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『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


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3-5:消息不明

3-5:消息不明


 水無瀬蒼が消息を絶ったという通知が届いたのは、その日の午後だった。


 玲央はちょうど、別の市民の職業再配置面談を終えたところだった。


 その面談は、問題なく終了した。


 対象者は四十代の女性。

 現在の職場で精神負荷が上昇しており、ORACLEは同じ業種内での負荷軽減型配置転換を推奨していた。


 最初、彼女は不安そうだった。

 けれど、収入低下が最小限に抑えられること、通勤時間が短くなること、対人ストレスが下がることを数字で確認すると、表情は少しずつ和らいでいった。


 最後には、静かに頷いた。


「そうですね。その方が、長く続けられそうです」


 彼女はそう言い、ORACLEの推奨を承認した。


 玲央は記録を入力した。


 職業再配置プラン、受容。

 心理的抵抗、軽度。

 追加支援、不要。


 いつも通りの業務。


 いつも通りの受容。


 いつも通りの安心。


 市民は礼を言って帰っていった。

 扉が閉まり、面談室に静けさが戻る。


 玲央は次の予定を確認しようとした。


 その直後、端末が低い音を鳴らした。


 通常の通知音ではなかった。


 短く、深く、胸の奥に触れるような音。


 玲央は画面を見る。


 表示された文字を読み取った瞬間、呼吸が止まった。


 対象市民:水無瀬 蒼

 状態:指定居住区離脱

 位置情報:一時取得不能

 ORACLE生活接続:不安定

 担当職員による確認:緊急推奨


 指定居住区からの離脱。


 玲央は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 自由選択権を行使した市民は、住居変更や移動の自由を持つ。

