血楔病
「その病の名は血楔病という。
ある刻印を刻まれているという魂が、定められた"供物"の血を求めるのだ。
そしてその血を楔として、この世界に自らの魂を繋ぎ止めるのだ」
そう言いながら、ジャイム様がこちらに近づいて来た。
憐憫、憤怒、慈愛。
この世に存在する全ての情を湛えた、世界で一番深い湖のような瞳で。
ジャイム様は、アルコの丘を鍛冶屋フェレールの方角とは反対に降りた先にある、キノル湖の湖畔に住む賢者様だった。
普段はキノル湖で漁師をしているが、ありとあらゆる学問に精通しており、占星術や医術や呪術にも相当詳しく、また、それらを扱う腕も相当なものだということだった。
その能力は、新月と満月の大潮の夜にアイオラス海中湖神殿の使者が迎えに来ては神殿に迎え入れられ、その内部で行われている何らかの特別な儀式にその力を貸す程のものだった。
アイオラス海中湖神殿は、神殿に使える神官達の中でも特級神官しか参入することが許されない特別な神殿だった。
その為、ジャイム様が只者ではないことはアルコの丘や、その下のヴェネラの街に住む者達皆が知っていることだった。
そんな凄い方だというのに、ジャイム様は何か困ったことがあって助けを求めると、どのような家の者の元にもすぐやって来てくれた。
そして、その家の豊かさに見合った最低限の報酬で物事を的確に取り計らい、時に病を治し、湖畔へと帰って行くのだった。
厳しくはあるが、その心の深い優しさと素晴らしさを誰もが知っていたため、ジャイム様は皆に尊敬され、愛されていた。
しかし、ジャイム様の過去について知る者は誰も居なかった。
ただ、私は前に一度、その瞳の深淵にひそむ、深く悲しい後悔を見た気がしたことがあった。
「ジャイム様! そんな……
それでは、私の可愛いリシュリーは、エリオットの、ち、血を!?」
母さんが信じたくないといった表情で、震える声で言った。
「そうだ。飲んだのだ。
その証拠に、見てみよ。
リシュリーちゃんの瞳に色が宿っている」
そして、父さんと母さんとエリオットが間近まで寄り、私の瞳を覗き込んだ。
「本当だ、リシュリーの瞳に色が付いてる」
そう言うと、私の部屋のどこに何があるか知り尽くしているエリオットが手鏡を渡してくれた。
見てみると、白銀色だった私の瞳が薄紅色になっていた。
それは、髪も瞳も肌も白く、色が無かった私に初めて宿った色彩だった。
「血楔病の者が"供物"の血を飲むと瞳の色が変わるという。
"供物"の血によって世界との繋がりを深めたのだ。
……うむ、もしかすると、もしかするとだが、日の光に当たっても平気になっているかもしれぬぞ」
「本当に?ジャイム様。
リシュリー、本当だったらこれで外に行けるよ!
良かった、外に行ってみたいって言ってた願いが叶った!」
「ちょっと待って。エリオット。
じゃあ本当に、リシュリーは、そのなんだか禍々しい名前の病気にかかって、エリオットの血を飲んだということなのですね」
父さんと母さんの方を見ることが出来ない。
おしまいだ。
父さんと母さんに、知られてしまった。
病気なんて関係無い。
私は人間の血を飲む怪物なのだ。
捨てられる。
もしかしたら、神殿に連れて行かれて退治されるかもしれない。
きっと、人間に害悪をもたらす怪物は退治されなければならない。
このような邪悪な生き物はこの世に存在してはならないのだ。
大好きな、父さん、母さん、フェルマー兄さん、双子の弟のバンダーとミグラ、生まれたばかりの小さな可愛いパロマ。
そして、エリオット。
もう二度と会えないのかもしれない。
悲しすぎて息を吸うことが出来ない。
鼻の奥から涙のしょっぱい味がしてくる。
「お願いします! お願いします! ジャイム様。
なんでもします。いくらでもお支払いします。
リシュリーを見逃して下さい!
血は私達でなんとかします。
決して、決して、他の人間を襲わせません。
もちろんエリオットのことも、二度と襲わせません。
もう家族以外には決して会わせません。
私達の命にかけて誓います。
リシュリーは、私達の大切な子供なのです。
なにとぞ、なにとぞ、お願い致します!」
父さんと母さんが弾かれたように床に頭を擦り付けて、ジャイム様にまるで怒鳴るようにそう言った。
それを見て、薄紅色になった私の瞳から、涙が次から次へと溢れてきた。
それは、なぜだか何百年も求めていた言葉のような気がした。