第1話 おっぱいなんて、いいことがない
「……やっぱり、無理かなぁ」
大学へ行く準備を終えた私は、姿見の前で小さくため息をついた。
今日着ようと思っていたのは、先週買ったばかりの淡いピンク色のTシャツ。胸元に小さな花の刺繍が入った、シンプルで可愛い一枚だ。お店で見つけた瞬間に一目惚れして、試着もせずに買ってしまった。だって、本当に可愛かったんだもん。これを着て大学へ行ったら、きっと気分も上がる。そう思っていたのに、いざ鏡の前に立ってみると、どうしても気になるところがあった。
「……目立つよね、これ」
鏡に映る自分の胸元を見下ろす。
私は桃瀬莉子、十九歳。身長は百五十三センチで、顔もどちらかといえば童顔。肩にかかるくらいのダークブラウンの髪は、生まれつきふわふわした天然パーマだ。昔から実年齢より幼く見られることが多い。なのに、胸だけは妙に自己主張が激しい。ぴったりした服を着ると、どうしても身体のラインが目立ってしまう。今日のTシャツだって、サイズが小さいわけじゃない。それなのに、胸元ばかりが気になって、肝心の可愛い刺繍がちっとも目に入らなかった。
別に、胸が大きいこと自体が悪いわけじゃない。それは私だってわかっている。だけど、すれ違った男子の視線が胸元に落ちたり、頼んでもいないのに体型についてあれこれ言われたりするのは、正直しんどい。高校の頃だって、嫌な思いをしたことが何度もあった。
『桃瀬って、意外とすごいよな』
『顔は幼いのに、スタイルいいよね』
言った本人たちは、褒めているつもりだったのかもしれない。でも、私としては、普通に可愛い服を着て、普通におしゃれを楽しみたいだけなのだ。誰かに体型を評価してほしいわけじゃないし、ましてや、じろじろ見られたいわけでもない。せっかく気に入って買った服なのに、鏡の前でこんなに悩んでしまう自分も嫌になる。
……ああ、もう。
おっぱいなんて、いいことがない。
「……よし。今日はこっち!」
結局、ピンクのTシャツを脱いで、いつものゆったりした白いブラウスに着替えた。胸元のラインがわかりにくい、私にとっては安心できる定番服だ。鏡の前でくるりと回り、裾を軽く整える。うん、これならあまり目立たないと思う。
「よし。これなら大丈夫!」
そう口にしてみたものの、ベッドの上に置いたピンクのTシャツが気になって、もう一度だけ振り返った。
……本当は、こっちが着たかったんだけどなぁ。
小さくため息をつき、Tシャツを丁寧に畳んでから、私は鞄を持って部屋を出た。
◇
大学の正門へ向かう途中、向かいから歩いてきた男子学生二人とすれ違った。
そのうちの一人が、ちらりと私を見た。目が合ったと思った次の瞬間、視線が顔から胸元へと落ちる。ほんの一瞬のことだったけれど、私は反射的にブラウスの前を引き寄せてしまった。隠したいと思って選んだ服なのに、それでも気になってしまう自分が悲しい。
……気にしすぎなのかなぁ。
別に何か言われたわけじゃない。だけど、こういうことがあるたびに、外を歩くのが少しだけ憂鬱になる。私はただ、大学に来ただけなのに。
「莉子、おはよー!」
「美月! おはよう!」
正門をくぐったところで、親友の高梨美月が手を振っていた。
背中の真ん中まで伸びたアッシュブラウンのストレートヘアをさらりと揺らす美月は、私より十二センチも背が高い。すらりとしていて、大人っぽくて、何を着ても似合う美人さんだ。今日も黒のパンツに薄手のシャツというシンプルな格好なのに、雑誌から飛び出してきたみたいにおしゃれに見える。私が同じ服を着ても、きっとこうはならないだろうなぁ。そんなことを考えながら、美月の隣に並んだ。
「ねえ、美月」
「ん?」
「私もさ、美月みたいに、さらっとTシャツを着こなしてみたい」
「……朝からどうしたの?」
「今日ね、新しいTシャツを着ようと思ったんだけど、結局やめちゃった」
「あー……」
美月は一瞬だけ私の顔を見て、それからふっと表情を柔らかくした。
「気になっちゃった?」
「うん。可愛くて買ったのに、なんか勇気が出なくて」
「そっか。でも、莉子が気に入って買った服なんでしょ?」
「そうなんだけどねぇ」
「じゃあ、いつか着たい日に着ればいいじゃん。無理する必要ないし」
美月はそう言って、私の肩をぽんと叩いた。
「それに、そのブラウスも可愛いよ。莉子っぽい」
「ほんと?」
「ほんと。あ、でも私としては、莉子が選んだピンクのTシャツも見てみたいな」
「……今度、挑戦してみようかな」
「うん。楽しみにしてる」
こういうところが、美月の好きなところだ。
無理に励まそうとしないし、私の悩みを大げさにも扱わない。大学に入ってすぐ仲良くなったばかりなのに、もうずっと前からの友達みたいに居心地がいい。私が着たい服を着られなくても責めないし、いつか着てみたいという気持ちも否定しない。そんな美月と一緒にいると、少しだけ肩の力が抜けるのだ。