 それは制度上認められている。


 ORACLEの人生プランを拒んだ以上、推奨居住区にとどまる義務はない。

 職場を変えることも、住む場所を変えることも、生活習慣を変えることもできる。


 水無瀬には、その権利があった。


 だが、移動予定を登録せず、ORACLEの追跡支援網から外れることは通常ない。


 ORACLEは市民の位置情報を完全に監視しているわけではない。


 公式には、そう説明されている。


 だが、医療、安全、生活支援のために、端末や公共インフラを通じて所在の把握は行われている。

 倒れたときに救助できるように。

 危険区域へ近づいたときに警告できるように。

 生活破綻の兆候があれば、支援へつなげられるように。


 その網から外れるには、意図的な遮断が必要だった。


 玲央は追加情報を開いた。


 水無瀬は、午前中に自由選択権を行使。

 その後、指定居住区の契約支援を停止。

 昼過ぎ、公共交通網を利用して都市西部へ移動。

 自由選択区域境界付近で位置情報が不安定化。

 現在、所在確認不可。


 画面には、最後に検出された地点が表示されている。


 管理都市の西端。


 自由選択区域への入口に近い場所だった。


 玲央の背筋に、冷たいものが走った。


 水無瀬は、本当に外へ向かったのだ。


 最適化された生活を離れ、支援を手放し、ORACLEの声が届きにくい場所へ。


 なぜそこまで。


 玲央は、自分の中に浮かんだ問いをすぐに打ち消そうとした。


 水無瀬は成人した市民であり、自由選択権を正式に行使している。

 制度上、彼の移動は違法ではない。

 処罰の対象でもない。

 玲央に強制的に引き戻す権限はない。


 それでも、担当職員として、確認の義務はある。


 いや。


 玲央は、自分の胸の内でその言葉が少し違うことに気づいた。


 義務だけではなかった。


 面談室での水無瀬の顔が、頭に浮かんだ。


 穏やかで、整っていて、どこにも異常がない顔。

 けれど、その目だけが、どこか遠くを見ていた。


 これは、誰の人生なんでしょうか。


 幸福なのかもしれません。

 でも、生きている感じがしないんです。


 あのとき、自分が何か別の言葉を返していたら。


 もう少し踏み込んで話を聞いていたら。


 ただ「あなたに最適化された人生です」と答えるのではなく、彼の問いに向き合っていたら。


 水無瀬は、自由選択権を行使しなかったのだろうか。


 玲央はそこまで考えて、手を握った。


 違う。


 それは担当職員の責任範囲を超えている。


 水無瀬蒼は、説明を受け、リスクを理解し、正式に自由選択権を行使した。

 それは本人の選択だ。

 玲央が背負うものではない。


 ORACLEの支援手順に従えばいい。


 追跡支援班へ共有。

 再接触通知。

 安全確認。

 必要に応じて再接続支援。


 個人的な罪悪感を抱く必要はない。


 端末にも、そう表示されていた。


 担当職員の心理負荷上昇を検知。

 責任感情の過剰化に注意してください。


 玲央は画面を見つめた。


 責任感情の過剰化。


 便利な言葉だと思った。


 自分の胸に生まれた重さまで、ORACLEはすぐに分類する。


 それは、いつものことだった。

 不安なら不安。

 疲労なら疲労。

 迷いなら認知的負荷。

 罪悪感なら責任感情の過剰化。


 分類されれば、対処法が表示される。


 呼吸調整。

 思考停止。

 業務分離。

 上司への報告。


 だが、その分類によって、重さが消えるわけではなかった。


 端末が再び震えた。


 神崎透真からの通信だった。


 玲央は接続する。


「瀬川。水無瀬の件は確認したな」


「はい」


 玲央の声は、自分でも少し硬く聞こえた。


「こちらで追跡支援を要請する。君は通常業務を継続しろ」


 通常業務。


 その言葉を聞いて、玲央は一瞬だけ沈黙した。


 目の前の画面には、水無瀬の最後の検出地点が点滅している。

 自由選択区域の手前。

 ORACLEの接続が不安定化した場所。


 その人間を担当したのは、自分だ。


 昨日、最後に面談室で向き合ったのも、自分だ。


「私が、再接触を行うべきではないでしょうか」


 言葉は、ほとんど反射的に出ていた。


 通信の向こうで、神崎がわずかに黙った。


「現段階では不要だ。彼は自由選択権を行使した。制度上、我々が過度に介入することはできない」


「ですが、私が担当しました」


「だからこそ、感情的に関わるな」


 神崎の声が、はっきりと厳しくなった。


 玲央は口を閉じた。


「自由選択権行使者に対して、担当職員が個人的責任を抱くケースは少なくない。だが、それは危険だ。市民の選択と職員の責任を混同するな」


 神崎の声は冷静だった。


 冷静で、正しい。


「彼の選択は、彼のものだ」


 玲央は、その言葉を聞いた。


 彼の選択は、彼のもの。


 それは正しいはずだった。


 水無瀬が求めたものも、きっとそこに近いはずだった。


 自分で選んだと言える人生。

 自分の責任で歩く道。

 ORACLEに最適化された未来ではなく、自分で引き受ける未来。


 それなのに、その言葉は玲央にはなぜか痛みのように響いた。


 彼の選択は、彼のもの。


 ならば、自分は何もしなくていいのか。


 自分はただ、記録を閉じ、通常業務に戻ればいいのか。


 玲央は答えられなかった。


 神崎は続けた。


「追跡支援班が位置情報の復旧を試みる。必要があれば、こちらから再接触通知を送る。君は次の面談に備えろ」


「……はい」


「瀬川」


「はい」


「問いに引きずられるな」


 その一言のあと、通信は切れた。


 玲央はしばらく端末を見つめていた。


 水無瀬蒼の現在位置は、依然として不明。


 画面の隅で、最後の検出地点だけが点滅していた。


 都市の外側。


 自由選択区域の手前。


 そこに向かう道が、玲央の目に焼き付いて離れなかった。


 次の面談開始まで、あと七分。


 端末には、業務復帰を促す表示が出ている。


 次面談対象者、到着予定。

 担当職員の感情負荷、軽度上昇。

 三分間の呼吸調整を推奨。

 通常業務継続、可能。


 玲央は、画面を見た。


 通常業務継続、可能。


 たしかに、可能だった。


 椅子に座り、面談資料を開き、次の市民を迎えることはできる。

 いつもの声で説明し、いつものように数値を示し、いつものように不安を整理することもできる。


 身体は動く。

 声も出る。

 手順も分かっている。


 だから、業務は可能。


 だが、玲央の中の何かは、自由選択区域の手前で点滅する小さな光に縛られたままだった。


 水無瀬蒼は、どこへ行ったのか。


 なぜそこまでして、最適化された人生から離れようとしたのか。


 そして、自分はなぜ、それをただの制度逸脱として処理できないのか。


 玲央は答えのないまま、端末を閉じた。


 面談室の扉の向こうで、次の市民が到着したことを知らせる淡い音が鳴る。


 玲央は立ち上がった。


 足取りはいつも通りだった。


 それでも、胸の奥には、水無瀬が消えた方角へ伸びる道だけが、いつまでも残り続けていた。


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