便所飯 その2
「あ、みんな来てくれたんだね! すみちゃんが……」
俺たちが連れていかれたのは、人気のない校舎一階の奥にあるトイレで、その入り口の前で堀田先輩があたふたしていた。
「加藤先輩が、どうしたんですか?」
「ハハ、まさかのトイレでランチだとさ」
質問に答えたのは早川で、先ほどのむっつり顔とは打って変わって、愉快に笑っている。
「だから、三島の教室で加藤妹を姉と勘違いしたときは、堀田さんのデマかと思って安心したんだけど。……マジで、トイレでランチをとるやつっているんだな」
「え、トイレでランチって、それはいわゆる……」
「あーあー! すみちゃんはまだ、そんなことしてないよ!」
「でも堀田先輩、まだってことは……」
「私が見たのは、お弁当を抱えてトイレに入るすみちゃんで……」
堀田先輩は今にも泣きそうであったが、三島さんがずいと出てきて、
「とりあえず、みんなで中に入って話してみませんか?」
三島さんは落ち着ているな。でも、加藤さんが籠城しているのは女子トイレなんだけど。
「あの、俺らが入ってもいいのかな?」
「さすがに、今はヘンタイ呼ばわりしないであげる」
「だよな。フヒ、では遠慮なく女子トイレへ!」
浅はかだったけど、こんなことを言ったら、てっきりまた「ヘンタイ」って罵倒されて、三島さんが構ってくれるものだと期待しちゃったが、次の言葉で俺は目を覚ました。
「やっぱり、トリオの方針を破って、戻ってきたのがまずかったのかな」
トリオ! 忘れていた、まさか加藤先輩は赤カーディガン氏の怒りを買ってしまったのか?
俺もバカだった。便所飯だなんて、ただ加藤先輩のぼっちぶりが判明しただけかと思ったけど、まず疑うべくはトリオの束縛と、そこを抜けだした代償だよな。
ああ、昨日の打ち上げで、シュシュを引きちぎってそれで終わりなんかじゃなく、まして明るいクライミング生活の保障なんて、加藤先輩にはなかったのか……。
「すーみちゃん、出ておいでー!」
堀田先輩が、猫に呼びかけるように扉越しに声をかけると、中から小さく返答が。
「……うう、お、お外こわい」
「そりゃあ、僕たちがいたら恥ずかしくって、出られないでしょうね」
早川は、この初めて遭遇する便所飯がよほど面白いのか、冷笑的につぶやいた。
「あの、加藤さん。……やっぱり、グループから抜けたから、こんなことに?」
一方、三島さんは真剣に加藤先輩(と便所の扉)に向き合っていた。
「そそ、それは大丈夫! ……今のところは、だけど」
「よかった、何かされたわけじゃないんだ。でも、なんでこんなところにいるの?」
「う、それ、は、……で、伝統です! 日本の! 『納戸飯』って言って、遊女は客前での食事をはばかって、な、納戸で食べていたって。言わば、ク、クルールジャパン!」
「ハハハ、どう考えてもクールじゃないで、ダークジャパンでしょ」
「こらっ、早川君! すみちゃんをいじめない!」
「はーい」
……まあ、確かにダークジャパンではあるな。あと、俺も堀田先輩に叱られたい。
今度は、堀田先輩が扉の前に立ち、聖母のように加藤先輩に呼びかけた。
「ねえ、すみちゃん。怖いのは、あの子たちのことで、私たちじゃないよね?」
「もも、もちろん! く、比べ物にもならないです……」
「よかった。じゃあ、私たちと一緒にご飯食べるもの、嫌じゃないよね?」
「……は、はい」
「じゃあ、私たちのことが嫌いじゃないなら、出てきてくれる? 今日は……ううん、これから一緒に、毎日このメンバーで食べない? みんなも、いいでしょ?」
「まあ、堀田さんの頼みなら」
「ん」
何、堀田先輩たちと、毎日昼飯だと……?
「最高! フォー!」
「ね、すみちゃん。みんなも異常に喜んでるでしょ? ……どうかな?」
しばしの沈黙の後、ゆっくりと扉を開けて、目は怯えているけど、照れ笑いをした加藤先輩
が出てきた。
「み、みんながいるなら……」
「よかったー! もう離さないんだから!」
堀田先輩は加藤先輩を逃がさないように、優しくハグしたまま、トイレから脱出した。加藤先輩は暗い個室からいきなり明るみに出たせいか、しきりにくしゃみをしている。
あっさり出てきてくれたのは、やっぱりオタクな加藤先輩でも、便所飯なんてしたくなかったんだろうね。
それから俺ら五人は中庭に移動して、テーブルは先客で埋まっていたので、加藤先輩を真ん中に、花壇の縁に腰を下ろした。
さて、一段落してみんなと初めてのランチタイム。弁当の品評でもしようか!
