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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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醒めた若者

 一旦頭の中を整理しようと、俺は河川敷まで早歩きで歩いた。

 とりあえず、川辺に着くまでは何も考えないようにと、自分自身に言いきかせながら。

 さて、一人になれることを見越してやって来たけど、散歩中の犬のフンを回収する少女、ランニングに励んでいるけど腹の出た中年男性、買い物帰りのおじさんのようなおばさん、何に効果があるかはわからないけれど後ろ向きに歩く老人と、夕方に現れるお決まりの人種たちで河川敷はにぎわっていた。

 ああ、なんと物思いにふけるには適さない景色!

 俺だって感傷に浸る時間が欲しいのに!

 とりあえず後ろ向き歩きのおじいさんをかわして、川縁に沿って歩いて行くうち、次第に乱れた気持ちも落ち着いてきた。

 三人の会話の断片を整理すると、三島さんはある女子グループに嫌われていて、そのうちクラス中に広がって、いじめられて、気持ちが参っているときにグラウンドフォールして、……学校に来なくなったのか。

 対岸では、女子高生のグループが歩きながら大声で笑っていた。

 その笑い声や、身振り手振りはわかるけど、遠いので何を話しているのかまでは分からない。

 グループ、か……。

 無愛想な三島さんのことだ、グループに交わっても馴染まなかったり、勘違いされたり、なんとなく気に食わないって思うやつが出てきてもおかしくはないな。

 じゃあ、やっぱりグラウンドフォールした翌日から、学校には来てなかったのかな。

 あれは確か、6月の終わりころだから……いや、引きこもりの期間なんて数えてどうする?

 ええい、そんなことはどうだっていい。

 なんで俺だけがそのことを知らなかったんだ?

 加藤先輩は妹から聞いたんだろうし、早川は自分で築いた人脈からの噂話だろう。

 堀田先輩は穏やかな性格で話しやすいし、知らないところで相談に乗っていたのかもしれない。

 じゃあ、俺は一体何をしていたんだ?

 今日の早川たちの話しぶりからすると、三島さんがいじめられていることなんて、今さらわかりきったことで、もちろん俺も知っているものだと思っていたようだった。

――れ、連絡も取れないし……

 こんなに休んでいたのに、俺はまったく連絡なんてしなかった。

 てっきり、いつものレストなんだろうと。

 ……加藤先輩が言うまで、まさか引きこもっているなんて考えもしなかった。

――ま、俺らなんかよりお前のほうがよっぽど心配しているよな……

 違うんだ、早川。俺は何も知らなかった。

 誘われたから、夜遅くまで一緒に登っていただけだ。

 くだらない話は、俺がバカで何も知らなかったから……。

 帰り道を家まで送るときも、暑いとか、湿気がすごいとか、虫が目に入ったとか、三島さんは寡黙だから何もしゃべらないだろうと決めつけて、俺が一方的にしゃべっていただけだった。

――一番近いところで三島さんを見ていたもんね……

 確かに、堀田先輩の言うように、俺が一番近いところで三島さんを見ていた。

 ビレイをしていたし、家へも送った。

 それに、三島さんが俺をクライミングに誘ったんだし、おじいさんの説得へも行かされた。

 俺が一番、三島さんの近くにいた。

 

 でも、俺は何も知らなかった!

 

 三島さんがグラウンドフォールするより前に、二階堂さんが俺に三島さんを休ませたほうがいいと忠告したことがあったけど、今から思えば、あれはオーバートレーニングについて言ってたんだろうな。

 学校に居場所がなかったから、三島さんはクライミングに打ち込んで、疲労も忘れて登っていたんだろうか?

 そしたら二階堂さんですら、間接的に異変に気付いていたのか。

 そういえば、俺だって三島さんと初めてしゃべったとき、筋トレしているらしいのに体が華奢なことは気になったじゃないか。

 トレーニングをやりすぎる人なんじゃないかって。

 でも三島さんが登る姿を、調子を落とした姿を見ても、大会前で緊張しているって話を鵜呑みにしていた。

 登りすぎだとか、精神面だとか、オーバートレーニングなんじゃないかって、そんなこと、まるで思いつきもしなかった。今の今まで……。

ビレイをしているときには、俺は自惚れてすらいたかもしれない。

 ここは特等席だとか、もう落ちそうだとか、三島さんの性格はもう、わかっているとか思っていた。

 それがこのざまだ!

 三島さんがいじめられていることや悩んでいること、登りすぎていることにも気づけなかったじゃないか。

 みんなは知っていたのに!

 じゃあ、俺が見ていたのは一体何だ?

 まさか、登っていく三島さんの尻だけか……?

 これじゃあ、三島さんが罵ったように、本当にただの《ヘンタイ》じゃないか。……

 そのとき、突然後ろからクラクションを鳴らされて、俺はあやうく神聖な液体をおちびりしてしまうところだった。

 あんまり驚いたので、腹を立てず、素直に塀に体を寄せた。

 川沿いを歩いていたはずなのに、なんで塀があるんだろうと思いながら、クラクションを鳴らした黒光りの高級車を目で追うと、三台の車は見覚えのある邸に入って行った。

 車が入り終わると、門扉は自動で閉まった。

 その門扉が閉じたところで、俺はやっと思い出した。

 ここは三島邸である!

 驚いたな、いつの間にか川を渡って三島さんの家の前まで来ちゃった。

 まあ、俺の家もこの先にあるから、たどり着かないわけでもないけど……。

 でも、これはロマンチックな展開じゃないって、俺が一番わかっていた。

 むしろ、三島さんの家に車が入っていくところを見て、「たぶん、おじいさんに来客があるんだろうから、邪魔したらよくない」だなんて、呼び鈴を押さない口実ができて、ほっとしていたくらいだ。

 だって漫画やラノベみたいに、主人公が筋道立てて理詰めで人を説得して、熱意のこもった言葉だけであっさり解決なんて、実際ありえないだろ?

 現実には煙たがられたり、無意味な建前の羅列を冷笑されたり、心が動いたところで何の解決にもならなかったり。……

 それに、いじめられて引きこもった三島さんに、俺が口先の説得をしたところで心が動くわけがない。

 もしかしたら無責任な発言で、かえって傷つけてしまうかもしれない。

 ……ハハ、言い訳に聞こえるよね。俺もまさか、自分がこんなに冷めたやつだったとは思わなかったよ。

 堀田先輩のストーカー事件のときは興味本位だったし、加藤先輩の便所飯は早川に呼び出されてついていっただけ。

 加藤先輩が早川の家庭のことを心配したときも、てっきり物質的な支援のことだと思っていて、心の支援をしようだなんて思いもしなかった。

 そして、三島さんとここ何日か会わなくなっても、別に気にしていなかったし、連絡もしなかった。

 引きこもっているって聞いた今も、せっかく家の前に来たのに、呼び出してみる気があるわけじゃなかった。

 ああ、自分でも呆れるほどの無関心!

 学園生活に興味はないし、趣味もない、クライミングだって誘われただけ、目標も特にない。潔癖にすべてを否定して、挑戦なんてしなかった。

 とても、心の底から「生きている」なんて言えない、希望も悩みも絶望もない生活。……

 俺は三島さんの家の門を背に歩き出した。

 そして、入学式のときの学園長のスピーチを思い出していた。

 あれが、誰のことを言っていたのか?


 あのとき話していた冷めた若者って、まさしく俺そのものじゃないか。


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