↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/59

2-4:玲央の過去

2-4:玲央の過去


 玲央自身の人生もまた、ORACLEと共にあった。


 物心ついた頃には、家の中にORACLE端末があった。


 それは特別な機械ではなかった。

 机の上にあり、壁に埋め込まれ、寝室の照明とつながり、台所の調理ユニットと連動していた。


 朝起きる時間。

 食事の内容。

 学習の順番。

 遊ぶ時間。

 休む時間。

 友人との距離感。


 玲央の日常には、いつもORACLEの推奨があった。


 幼いころの玲央にとって、それは特別なものではない。


 親が決めるよりも、先生が決めるよりも、ORACLEの方が正確だった。


 玲央が疲れている日には、学習量が少し減った。

 集中力が高い日には、難しい課題が出された。

 睡眠が浅かった翌日は、外遊びよりも静かな読書が推奨された。

 体調が良い日は、軽い運動量が増やされた。


 友人との関わり方もそうだった。


 誰と一緒にいると楽しそうか。

 誰といると疲れやすいか。

 どの程度の時間なら、関係が安定するか。

 どんな言葉を使えば、衝突を避けられるか。


 そうしたことを、ORACLEは玲央より先に知っていた。


 小学校のころ、一度だけ同級生と口論になりかけたことがある。


 相手の子が、玲央の作った模型を勝手に触った。

 玲央は怒りを感じた。

 胸が熱くなり、喉の奥が詰まった。


 そのとき、手首の端末が小さく振動した。


 感情負荷の上昇を検知。

 その場を離れ、三分間の冷却時間を推奨します。

 相手への発話は、怒りが低下してから行ってください。


 玲央はそれに従った。


 教室の外へ出て、廊下の端で呼吸を整えた。

 戻ったときには、怒りは少し薄れていた。

 ORACLEが示した短い言葉を参考にして、玲央は相手に言った。


 勝手に触られると嫌だから、次からは聞いてほしい。


 相手は謝った。

 大きな喧嘩にはならなかった。


 教師は、玲央を褒めた。


 落ち着いて話せて偉かったね、と。


 そのとき玲央は、自分がうまくできたのだと思った。


 けれど今思えば、うまくできたのは、自分一人の力だったのだろうか。


 玲央は、すぐにその考えを追い払った。


 ORACLEの支援を受けることは、悪いことではない。

 むしろ、社会がそうあるべきなのだ。


 おかげで玲央は、大きくつまずくことなく育った。


 成績は安定していた。

 生活リズムも乱れなかった。

 友人関係も、深刻なトラブルにはならなかった。

 感情が乱れそうになる前に、いつも端末が知らせてくれた。


 進学先も、ORACLEが提示した。


 玲央の性格、認知特性、対人負荷耐性、学習履歴、将来の社会需要。

 それらを分析した結果、公共政策系の進路が最適だとされた。


 玲央は、それに従った。


 特に強い夢があったわけではない。


 どうしても行きたい場所があったわけでもない。

 どうしても学びたい分野があったわけでもない。

 誰かに反対されても進みたい道があったわけでもない。


 だから、最適と示された道を選ぶことに抵抗はなかった。


 いや、選ぶというより、自然にそこへ進んだ。


 ORACLEの提示した進路は、玲央に合っていた。

 授業内容にも大きな負荷はなく、周囲との関係も安定していた。

 成績は良好で、生活も乱れなかった。


 大学でも、玲央は安定していた。


 過度に孤立することはなかった。

 かといって、深く誰かに依存することもなかった。

 友人関係は適度で、距離感は保たれていた。


 ORACLEは、玲央にとって負荷の少ない人間関係を勧めた。


 相性の良い相手とは、定期的な交流を促した。

 相性の悪い相手とは、自然に距離を置くよう助言した。

 議論が白熱しやすい相手とは、会話時間の上限が表示された。

 感情変動を大きくする可能性のある関係には、慎重な接触が推奨された。


 玲央はそれに従った。


 恋愛についても同じだった。


 感情の高まりが生活安定度を損なう可能性がある時期には、深い関係形成は推奨されなかった。

 相手との価値観適合度が低い場合には、交流頻度を抑えるよう通知された。

