ブランク・クライミング
さて、怖ず怖ずとついてきた加藤先輩だったけど、クライミングジム・よしこに入って堀田先輩を目にした途端、
「ほほほ、ほわっ、堀田せんぱあああああい!」
と、鮮やかにフライング土下座を決め(何回か経験があるんだろうね)、堀田先輩の足に縋りつきながら懺悔を始めた。
加藤先輩の話が終わるころには、お互いピーピー泣いていたけど、和解っていうのは傍で見ているだけでも気持ちいいね。
「ほほ、本当にごめんなさい……。 わ、わたしが弱くって、み、みんなに合わせてやめちゃいましたけど、……堀田先輩は悪くなんかありません! クライミングも好きです!」
「うん、ありがとう。こうして戻ってきてくれただけでも嬉しいから、謝らなくたっていいん
だよ? 二度とストーカーはして欲しくないけど……」
「おお、聖母よ……。あの、わわ、わたしまた、堀田先輩の登っている姿、見たいです! 登ってくれませんか?」
加藤先輩に熱心に頼まれて、堀田先輩も照れていたが、
「うーん、久しぶりだけど……」
そう言って堀田先輩は静かに立ち上がると、しばらく壁を見つめていた。
「堀田さんの登りって、見たことないよな?」
「そういえば、そうだな。やっぱり上手いんだろうね」
もしかして、加藤先輩たちがやめちゃってから、今まで登っていなかったのかもしれない。
「よし、じゃあ着替えてくるね! みんなも一緒に登りましょー!」
加藤先輩との和解で、ご機嫌になった堀田先輩の掛け声に、更衣室へと登る俺らの足も自然と軽やかになった。
いよいよ本格的にクライミングを始められるんだ!
そして、俺らが学園の体操服に着替えて降りていくと、話を聞きつけたのか、二階堂さんも頭を振りながら待っていた。
「二階堂さん、堀田先輩ってどれくらいクライミング上手いんですか?」
「サイキョ―☆」
なんとなく想像ついたけど、コメントが薄っぺらい!
世界大会に出てたことはネットで見たけど、マイナースポーツだから、それがどれくらいすごいのかが想像できないな。
と、堀田先輩が着替え終えて降りてきた。
人間のオス共、刮目せよ。
先輩は桃色のタンクトップに七分丈のトレパン姿、ヘアースタイルは運動モードなのか、ポニーテールに。強引に髪をひっつめずに前髪を垂らして、おでこを出していないのは、俺の好みにどストライクだ。
ビレイヤーは、加藤先輩が着替えを取りに帰っていて、俺ら一年生では不安なので、二階堂さんが務めるようだ。
「おい川内、本当に堀田さんって、二階堂さんの言うように上手いのか? 見たところ、筋肉なんてなさそうだぞ?」
「まあ、腕は少し太いけど、アスリート感はないよな」
太ってはいないけど、別に筋が浮き出ているわけでもないムチムチな後姿は、その辺にいる趣味がランニングのイケテル女子といった感じだ。
特に、ふくらはぎが脂の乗ったブリのように膨らんで、肌が光沢を放っている感じとか、もうね。こういう足ってそそるよね。
こんな具合に脳内で品評しているうちに、堀田先輩は柔軟体操を終えて、いよいよ壁に取りつこうとした。
「じゃあ、アップ行きまーす。ルートは緑テープ!」
「イェア☆」
二階堂さんとの確認を終えて、壁に手を伸ばしたそのときだった。
「おおっ」
「へ?」
「……」
ホールドをつかむために堀田先輩が両手を挙げると、そのかよわい背中には、まるでワシが両翼を開いたそのとき、大きな翼を形作る精緻な羽根の一枚一枚が明らかになるように、クライミングで鍛えられた、幾多の細かい筋肉たちが浮かび上がった。
それらの筋が玄妙に描き出す影は、堀田先輩の背中に新たな表情を、例えば山門から睥睨する仁王像のような、勇ましい表情を与えていた。
もはや、背中だけが別人になったと言っても、誰が否定し得るだろうか?
「……あれは一体、誰なんだ?」
「堀田先輩だろ」
「三角筋、僧帽筋、広背筋、上腕三頭筋、……」
こいつら、冷静すぎてつまらねえ! 俺の中二病的感動をぶち壊しやがって。三島さんに至っては、筋肉の名称言っちゃってるし!
「はわわわわ、ひ、久しぶりです! この堀田先輩のクライム……」
いつの間にか加藤先輩は戻って来ていて、(ダサい)アニメTシャツと、短パン姿になって傍に立っていた。
「アップに、12a、ブランク、関係ねえ☆」
見上げる二階堂さんも興奮気味だ。いつものことかもしれないが。
その堀田先輩の登りだけど、特に派手な動きとか、すごく登るのが早いとか、そういうのはまるでなかった。ゆっくりだけど、淡々と、そして何の無駄な動きもなく……。
「あの、加藤先輩。アップで5・12aってすごいんですか?」
「そそ、そりゃもう! プ、プロクライマーレベルだよ。そそ、それに、ブランクも半年以上あるし……」
とは言っても、あんなに優雅に登っているのを見ると、簡単そうなんだけどなあ。午前十時過ぎに学校に来る遅刻魔くらい、のんびりとしている。
堀田先輩はその後、12cd、13a、12bと、連続で楽々と登っていた。
「はあ、久々だから腕がパンパン! すみちゃん、登っていいよ」
初心者の俺らがドン引きするくらい登った後の堀田先輩の顔は、シナイ山を降りた直後のモーセのように薄っすらテカって、神々しくなっていた。
「は、はい! ち、ちょっとお待ちを」
興奮しながら、加藤先輩が袋をひっくり返すと、中からまだ祟り神になっていない、クライミングシューズを取り出した。
「いいなー、それってマイシューズですよね。俺らレンタルの祟り神、履いてるんですよ」
「た、祟り神!? ああ、シ、シューズのこと? 堀田先輩、まだ買いに行かないんですか?」
「あ、そうだった、まだ買ってなかったね。……へへへ、実は、またすぐいなくなっちゃうかもって思ったら、怖くて……」
堀田先輩は汗ばんだ顔を、照れ笑いなのか、もしくは苦悶するようにゆがめていた。
結構、過去がトラウマになっているのかもな。
でも大丈夫、俺がこのハーレムを手放すことなどありえない!
「じゃあ、さっそくみんなで買いに行こっか! お金持ってなくても、ツケOKな店だから心配しないで」
そこへ早川が食いついて、
「せっかくの機会です、買い終わったら打ち上げもやりませんか?」
「いいねー! じゃあ、すみちゃんが戻ってきた記念と、……まだ、名前訊いていなかったけど、一年生の歓迎会ってことで!」
本当だよ、名前すら訊かれてなかったんだよな、俺ら……。
そんなわけで、クライミング用品の購入と、早川たっての願いである、打ち上げが実現する運びとなった。




