ある刻印
「待ってよ、おじさんおばさん。リシュリーをもう家族以外に会わせないなんて、そんなこと言わないで!」
そう言ったあと、しかしすぐに父さんと母さんが何を意図してジャイム様にそう言ったかを理解したエリオットは、ジャイム様から私を隠すように立ち塞がった。
「ジャイム様、お願いします、リシュリーを連れて行かないで下さい!
僕ならなんとも無いです。ほんとうです。
血も出ていません。痛くもありません。
お願いします、リシュリーを連れて行かないで下さい。
どうか、このまま、ずっと一緒にいさせて下さい」
エリオットが祈りの言葉を唱える時のような、神聖さと切実さがこもった声色で叫んだ。
「おいおい、皆揃って私を人攫いのように。
いつ私が、リシュリーちゃんを神殿に連れて行くと言ったのだ?別にどこにも連れていかん。
病だと言っているだろう」
ジャイム様が困ったように、そして心底面倒くさそうにそう言って、私の方を見て困った困った、というように肩をすくめて片目をつぶった。
ジャイム様のこういうお茶目な一面が私は大好きだった。
それに、こんなに怖い顔で荘厳な雰囲気なのに、私をリシュリーちゃんと呼ぶちぐはぐさがとても面白かった。
父さんや母さんが、ジャイム様の言葉を聞いて心底ほっとしたような表情で顔を上げた。
母さんの頬には涙が落ちていた。
「私にも責任はある。
血楔病は非常に珍しい病だ。この百年、罹患者の報告例が無いほどな。
症状の全てについて詳細に書かれた文献も無い。
ただ数個の、断片的な情報があるだけだ。
だからリシュリーちゃんを最初に診たときも、血楔病だとは思いもしなかった。
血楔病の唯一の決定的な症状、つまり血を求める症状が出ていなかったからな。
あの時は、日光拒絶症候群の重篤な患者としか考えられなかった。
もしかすると、日光で弱るというのも血楔病と何らかの関係があるのかもしれぬが、それさえも分からぬのだ。
ううむ、何か症状が出たきっかけと思われることはなかったか」
「……それは、多分、僕のせいだ。
僕があんなこと言ったから。
僕が……
約束だよって、言ったそのとき、リシュリーがものすごく苦しみ始めたんだ……」
エリオットが顔を伏せて、低い声で言った。
その声があまりにも辛そうで、血でも吐いてしまうのではないかと思う程だった。
そんなにも落ち込ませてしまったことに、本当に申し訳ない気持ちになった。
「約束、か。
牧場主殿、アルコ夫人。これまでリシュリーちゃんと何か約束をして、彼女が苦しんだことはあったか?」
「ええと、言われてみると、そもそもこれまでリシュリーと私達家族が約束というものをすること自体が、あまり無かったかもしれないですわ。
リシュリーは本当に良い子で、他の子達にするような禁止の意味の約束、例えば、『〜しないって約束して』のような約束をする必要はありませんでした。
私達親に何かを望むことも無かったので、所望の意味の約束、『〜してくれるって約束して』ということをリシュリーが求めたことはありませんでした。
それに、こんなことを言って本当にごめんなさいリシュリー。
リシュリーがどれだけ長く生きられるか確証が持てなかった私達は怖くて、とても怖くて、未来の誓いの意味の約束はしないようにしていました。
『〜すると約束するね』のような。
約束をしたのに、もしそれを叶えてあげられなかったら永遠に自分のことを許せないと思ってしまって。
ごめんなさいね。リシュリー」
母さんが言った。
「待てよ、でも、父さんは一度だけリシュリーと約束しようとした事があった気がするぞ。
そうだ。何年も前のあの日、確かリシュリーは言いつけを破って昼間に外に出てしまったんだ。
それで、俺は『もうこんなことはしないって、約束してくれ』と言った。
確かその時リシュリーは、下を向いて口をつぐんで何も言わなくなってしまったんだ。
母さんにどうってことのない注意をされた時も、すぐに謝るリシュリーがそんな風になるなんて珍しいと思ったんだよ。
ただ、別に苦しんでるという風ではなかった気がするが」
確かあの日、まだエリオットと出会う前。
フェルマー兄さんから子ヤギが生まれたと聞いて、どうしてもすぐにその子ヤギが見たくて、いいつけを破って部屋の外へ出てしまった。
そしたら、自分が思っていたより日光は私に有害だったらしく、母屋を出てすぐに倒れてしまった。
そして元気をそれなりに取り戻した後、悲しい目をした父さんにそう言われたのだ。
そして、確かあの時。
私は『悲しませてごめんなさい。もうしないって約束します』と言おうとした。
だけどどうしても言えなかった。言えなかったというより声を出すことが出来なかった。
苦しくはなかったが、声を出したいのに出せない違和感で気持ち悪かったのを覚えている。
「そうです。父さんの言う通りです、ジャイム様。
あの時、私も父さんと約束したかったんだけど、出来なかった。
声を出したくても、声が出なかったの」
「それだ。約束がなんらかの鍵を握っている。
おそらく、リシュリーちゃんは約束することが出来ないのだ!
自分の意志とは関わらず、まるで呪いのようにな」
ジャイム様が水脈を掘り当てた井戸掘り人のようにそう言った。
いつの間にかエリオットが再び私の手を握っていた。自分の指を私の指にきつく絡めて、なぜだか少し震えているようだった。
顔をジャイム様の方向に向けているので、表情は見えなかった。
「その呪いが魂に刻まれた刻印なのか?
いや、でもそうだとすると……」
「ジャイム様。お願いします。血楔病について分かっていることを全て教えて下さい。
まず、その魂に刻まれた刻印って何ですか」
父さんが頭を下げて言った。
賢者ジャイム様が新たな水脈を掘り当てようと頑張っているのに。
しかし、そこが父さんらしかった。
「ああ。そうだな。
しかし最初に言っておくが、これは完全に確証がある情報とは言えない。異説もある。
だが、血楔病を知る手がかりの一つとなるかもしれないので教えておこう。
血楔病を持つ者の魂にはある刻印が刻み付けられているという。
血楔病の罹患者を診た、神通力を持つ聖者が記した日記にそう記されていた。数百年も前のものだがな。
しかし、その聖者によってもそれについて完全に理解することは出来なかったとも記されている。
聖者の日記によればその刻印は、他者からかけられた凄まじい呪いや想いによって魂に刻み付けられるものであるらしい。
その刻印によって、他の世界に生まれるはずだった魂を、こちらの世界に強制的に降誕させるのだ。
そのため血楔病の者は、ちょっとしたことで生命エネルギーが枯渇してしまう。
本来生まれるはずの無かった世界に生まれたのだからそれも当然だ。
それを補うため、身近な者の中から"供物"を定め、その血を飲むことで生命エネルギーを補充する。
そしてそれと同時に、その血を自らの魂と世界との楔にするのだ。
そうして世界との繋がりを深めた時、瞳の色が変わるのだという」