「そういえば莉子、今日のお昼どうする?」
「学食かなぁ。新しいパスタが出たって聞いたから」
「あ、それ私も気になってた!」
「じゃあ一緒に――」
「莉子」
不意に、後ろから聞き慣れた声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは柊朔也。私より一つ年上の、幼馴染だ。
自然な黒髪は少し無造作で、長めの前髪が目元にかかっている。色白の肌に、切れ長の黒い瞳。身長は百八十二センチもあって、私が隣に立つと、見上げるだけで首が疲れてしまう。今日は白いシャツに黒のカーディガンというシンプルな格好なのに、これがまた妙に似合っている。本人は服装なんてあまり気にしていないみたいだけど、昔から何を着ても様になるのだから、ちょっと羨ましい。
「朔也! おはよう」
「おはよ」
朔也は短く答えると、私の目の前に小さな紙パックを差し出した。
「はい」
「……え?」
「いちごミルク」
「あっ!」
思わず声が弾んだ。
「これ、新しく出たやつだ! 昨日、飲んでみたいって言ってた!」
「うん」
「覚えてたの?」
「昨日聞いたばっかだろ」
「そうだけど!」
嬉しくて、両手で紙パックを受け取る。昨日、コンビニの新商品を見ながら、何気なく「これ飲んでみたいなぁ」と呟いたのだ。まさか、わざわざ買ってきてくれるなんて思わなかった。しかも、触れた指先にひんやりした冷たさが伝わってくる。きっと、大学へ来る途中で買ってくれたのだろう。
「ありがとう、朔也!」
「ん」
朔也の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
……うん。いつもの朔也だ。
昔からこうなのだ。口数は少ないし、誰にでも愛想がいいわけでもない。でも、私が好きなものや、ちょっとした会話の内容を、なぜかよく覚えている。小さい頃も、私が欲しがっていたお菓子をさりげなく分けてくれたり、なくしたお気に入りのヘアピンを一緒に探してくれたりした。そういう優しさは、大学生になった今も変わらない。
「おーい! 朔也! 俺を置いてくなって!」
そのとき、少し離れたところから大きな声がした。
走ってきたのは三浦航平くん。朔也と同じ大学二年生で、彼の親友だ。明るくて人懐っこくて、初対面の相手ともすぐ仲良くなれるタイプ。物静かな朔也とは正反対なのに、二人は高校の頃からずっと仲がいい。
「はぁ、はぁ……お前、歩くの速すぎ! って、莉子ちゃんじゃん。おはよ!」
「航平くん、おはようございます」
「おっ、いちごミルク。いいねぇ。俺にもなんか買ってよ、朔也」
「自分で買え」
「即答!?」
航平くんが大げさに胸を押さえる。
「ちょっと待てよ。莉子ちゃんにはわざわざ飲み物買ってくるのに、親友の俺にはその態度?」
「お前、いちごミルク好きなの?」
「いや、別に?」
「じゃあいらないだろ」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
私は思わず吹き出した。
「あははっ! 航平くん、朝から元気ですね」
「莉子ちゃんだけだよ、俺に優しいのは」
「三浦先輩、朝からうるさいです」
美月がさらりと言う。
「高梨ちゃんまで!?」
「だって、正門の前で漫才してるんですもん」
「漫才じゃねえよ! 俺は親友からの愛情を求めてるだけ!」
「朔也先輩に求めるの、無理がありません?」
「高梨ちゃん、辛辣!」
また笑い声が上がる。
美月と航平くんは、会うたびにこんな調子だ。二人とも言いたいことを遠慮なく言うので、見ていて飽きない。ちなみに、航平くんは美月に何を言われてもめげない。美月もなんだかんだで楽しそうだから、きっと相性がいいんだと思う。
そんな二人を横目に、朔也は私の手元を見た。
「莉子」
「ん?」
「冷たいうちに飲めば」
「あ、そうだね」
ストローを差して、一口飲む。
「……おいしい!」
「そ」
「これ、思ったより甘酸っぱい! 朔也も飲む?」
何気なく差し出すと、朔也は一瞬だけ私を見た。なぜかストローに視線を落とし、それから小さく首を振る。
「……いい。莉子のだし」
「そっか」
そのやり取りを見ていた航平くんが、突然にやにやし始めた。
「なあ、朔也」
「何」
「お前さぁ、莉子ちゃんの前だと別人だよな」
「……そうか?」
「そうだろ! 俺には一度もそんな優しい顔したことねえぞ!」
「お前にする必要ある?」
「ひどくね!?」
「三浦先輩、比較する相手を間違えてます」
「高梨ちゃんまで追い打ち!?」
またしても賑やかな声が響く。
私はいちごミルクを飲みながら、小さく首を傾げた。
朔也が私に優しい?