 強い関心を抱いた相手がいても、長期的な安定性が低いと示されれば、玲央は少しずつ距離を置いた。


 その判断は、正しかったのだと思う。


 少なくとも、大きく傷つくことはなかった。

 生活が乱れることもなかった。

 眠れない夜もなかった。

 誰かを求めて、自分を見失うこともなかった。


 寂しいと思ったことは、あまりない。


 少なくとも、そう記憶している。


 就職も同じだった。


 玲央には、人生最適化庁・適合支援局が最も適していると判定された。


 感情の安定性。

 説明能力。

 規則遵守傾向。

 共感過多になりすぎない距離感。

 市民の不安を受け止めながらも、自分自身の感情を過度に巻き込ませない特性。


 それらが、面談支援職に向いているとされた。


 玲央は試験を受け、採用され、現在に至る。


 振り返れば、玲央の人生には大きな失敗がなかった。


 進路で迷って泣いたこともない。

 就職で絶望したこともない。

 誰かを激しく愛して、失ったこともない。

 人間関係に傷つき、何日も眠れなくなったこともない。

 自分の選択を後悔して、胸が潰れそうになった夜もない。


 それは、幸運なことのはずだった。


 そう考えてきた。


 だが、そこには別の側面もあった。


 玲央の人生には、大きな喜びもなかった。


 胸が震えるほど何かを望んだ記憶がない。

 誰かの反対を押し切って進んだ道もない。

 失敗してもいいからやってみたいと思ったこともない。

 失うかもしれないと分かっていて、それでも手を伸ばしたものもない。


 それを欠落とは考えていなかった。


 人生とは、安定している方がいい。

 大きく揺れない方がいい。

 傷つかない方がいい。

 誰かを傷つけず、自分も壊れず、社会の中で適切な役割を果たせるなら、それで十分だ。


 少なくとも、玲央はそう思ってきた。


 けれど、水無瀬の言葉を聞いてから、ほんの少しだけ過去の見え方が変わった。


 承認はしました。

 でも、選んだんでしょうか。


 玲央は、自分が進学先を承認した日のことを思い出そうとした。


 白い学習室。

 壁に表示された適性評価。

 公共政策系進路、推奨。

 長期的職業安定度、高。

 社会貢献実感、適度。

 精神負荷、低から中。


 玲央は、承認した。


 迷わなかった。


 就職先を承認した日のことも思い出そうとした。


 人生最適化庁・適合支援局。

 職務適合度、高。

 感情安定指数との相性、良好。

 将来的な生活安定性、非常に高い。


 玲央は、承認した。


 今の住居を承認した日のことも。


 通勤負荷、低。

 睡眠環境、良好。

 生活支援接続、優良。

 孤独リスク、基準内。


 玲央は、承認した。


 記録はある。

 データも残っている。

 確かに玲央は、そのすべてに同意している。


 けれど、そこに自分の意思があったのか。


 玲央は、その問いを胸の中で転がそうとした。


 意思。


 自分の意思とは、何だろう。


 ORACLEが示した選択肢に納得すること。

 リスクを理解し、承認すること。

 自分にとって安定した道を選ぶこと。


 それは意思ではないのか。


 では、水無瀬が言う「選ぶ」とは何なのか。


 玲央はそこまで考え、無意識に思考を止めた。


 考える必要はない。


 自分は間違っていない。

 ORACLEも間違っていない。


 少なくとも、これまでの人生は破綻していない。


 それで十分なはずだった。


 十分なはずなのに。


 なぜか、その言葉だけでは、胸の奥の小さな引っかかりを完全には消せなかった。


 玲央は端末を見た。


 画面には、午後の業務予定が整然と並んでいる。


 次に何をすべきかは、明確だった。


 記録確認。

 報告書作成。

 追加面談の調整。

 休憩。

 帰宅。


 すべてが順番に示されている。


 玲央はその通りに動けばいい。


 それで、今日も何も問題なく終わる。


 玲央は端末に軽く触れ、予定表を閉じた。


 それでも、水無瀬の声はまだどこかに残っていた。


 承認はしました。

 でも、選んだんでしょうか。


 その問いは、玲央自身の過去に、静かに触れ始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。