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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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予選 その2

 息の詰まるような六分間を終えると、選手たちはアイソレーションルームに帰った。

 女子は出場者が少ないから、三島さんと加藤先輩はオブザベーションのときからハーネスを履いていて、もうメインアリーナの入口前の椅子に座って出番を待っているはずだ。

 ああ、今見てきたルートについて早川と話したい。

 ……話したいけど、どんな手順で登るかも競技のうちだから、ルートについての会話は厳禁。

 それ以外のことしか話せない。

「見た感じだと、前の大会みたいなヘマはしないで済みそうだ。決勝には出られそうだな」

「今度は俺が、緊張してヘマをやらかすかもしれない……」

 なんて、嘘でーす☆

 俺はテスト前に点数が取れない理由探し、つまりセルフハンディキャッピングに夢中になる男だからな。

 まあ、マジでテストの点数も低いけど。

 二階堂さんの作るルートは評判よくないらしいけど、《夜の宴》のときのように、激しい動きもなさそうだったし、意外と完登しちゃうかもしれない。

 もしかしたら入賞も……。

 それよりも問題は、この待ち時間だな。

 一年生男子は三十人くらいいるから、後半に登ることになると、せっかくのオブザベーションのときの、手順の読みを忘れるかもしれない。

「女子はもう、登ってるんだよなー。二人は入賞できると思うか?」

「さあ、他校の女子は見るからにクライミング向きじゃない体形だったから、ワン・ツーフィニッシュもあるんじゃないか? あと川内、ゼッケンつけてくれ」

「おう」

 俺にゼッケンを渡すと、早川は背を向けて話を続けた。

「……しばらく登っていなかった三島さんが、なまってなければの話だけど。そもそも、どうやって三島さんを家から引っ張り出した?」

「えっと、偶然会って、……いろいろあって、言葉が上手く出ないから目を合わせて、そしたら気持ちが伝わったのか、元気出たみたい」

「なんだそれ? 目を合わせて元気出たって、お前らってどういう関け……いってえ! 安全ピンが刺さってるぞ、バカ!」

「うわ、ごめん! 手が震えて」

 そ、それに、早川も妙な事を言うからだ! 驚かせやがって。……

「えー、六番、二十一番、二十七番、六十五番、六十八番の選手、待機してくださーい」

「あ、二十一番、俺だ。先に登って来るぞ、川内。決勝戦でまた会おうぜ」

「おう、ガンバ!」

 話し相手の早川が呼ばれて出て行き、俺は一人きりになってしまった。

 アイソレーションルームには男子しか残っていない。

 リード男子は出場人数が多くて時間がかかるので、暇を持て余して寝てるやつまでいる。

 呼び出されるまで出番がいつかわからないし、とりあえずアップでもしておくか。

 ボルダー壁に取りついてアップをしていると、早川がさっき言いかけた言葉が頭に浮かんできた。

 「お前らってどういう関係」って、まさか恋仲とでも思ってんのか?

 フヒッ、それはそれで嬉しいけど、三島さんが今置かれた厳しい状況を考えると、さすがに妄想には浸れない。

 俺はただ、いつもビレイをしていて、一緒に遅くまで登って、何より三島さんの挑戦に対する理解があるから、友達として認められただけだろう。

 それよりも、俺が今気になるのは、これからの三島さんとの関係だ。

 大会には来てくれたけど、いじめに何の対応策も打っちゃいないし、学校にもまだ行けてないそうじゃないか。これからも通えなかったら?

 ……最悪、中退もあるかもしれない。そしたらもう、会えなくなるのかもしれない。

 この困難な《いじめの壁》をクリアできたとしても、それより三百倍は面倒な、《三島のおじいさんの壁》もある。

 そもそも、女子の出場者が少なすぎるんだよ!

 たったの六人!?

 一年生男子は六位までが入賞だというのに! 

 さすがに、女子の出場者全員入賞なんてことはありえないだろうけど、六人かそこいらの中で結果を出したところで、あのおじいさんが納得するとは思えない。

 加えて、加藤先輩がいるから優勝はかえって難しいだろうし。

 ……そうなると、クライミングを続けることを認めてもらえないかもしれない!

