の中で位置づけることだった。
「ただし、医療リスクと離職リスクを考慮すると、総合幸福安定指数は上昇します。収入低下分については、移行支援期間中の補助制度が適用されます」
大原は唇を結んだ。
「今の仕事は、嫌いじゃないんです」
「はい」
「若い頃からずっとやってきましたし、現場の人間関係もあります。急に別の仕事と言われると……正直、少し寂しい気もします」
玲央は頷いた。
「当然だと思います」
大原が顔を上げる。
玲央は言った。
「長く続けてきた仕事から離れることには、不安や寂しさが伴います。ORACLEの推奨は、大原さんのこれまでを否定するものではありません。むしろ、これまでの経験を次の職務で活かすための移行です」
大原は、少しだけ目を伏せた。
「そう言われると、少し楽ですね」
玲央はテーブル上に、移行後の業務内容を表示した。
在庫監査支援。
若手職員への管理指導。
異常値発見時の現場助言。
地域内物流データの確認。
「現場経験を必要とする職務です。身体を使って荷を動かすよりも、判断と経験を活かす比重が高くなります」
「若い連中に教える側、ということですか」
「はい。その要素もあります」
大原の表情が、わずかに変わった。
不安だけではない。
ほんの少し、役割を想像し始めた顔だった。
「自分にできるでしょうか」
「過去の勤務記録では、大原さんは新人指導時の定着率が高いです。説明の明確さと、現場判断の共有能力が評価されています」
「そんなところまで見ているんですね」
「はい。ORACLEは、職務上の成果だけでなく、周囲への影響も含めて分析しています」
大原は小さく息を吐いた。
最初より、肩の力が抜けている。
「ないと言えば嘘になります。不安はあります。でも……自分で考えても、いつ辞め時なのか分からないですから」
彼はグラフを見つめた。
「こうやって数字で出してもらえると、助かります」
玲央は静かに頷いた。
「ORACLEの推奨は、大原さんの過去の生活データと、今後の変化予測に基づいています。無理のない移行になるよう、支援制度も同時に適用されます」
「どれくらいで移ることになりますか」
「三か月間の準備期間があります。その間に、現在の職務から段階的に負荷を下げ、次の職務に必要な研修を受けていただきます。急な変更ではありません」
「それなら……」
大原は、少しだけ考えた。
玲央は急かさなかった。
面談室の淡い空が、壁の上でゆっくり流れている。
静かな時間だった。
大原はやがて顔を上げた。
「なら、お願いします」
「承認でよろしいですか」
「はい。承認します」
玲央は端末に記録を入力した。
職業再配置プラン、受容。
心理的抵抗、軽度。
追加支援、不要。
移行支援プログラム、三か月。
初回研修案内、送信予定。
画面に承認完了の表示が出る。
面談は予定より三分早く終わった。
大原は立ち上がり、玲央に頭を下げた。
「ありがとうございました。正直、来る前は少し怖かったんです」
「はい」
「でも、話を聞いて安心しました。辞めさせられるような気がしていたんですが……そうじゃないんですね」
「大原さんがこれまで積み重ねてきた経験を、今後も活かせる形に整えるための移行です」
「そう思うようにします」
大原は、少し照れたように笑った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。大原さんの生活が安定するよう、移行支援が開始されます」
扉が閉まる。
面談室に静けさが戻った。
玲央は次の面談までの時間を確認した。
九分二十秒。
予定通りだった。
玲央は、テーブル上の記録を保存し、大原の面談評価を確認する。
受容後心拍数、低下。
表情緊張度、改善。
説明理解度、良好。
満足度予測、標準以上。
問題はない。
よくできた面談だった。
市民は不安を抱えて来庁する。
ORACLEが数字を示す。
玲央が言葉で補う。
市民は納得し、安心して帰っていく。
それは、よくできた流れだった。
人は、自分の未来が見えないから不安になる。
身体がいつまで持つのか。
仕事を続けられるのか。
収入はどうなるのか。
家族に迷惑をかけないか。
自分の選択は間違っていないのか。
見えない未来は、人を立ち止まらせる。
ならば、未来を見える形にしてあげればいい。
不安を数字に置き換える。
危険を予測する。
道筋を示す。
その人が一人で背負わなくていいように、社会が支える。
玲央はそう信じていた。
少なくとも、その日最後の面談者が来るまでは。




