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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
19/48

夜の宴 その1

「黄色のおにぎりスタートで、次が大腸菌、赤い小さなボツリヌス菌、そして蟯虫、灰色のブドウ球菌、ラストはお尻でゴール!」

 何も便所飯つながりで、怪しげな単語を並べてはいないし、声の主である堀田先輩の頭がイっちゃっているわけでもない。

 何のことかというと、俺たちはボルダリングのホールドの指定を聞いていたんだ。

 ホールドを指差すよりも、見た目を言えば人に教えるのに楽だから、クライマーたちはいい加減な呼び名を、ホールドにつけているらしい。

 ここはクライミングジムの最上階、五、六メートルほどの小さな壁が横つながりに立っていて、足元には分厚い(妙なにおいがする)マットが敷き詰められている。

 この命綱のいらないほど低い壁を登ることを、ボルダリングって言うんだ。

 俺はクライミングって言ったら、このボルダリングをイメージしたな。テレビで紹介されるときも、たいていこの小さなボルダー壁を登る、かわいいギャルの映像だからね。

「こら、川内君。よそ見しないで登りな!」

「はいはい、登りまっせー」

「いい? クライミングは初心者なら、登れば登るだけ上達するんだからね!」

 加藤先輩が戻ってから、堀田先輩もクライミングのことを、教えてくれるようになった。

 でも、教えてくれるのは道具の名前や、クライミングジム内での注意事項とか、基本的なことだけなんだけどね。

 登り方については、部活の顧問のようにうるさく口出ししたりしないんだけど、それはトラウマなのか、堀田先輩の方針なのかはわからない。

 ただ、よく「上手いクライマーの登りをよく観察して」とは言っていた。職人の「技はこっそり見て盗め」的な発想なんだろうね。

 その指導に則って、堀田先輩の(あらゆるところを)ジロジロ観察したけど、一番目につくのは前にも言ったけど、やたらと足をスタイリッシュに伸ばしながら登ることだった。

 別に美脚でもない、すね毛ボーボーのおっさんも、左右に足をスタイリッシュに伸ばしていたから、クライミングの技術だってことはすぐにわかって、それには《カウンターバランス》だなんて、かっこいい名前もついているらしい。

 で、実際に登って試してみたら何のことはない。単に、椅子を後ろに倒して「危ないっ!」って思ったときに、足がぴょこんと前に出して、バランスをとるあれに似たものらしい。

 それで、やじろべえみたいにバランスをとると、クライミングシューズのつま先に自分の体重をかけることができるから、驚くほど手の力が必要なくなった。

 クライミングはこうして、いかに力を使わないで登るかが、上手くなるための秘訣らしい。

 テレビは見た目の過酷さから「女子がクライミングで、シェイプアップに夢中!」だなんて言ってるけど、実際のところ、クライマーはカロリーを使わないために四苦八苦していた。

「うぐ……、うぐぐ」

「はい、ガンバガンバ!」

 さて、せっかく手に力のかからない足技に気づいても、このボルダリングの場合は高さがないから、その分なかなか登れないようにと、持ちにくい、いやらしいホールドをつかまなくちゃならないんだ。

 今登ってるボルダリングのルートの(課題って言うよ)ホールドは、赤いボツリヌス菌なんて、指が自重でぶっ壊れるんじゃないかってくらい、小さな赤色の消しゴムほどのサイズだった。

「……うう、無理!」

「こら、あきらめちゃダメ!」

 ボルダリングの何がいいかって、やっぱり高さがないってとこだよね。

 三島さんじゃないけど、高い壁から落ちるのはやっぱり怖い。低い壁だと、落ちることが大して怖くもないし、思いっきり登れるんだよ。

 今は、思いっきり落ちちゃったけど。

「ハハ、雑魚だな川内は。ちょっと見てろ」

 早川は海野カップに向けて、だいぶ気合が入っているようだ。シューズは二階堂さんが履かなくなったものを使っていて、レンタル料をケチっている。

 大口叩いただけあって、早川は軽々と課題を落として(登りきって)しまった。背が高いこともあって、力を出さないでも登っていけるみたいだ。

 どんなスポーツにでもある、高身長無双ってやつだよ。ホント、泣きたくなるよね。

「ヘンタイ、邪魔」

 暴言を吐きながら壁に取りついた三島さんも、俺とほとんど変わらない身長だし、筋力もあるので、俺ら男子と同じレベルの課題を登っていた(しかも俺より強い!)。

 一方で身長の低い加藤先輩は、経験者だけあってその身長をカバーするように、ホールドをつかんで離さない《保持力》や、足技で体重を殺すのがすごく上手かった。

さて、三人とも登ってしまったようだ。早く俺が登らないと、堀田先輩が次の課題を出せないから、ほかのみんなも登れないという後ろめたさが、ボルダーを複数人でやる欠点かな。

「……で、三島さん。邪魔なんだけど」

「ん」

 三島さんはボルダー壁でもご丁寧に、登りきってから高所恐怖症を発症して、いちいち壁の頂でサナギになっていた。

 他人が登っている最中は当然登れないから、降りてくるのを待たなきゃならないんだぜ?

 登ってしまった早川たちも、三島さんがなかなか降りないことを知っているので、マットに座って暇そうにしている。

「堀田さん、海野カップのルートの難易度って、どれくらいなんです?」

「確か、グレードは10dより上じゃなかったはず。……ヒメちゃん、いい加減に降りなー」

「まだ、そんなレベルのルートなんて登ったことないですよ?」

「トップロープだから、ボルダリングで鍛えておけば問題ないよ。あとは、クライミング経歴を詐称した出場者に注意かな」

 海野カップにただ一人出る早川は、情報収集に余念がない。俺らは冷やかしに行く予定だ。

「へー、ほかに何か情報は? 加藤さんも何かあるでしょ?」

「ええ、な、なんだろう……。あ、クライマーは手が早い、とか?」

「何だよ、それ?」

「つ、強くてかわいいクライマーの女の子は、すす、すぐにオスのクライマーに狙われるという、クライミング界の裏情報……」

「きゃー!」

「……なんで川内が叫ぶんだよ、早く登れ。あと加藤さん、そんな情報要らないから」

「じ、じゃあ、クライミングジムの閉店間際まで残ってはならない。《夜の宴》があるから」

「また、変な情報?」

「う、変な情報だけど、……み、身を守るためにはぜひ、私の忠告をお忘れなく」

 身を守るためって、夜のクライミングジムでは一体、何があるんだろうか?

「もう大会まで時間もないし、そんな忠告はどうでもいい。川内も一緒に残ってくれよ」

行くなと言われたら行きたくなるのが、人情ってもんだよね。

「おう、面白そうだしな! その《夜の宴》って」

「私も残る」

 サナギになった三島さんも、声だけは勇ましく参加表明をした。

「怖いもの知らずな若者たちよ……、き、気をつけたまえ……」

 加藤先輩は大げさに怯えてみせると、「通販で買ったゲームが今日届く」と遺言を残して帰ってしまった。

部活じゃないから、休む理由なんて気にしなくていいんだけど、もう少し《夜の宴》について教えて行ってくれたらよかったのに。

「あの、堀田先輩は加藤先輩が言ってたことが、何だか知ってるんですか?」

「うーん、《夜の宴》よりも、《動物園》って言ったほうが近いかも……」

「動物園……?」


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