始動 その1
俺たちが向かったのは駅前の大手登山用品店ではなく、路地裏にある、玄人感を醸し出している、小さな登山用品店だった。
店名は《海野スポーツ》。ちなみにマリンスポーツ用品は一切扱っていない。
「堀田さん、なんでこんな小さな店に行くんです? 駅前に有名な登山用品店があるじゃないですか?」
「クライミング用品はあるよ。あるけど……、大きな店だと、登山用品を総合的に扱っているから、品揃えのセンスが微妙なの」
大型書店に行っても、玄人向けの薄い本があるわけではないようなものか。
それにしても、専門店ってやつは、どんなジャンルでもなぜか路地裏にあるよね。
小さな入口から店内を覗くと、いかにも登山用品店らしく、派手な蛍光色の衣類やリュックサック、テントやシュラフなどが所狭しと置かれていた。
堀田先輩は常連客らしく、通勤にはスケボー使ってますって感じの、むさくるしい男性店員が気安く話しかけてきた。
「あら、やだぁ! 堀田ちゃん、久しぶりぃ。今日はお供が大勢いらっしゃるじゃない?」
半分だけ女性の店員らしいね。
「へへへ、新人ちゃんたちです。あの、シューズの試し履きしてもいいですか?」
「あらぁー、新人さん? じゃあ先に選んでて頂戴、すぐ用意するから!」
「はーい。では皆の衆、いざシューズ選び!」
「おー! ほら、三島さんも」
「……ヘンタイ、うるさい」
俺らが案内された店内の一角には、真新しいクライミングシューズたちが、悪臭など一切放たずに(!)陳列されていた。
これを人は、奇跡って言うんだろうね。
「初心者はすぐ足痛くなっちゃうから、最初はスリッパタイプがいいよ。留め具が何もついていない、こういうシューズ。あと、前にも言ったと思うけど、少しきついサイズを履くってことを忘れずにね」
「えー、靴紐あったほうがカッコイイじゃないですか!」
「靴紐タイプは外岩向きが多いから、ゴムが固いよ? 靴擦れで足の皮が剥けたり、巻き爪になったり……」
「いやー!」
「アンタ、少し静かにしなさいよ……」
そこへさっきの店員が、小さな脚立とスーパーのサッカー台に置かれているような、半透明のビニール袋を持ってやって来た。
「あーら、楽しそう、私も混ぜて。お嬢ちゃん、試しに履いてみる?」
話しかけられた三島さんがうなずくと、スツールに座らされて、店員がビニール袋を足に履かせていた。
「何も、お嬢ちゃんのお御足が汚いわけじゃないのよ? シューズがきついから、ビニールを履いて摩擦を減らすの」
三島さんは、加藤先輩に勧められたシューズを選んでいて、それを店員がわざわざ履かせてあげるようだった。
「足、入れていいわよ。そう、奥まで。あらやだぁー、ピッタリ! みんなぁ、シンデレラここにはっけーん!」
「あの、恥ずかしいです……」
赤面した三島さんは、その顔色と同じような赤いシューズの履き心地が良かったのか、それを買うことに決めたようだ。
確か、加藤先輩も同じの履いていたな。どうやら、ポピュラーなエントリーモデルらしい。
陽気な店員は次に、高価格なシューズを見ている獲物、早川に声をかけた。
「坊ちゃん、サイズわかる? メーカーによって単位が違うからわかりにくいわよね?」
「うわ、こっち来た……」
「お願い、そんな悲しいこと言わないで? お名前は?」
「早川……」
「早川君! 唐突だけど、あなたを食べちゃいたい! あ、その靴を履くのね」
「いえ、大きかったので、もう少し小さいサイズのものを……」
「ちょっと、待って。取ってあげる。緩いとすぐに逃げちゃうものね」
「何の話ですか……?」
「二人きりになったら教えてあげる♪」
……さて、あの店員が脚立に登ってシューズを探している間に、俺も選ばなくては。絡まれると面倒くさそうだしね。
「あ、それ私がボルダー用に使ってるシューズ!」
俺が、爬虫類の名前がつけられていて面白なあと、何気なく持っていたオレンジ色のシューズのことを、堀田先輩は言っているらしい。
ほう、堀田先輩が使っているものと、同じシューズだと?
「これにします! いいシューズですか?」
「うん、伸びやすいけど履き心地はいいよ。最初は楽なものがいいし、それにする?」
そりゃ、そうでしょ! 堀田先輩とお揃いとか最高じゃないか!
幸い、俺の足のサイズに合う在庫もあったので、シューズはこれに決定。
次はチョークバッグを選んだんだけど、これに入れるチョークが前にも言った、クライマーの立てる白い煙の正体だったようで、野球でピッチャーがマウンドで使ってる、あの滑り止めのことらしい。
そのほか、こまごまとした用品を揃えてレジに持って行くと、あら不思議!
俺の財布から三万円以上ものキャッシュが消えてしまった!
俺と三島さんが清算を済ませた後、なぜか早川は一人、ぐずぐずと店内をさまよっていた。
「どうしたの? 何かわからないことがあったら、私に訊いていいよ?」
堀田先輩に話しかけられて、早川は少し戸惑ったようだったが、思い切ったように、
「あの、このポスターに書いてある大会って、俺らが出てもいいんですよね?」
「ああ、《海野カップ》?」
そのポスターによると、海野カップとやらは、この春からクライミングを始めた人を対象にした、海野スポーツ主催の小さな大会らしい。参加費は一万円なり(高くないか?)。
「参加費は高いけど、賞品が魅力的だからねー。狙うのはこの、上位三名の賞品のクライミングセット一式かな?」
「ええ、……もちろん道具を買う金はあります。ありますけど、何か目標があったほうが燃えるタイプなんです」
「でも賞品目当てで、ビギナー以外も参加することで悪名高い大会だよ?」
「いや、それは主催者に対策してもらわないと」
この大会の開催日を見ると、五月の初旬に行われるようだ。つまり早川は、あのレンタルシューズを、《祟り神》を一か月も履くつもりなのか? アンビリバボーなやつだ……。
と、三島さんが俺の横でぽつりと、
「なんか道具を揃えるのにも、大会で入賞して手に入れようって考えるところが、目立ちたがり屋の早川君らしいね」
「あれ、三島さんって早川の家のこと知らないの?」
「知らないけど、なんで?」
「いや、……なんでもない」
そっか、三島さんはまだ知らないのか。何のことかって言うと、まあ後々わかるよ。
「そそ、それじゃあ! う、打ち上げ、いい、行きます?」
店を出ると、加藤先輩が妙に興奮した面持ちで待っていた。
この挙動不審な感じからすると、今まで生きてきて、一度も打ち上げに参加したことがないんじゃないかな(俺もないけど)?
「では、僕が案内しますよ。丁度いいファミレスがあって……」
そうして早川の先導で(たぶんみんな知っている)、前に使ったファミレスへと向かった。




