↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/59

第4章:自由選択区域 4-1:神崎の警告

4-1:神崎の警告


 翌朝、玲央は神崎透真の管理官室に呼ばれた。


 庁舎に入った時点で、玲央にはその理由が分かっていた。


 前日の夜、自分自身の端末に届いた通知。


 自由選択区域への移行適性があります。


 その報告を、玲央は勤務開始前に提出していた。


 報告しないという選択肢も、頭をよぎらなかったわけではない。


 だが、庁内職員の個人適性通知は、業務上の安全管理に関わる。特に、適合支援局の職員が自由選択区域への移行適性を示された場合、それは職務中立性や面談対応に影響する可能性がある。


 隠しても意味はない。


 ORACLEはすでに記録している。


 玲央が管理官室に入ると、神崎は端末に表示された玲央の評価結果を見つめていた。


 室内には、いつもと同じ静けさがあった。


 壁面パネルには、都市全体の生活安定指数が並んでいる。


 犯罪予兆、基準内。

 雇用不安、低。

 孤独リスク、許容範囲内。

 生活破綻リスク、前日比微減。

 自由選択権行使者追跡支援、確認中。


 数字だけを見れば、今日も社会は安定していた。


 水無瀬蒼が消えたことも、玲央の中に生まれた揺らぎも、この都市全体の安定を大きく乱すものではない。


 社会は、いつも通り動いている。


 神崎は、しばらく沈黙していた。


 玲央は椅子に座り、背筋を伸ばした。

 管理官室の椅子は、身体に負担がかからない角度に調整されている。座れば自然と姿勢が整う。


 だが、その朝の玲央は、姿勢だけが整っているような気がした。


 神崎が口を開いた。


「水無瀬の件が影響しているな」


「その可能性はあります」


 玲央は正直に答えた。


 否定しても仕方がない。


 ORACLEは、玲央が水無瀬の記録を何度も確認したことも、自由選択区域の地図を表示し続けたことも、自分の過去の選択履歴に関心を示したことも、すべて記録している。


 神崎は椅子にもたれなかった。


 いつも通り、背筋を伸ばしたまま玲央を見た。


「自由選択区域に関心を持っているのか」


 玲央は、少しだけ言葉を選んだ。


「水無瀬さんの最後の検出地点が、区域境界付近でした」


「それは追跡支援班が確認している」


「分かっています」


「なら、君が行く必要はない」


 神崎の声は、いつも通り落ち着いていた。


 声を荒げることはない。

 感情をぶつけることもない。

 ただ、言葉の輪郭がいつもより硬かった。


 そこには明確な圧があった。


 玲央は視線を落とした。


「ですが、私は担当職員です。彼が自由選択権を行使する直前に面談したのは、私です」


「だからといって、君が彼の人生を背負う必要はない」


 神崎は端末を閉じた。


 画面から玲央の適性評価が消える。


「水無瀬蒼は、成人した市民だ。説明を受け、制度上のリスクを承認し、自分の意思で自由選択権を行使した。彼の選択は、彼のものだ」


 彼の選択は、彼のもの。


 昨日も聞いた言葉だった。


 その言葉は正しい。


 玲央にも分かっていた。


 市民の選択を、担当職員がすべて背負うことはできない。

 それをすれば、支援ではなく支配になる。

 水無瀬が自分で選んだなら、その選択を完全に否定することはできない。


 それでも、胸の奥に残る重さは消えなかった。


 水無瀬の選択が彼のものなら、なぜ自分はこんなに落ち着かないのか。


 なぜ、自分の端末にまで自由選択区域への移行適性が表示されたのか。


 玲央は顔を上げた。


「自由選択区域とは、どのような場所なのですか」


 神崎の目が、わずかに細くなった。


「制度上は、ORACLEの支援を部分的に制限し、市民の自己選択を尊重する区域だ」


「制度上は、ですか」


「ああ。実態はもっと不安定だ」


 神崎は壁面に区域情報を表示した。


 管理都市の外縁部が、淡い線で浮かび上がる。

 中心部ほど白く明るく表示されていた地図は、西側へ向かうほど少しずつ色が薄くなっていた。


 支援接続の弱い地域。

 生活安定指数、都市中心部より低。

 職業継続率、低。

 医療予防プログラム接続率、不十分。

 対人関係トラブル、増加傾向。

 経済的不安、中から高。

 孤立リスク、高。


 玲央はその表示を見つめた。


 数字は静かだった。

 だが、その静けさの中に、管理都市とは違う危うさが滲んでいた。


「自由選択区域では、ORACLEの推奨を受け入れるかどうかを個人が選ぶ。生活設計も、職業も、対人関係も、かなりの部分が本人の判断に任される」


「それが自由なのでは」


 玲央がそう言うと、神崎は短く息を吐いた。


「そう見えるだろうな」


「違うのですか」


「自由とは、何をしてもいい場所のことではない。だが、あそこでは多くの人間がそれを履き違える」


 神崎の声に、わずかな硬さが混じった。


 それは、玲央がこれまでにも何度か聞いた硬さだった。


 自由という言葉が出るとき。

 ORACLE導入以前の社会を語るとき。

 人間は自由に耐えられない、と言うとき。


 神崎の声は、わずかに硬くなる。


「ORACLEの推奨を拒んだ者は、最初は解放されたように感じる。誰にも決められない。自分で選べる。好きな場所へ行ける。好きな仕事を選べる。好きな人間関係を築ける」