「二十二番! 二十二番はいない? 失格になるよー!」

「あああっ、はいはい! います、二十二番います!」

「はい、早く来て。先にハーネス履いといてね。荷物も忘れないで!」

 しまった、考え込んでいたら、いつの間にかずいぶん時間が経っていたようだ。

 おかげで大会に不安を感じる暇がなかったから、変に緊張しないでよかったもしれない。

 メインアリーナの扉の前には、選手たちがパイプイスに座って出番を待っていた。

 俺は空いた一席に腰を下ろすと、シューズをホコリっぽい床につけないように履いた。

 扉の向こうからは、観客の声援や拍手、選手が落ちた衝撃でヌンチャクが壁面にぶつかる音や、嘆声が聞こえてくる。

 オブザベーションのときに考えた、壁を登る手順を頭の中で復習していると、手のひらは汗で湿って来た。

 この、いい感じの緊張、たまらないね。

 さて、各選手の登るための持ち時間は六分間のはずなんだけど、一分も経たないうちに席順が変わり、俺の出番がどんどん迫って来る。

 すぐ落ちるのか、すぐ登り切るのか?

「はい、二十二番の選手入って」

 まとまった拍手の音が聞こえてきたと思ったら、いよいよお呼び出しがかかった。

 ハーネスがちゃんと履けているか目視で確認された後、ブルーシートと扉をくぐると、メインアリーナの床に直に座った観客や、スタッフの視線の集中砲火を浴びた。

 いやん、堀田先輩たちもいるんだろうけど、これじゃ恥ずかしくて顔を上げられない!

 スタッフに、ロープと介する安全環付きカラビナをタイインループにつけてもらい、ロープを張ってもらうと、ハーネスがいい感じに下半身を締めつけて気合が入った。

「OKよー、どうぞー。はい、いいよー? 登ってー、どうぞ―」

 ……俺はおっさんビレイヤーの催促に焦らないで、もう一度ルートを確認して、それから壁に取りついた。

「川内君、ガンバ―!」

 これは堀田先輩の声だな。横でリード男子もやってるから声援が重なるけど、よく通るいい声をしている。

 応援ありがとう、堀田先輩!

 登り始めても、意外と余裕があった。

 二階堂さんの作るルートは評判悪いそうだけど、読み通りの素直なルートで、つかみにくいホールドで力を出しすぎなければ登れそうだ。

 左手を伸ばして、右足を上げて体重を移して、右手でゾウのホールド、足を入れ替えて、手をクロス……。

 素晴らしい、俺の読み通り!

 これはルートが簡単なのか、それとも俺が天才なのか?

 緊張で若干、足がプルプル震えるけど、前腕に疲れもない。終了点も間近じゃないか!

 あまり急ぎすぎず、こまめにレストを入れながら進んだので、終了点手間の持ちにくいホールドも何のその、俺は予選ルートを完登して、鮮烈なデビューを果たした。……

「テェ、テンション!」

 思わず声も裏返りかけたぜ!

 聞こえて来るのはただ、観客のわけ隔てない、俺への賛辞の拍手が……隣の男子リードの選手も降りて来るところじゃないか。

 どっちへの拍手だ?

 まあいい、完登したことには変わりないんだ。文句なく予選は突破しただろう!

 堂々と胸を張りながら、みんなが待つ観客席(床だけど)に戻ると、俺は賛辞を待った。

「なんだ、川内も予選突破だな」

「やったね! 十九人目の完登者だよー!」

「ゼッケン、曲がってる」

「に、二階堂さんのルート、簡単だったみたいだね。女子も完登者多かったよ」

 ……え、何これ? 俺は今、幸福は長く続かないっていう、哲学の体現者なの?

「男子のリードは激ムズだったのに、一年生には甘くしすぎたみたい。二階堂さんは普段、ボルダリングしかやらないからねー」

 なるほど。じゃあ俺が天才なんじゃないで、ルートが簡単だったわけですね!

 自惚れも四散しちゃいましたわ!

 結局、一年生男子トップロープの完登者は、三十一人中二十二人(!)だった。

 三島さんが俺の完登より、曲がったゼッケンに関心を向けるのも納得の事態だね。

 当然、完登できなかったやつらは予選落ちだ。

 三島さんと加藤先輩も、女子のルートを難なく完登していたので、決勝進出するそうだ。


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