「堀田先輩、弁当見せてください」
「んー? 私のはね、手作り弁当!」
中に入っている品物は、……どう見ても冷凍食品だ。チンしただけで、手作りって言っちゃうところが、汚い。堀田先輩、意外と汚い。
「加藤先輩は、どんなのですか?」
「はわっ、わ、私のは……」
加藤先輩の弁当はお母さんが作ったのか、休日の朝アニメに出ている、キャラクターを模した弁当のようだ。人目を避けて食べようとしていたのは、これも一因なんじゃ……?
早川を見ると、みかんを二つ膝に乗っけていた。
「……それ、昼飯?」
「お前も、菓子パン四つじゃないか」
まあ、男子はこんなものか。さて、次は筋肉バカだ。プロテインを粉のまま食べてそうだ。
「三島さんは?」
「ん」
あら、差し出されたのは小さな二段の弁当箱、意外とかわいらし……
「……を、×(かける)三」
やっぱり、筋肉クレイジーだったよ。
さて、この間も加藤先輩のことを心配して、チラチラと横目で見ていたけど、どうやらリラックスできているようで、
「――それで二十一世紀にタイムスリップした西行法師は骨寄せという秘術でもってフィギュア作家として大成して……」
などと、誰も知らない、訳の分からない漫画について奔流のように語っていた。
得意分野なら、滑らかにしゃべれるのはオタクの特徴だけど、それだけじゃないで、気兼ねのいらない俺らとの昼食を、心底喜んでいるようでもあった。
あとは加藤先輩が、クラスに戻ってからいじめられなきゃいいんだけど……。
――ここからは加藤先輩に後々聞いた話なんだけど、どんなに楽しいランチタイムも、五限目を前にしたら永遠ではいられない。つまり、教室に帰らなくちゃならない。
俺らと別れた加藤先輩は、教室に着くと本の世界に逃げ込んで、大好きな『日本霊異記』を読みながら「リア充、牛になれ」と健全な呪いを吐いて、やり過ごそうとしていたそうだ。
でも、視野の片隅で赤カーディガン氏が、クラスの女子を対象に耳打ちをしているのが見えて、加藤先輩は現実に引き戻された。
赤カーディガン氏はいじめっ子特有の、耳打ちをわざと狙った相手に聞こえるほどの小声で話すという、くだらないスキルを持っていた!
「なんか最近、Mちゃんって、うざいよね」
Mちゃんとは、加藤先輩もたまに会話するクラスのモブ女子らしいんだけど、それは重要ではなかった。Mちゃんのことを、赤カーディガン氏はもともと毛嫌いしていて、改めて口にする必要もなかったらしい。
問題なのは、語尾のかわいいひらがな二文字、「よね」のほうだ。
「Mちゃんって、うざい」なら個人の感想だけど、語尾に「よね」がついちゃうと、赤カーディガン氏の感想に加えて、あんたはどうなの、という無言の圧力がかかってくるのだから!
俺だってよく使うけど、いじめっ子が使うとあら不思議、現代の踏み絵となってしまうのが恐ろしい。
そうこうするうちに、とうとう赤カーディガン氏は加藤先輩の背後に立って、肩を叩いた。
「ねえ、Mちゃんって、うざいよね!」
この押しつけがましい同意の催促! 加藤先輩の忠誠を確かめていることは明らかだった!
ただ、今さら昔の隷従生活には戻りたくはないし、クライミングだってやりたい、昼飯に誘ってくれた俺ら四人のことも考えた。それに、早川にバカにされる便所飯生活なんてやりたくないので、加藤先輩としては一歩も退けなく、思考がこんがらがった結果、
「……あ、赤井さん、口。臭うよ?」
加藤先輩が苦し紛れに引き出したのは、突拍子もないこの一言だった!
この破れかぶれでデタラメな加藤先輩の反撃に、赤カーディガン氏の整った顔から、みるみる血の気が引いていった。
「……は?」
自身の思い切った発言に焦った加藤先輩は、今度は火消しのためにやけくそになった。
「あわわわわ! あ、あれ、ほ、ほら、赤井さん、さ、最近疲れてそうだったから、もも、もしかしたら体調わるいんじゃないかなー、なんて……」
人生オワタと加藤先輩が観念したそのとき、
「……わかる!? 実は最近、寝てなくって!」
意外にも、赤カーディガン氏は食いついてきた!
加藤先輩の発言は全部デタラメだったので、まさか的中するとは思っていない。もしかしたら、面前で口臭を指摘される恥辱に耐えかねて、この嘘にすがったのかもしれないが。
「やや、やっぱり? ま、前から顔に疲れが出てたよ……」
こうして一時的とはいえ、加藤先輩自身の力でも危機を乗り越えていたらしい。
赤カーディガン氏は真偽のほどはともかく、これに懲りて噂話はやめたそうだ。――