 神崎は壁面の数値を見た。


「だが、すぐに気づく」


「何にですか」


「誰も、正解を教えてくれないということに」


 玲央は黙った。


 誰も、正解を教えてくれない。


 その言葉は、静かに胸の中へ落ちた。


 管理都市では、正解に近いものが常に示される。


 今日、何を食べればいいか。

 どの道を通ればいいか。

 どの仕事が合っているか。

 誰と関われば安定するか。

 どこで休むべきか。

 いつ立ち止まるべきか。


 ORACLEは、人が迷う前に道を示す。


 だが、自由選択区域では、それが薄くなる。


「自分で選ぶということは、自分で迷うということだ」


 神崎は言った。


「迷うということは、間違える可能性を抱えるということだ。間違えれば、生活は崩れる。人間関係は壊れる。健康も、仕事も、未来も、不安定になる」


 玲央は、壁面の数値から目を離せなかった。


 生活安定指数、低。

 孤立リスク、高。

 再接続申請率、上昇傾向。


「自由選択区域は、魅力的な場所ではない」


 神崎は、玲央から視線を外さなかった。


「混乱の場所だ」


 その言葉は、警告だった。


 単なる情報提供ではない。

 玲央を引き止めるための、明確な言葉。


「君は今、水無瀬の言葉に引きずられている。自分の人生まで疑い始めている。そういう状態であの区域へ行けば、判断が偏る」


「ORACLEも、訪問は非推奨と表示しました」


「なら従え」


 神崎は即座に言った。


 迷いの余地を与えない声だった。


「玲央。君は優秀な職員だ。市民の迷いを整理し、支える側の人間だ。迷いの側へ行く必要はない」


 迷いの側。


 その言葉が、玲央の胸に残った。


 支える側。

 迷いの側。


 自分はずっと、支える側にいると思ってきた。


 市民は迷う。

 職員はそれを整理する。

 ORACLEは道を示し、自分たちはその道を理解できる形に整える。


 だが、水無瀬の問いを聞いてから、玲央自身も迷い始めている。


 それは、本来あってはならないことなのだろうか。


 神崎は少しだけ声を落とした。


「自由は、人を救うこともある。だが、それ以上に人を壊すことがある。君はまだ、それを知らない」


 玲央は答えなかった。


 神崎の言葉は正しいのかもしれない。


 自由選択区域は危険な場所なのかもしれない。

 水無瀬蒼の選択は、危ういものなのかもしれない。

 自分は一時的な感情に動かされているだけなのかもしれない。


 ORACLEも、訪問は非推奨だと示した。


 神崎も、行く必要はないと言った。


 追跡支援班も動いている。


 ならば、自分は何もしなくていい。


 そのはずだった。


 だが、ひとつだけ、どうしても消えない問いがあった。


 水無瀬はなぜ、そこまでして外へ向かったのか。


 安定した人生を拒み、支援を手放し、位置情報まで不安定にして。


 そこまでして、何を求めたのか。


 そしてORACLEはなぜ、自分にまで外側への適性を示したのか。


 玲央はそれを尋ねようとした。


 だが、言葉にはならなかった。


 神崎は、玲央の沈黙をどう受け取ったのか、再び端末を開いた。


「今日の業務は通常通り行え。必要なら、面談件数を一件減らす。感情負荷の調整として処理できる」


「いえ。通常通り行います」


 玲央は答えた。


 自分の声が、少し硬く聞こえた。


「そうか」


 神崎は短く頷いた。


 話は終わりだ、という空気が部屋に満ちた。


 玲央は立ち上がる。


 椅子が静かに位置を戻した。


 扉へ向かう前に、神崎が最後に言った。


「水無瀬の件には、これ以上個人的に関わるな」


 玲央は足を止めた。


 振り返る。


 神崎の顔に、感情はほとんど出ていない。

 だが、その目はいつも以上に真剣だった。


「それは命令ですか」


 玲央は尋ねた。


 言葉にしたあと、自分でも少し驚いた。


 これまでの玲央なら、そんな確認をしただろうか。

 上司の言葉に含まれる意図を読み、最適な行動を選び、静かに従ったはずだ。


 神崎は少しだけ沈黙した。


 その沈黙の間、壁面パネルの数字だけが静かに更新されていた。


 犯罪予兆、基準内。

 雇用不安、低。

 孤独リスク、許容範囲内。


 世界は安定している。


 その安定した数字を背に、神崎は言った。


「忠告だ」


 命令ではない。


 玲央は小さく頷いた。


「分かりました」


 そう答えて、部屋を出た。


 廊下に出ると、いつもの白い光が玲央を包んだ。


 庁舎の空気は変わらない。

 職員たちは静かに動き、端末には今日の業務予定が整然と並んでいる。


 だが、玲央の中には、神崎の最後の言葉が残っていた。


 忠告だ。


 命令ではない。


 その事実が、なぜか玲央の中に残った。


 命令なら、従えばよかった。


 だが、忠告なら。


 玲央は廊下の途中で立ち止まりそうになり、すぐに歩き出した。


 迷う必要はない。


 そう自分に言い聞かせた。


 しかしその言葉は、以前ほど自然には胸に入ってこなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。