……まあ、そうかもしれない。
でも、それは別に不思議なことじゃないと思う。
だって、私たちは幼馴染なんだから。
◇
午前の講義を終えて、美月と学食へ向かう途中。
「ねえ、莉子」
「なぁに?」
「柊先輩って、彼女いないんだよね?」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「朔也、そういう話あんまりしないから。でも、いたら教えてくれると思うよ」
「ふーん……」
美月は意味ありげに私を見る。
「な、なに?」
「いやぁ。莉子って、柊先輩のこと全然意識してないんだなぁと思って」
「えっ?」
「だって、あんなイケメンが毎日のように構ってくれるんだよ?」
「イケメン……」
言われて、朔也の顔を思い浮かべる。
確かに、顔は整っていると思う。高校の頃から女子に人気があったし、大学に入ってからも、朔也を見て騒いでいる女の子たちを何度か見かけた。背も高いし、落ち着いているし、あまり笑わないところが格好いいんだとか。私からすると、ただ口数が少ないだけのような気もするけれど。
だけど。
「朔也は朔也だよ?」
「……うわぁ」
「な、何その反応!?」
「いや、柊先輩も大変だなぁって」
「なんで!?」
「こっちの話」
美月は楽しそうに笑った。
なんだかよくわからない。
だって、朔也は昔からずっと一緒にいる存在だ。小さい頃は一緒に公園で遊んだし、小学校の帰り道にはよく寄り道もした。中学生になってからは、私が数学の問題で困るたびに教えてくれた。高校では別々の学校に通っていたけれど、帰る時間が合えば一緒に帰った。大学に入ってからも、それはあまり変わらない。
ただ、ひとつ変わったことがあるとすれば。
最近、朔也を見上げると、時々妙にドキッとすることがある。
……背が高くなりすぎたせいかな?
「莉子、何考えてるの?」
「えっ!? な、何も!」
「ほんとに?」
「ほんとだよ!」
「ふふっ。まあ、今はそういうことにしておこうかな」
「もう、美月ったら!」
美月が声を上げて笑う。
私は慌てて頬を押さえた。自分ではいつもどおりのつもりだったのに、なんだか恥ずかしい。美月は私の顔を見て、ますます楽しそうに笑っている。
もう。美月ったら、時々エスパーなんじゃないかと思う。
◇
午後の講義が終わる頃には、空が少し曇っていた。
美月はアルバイトがあるらしく、先に帰ってしまった。私は図書館で借りた本を鞄にしまいながら、大学の中庭を歩いていた。風が吹くたびに木々の葉がさらさらと揺れている。今日は寄り道せずに帰って、昨日買った小説の続きを読もうかな。そんなことを考えていたときだった。
「あ、桃瀬さん」
同じ学部の男子に声をかけられた。
「こんにちは」
「今日、もう帰るの?」
「うん。これから帰ろうかなって」
「そっか。そういえばさ、桃瀬さんっていつもゆったりした服着てるよね」
「……え?」
突然の言葉に、足が止まる。
「いや、別に変って意味じゃなくて。もっと身体のラインが出る服とか着たら、似合いそうなのになって」
「……あはは。そうかな」
「うん。スタイルいいんだし、もったいないじゃん」
悪気があるようには見えなかった。たぶん、本人としては褒めているつもりなのだろう。だから私も、曖昧に笑って受け流すことしかできなかった。だけど、胸の奥に小さな棘が刺さったような気がした。
……また、体型の話だ。
「じゃ、また明日!」
「うん。またね」
男子が去っていく。
私は小さく息を吐いて、鞄の持ち手を握り直した。
もったいない、かぁ。
朝、鏡の前で諦めたピンクのTシャツを思い出す。本当は私だって着たい。体型を気にせず、可愛いと思った服を自由に着てみたい。でも、こうやって何気なく言われるたびに、やっぱり目立つんだなって思ってしまう。私が何を着るかなんて、私が決めていいはずなのに。
「……はぁ」
思わずため息が漏れた。
「莉子?」
聞き慣れた声に顔を上げる。
中庭の向こうから歩いてきたのは、朔也だった。片手に鞄を持ち、いつもの落ち着いた足取りでこちらへ向かってくる。その姿を見ただけで、さっきまで強張っていた肩の力が少し抜けた。
「朔也!」
「今帰り?」
「うん。朔也も?」
「今日はもう終わり」
そう言って、自然に私の隣へ並ぶ。
「駅まで一緒に行く?」
「行く!」
「ん」
朔也は私の歩幅に合わせて、ゆっくり歩き始めた。
しばらく、他愛もない話をする。今日の講義のこと。美月が新しいアルバイトを始めたこと。それから、航平くんが昼休みに大盛りカレーを食べて、午後の講義で眠そうにしていたこと。朔也が淡々と話すものだから、その光景が目に浮かんでしまった。
「航平くん、また?」
「うん。懲りない」
「あははっ! この前も同じことしてなかった?」
「してた。学習しないんだよ、あいつ」
「ふふっ、航平くんらしいね」
笑っているうちに、さっきまでのもやもやが少し薄れていった。
朔也といると、こういうことがよくある。別に特別なことを言ってくれるわけじゃない。ただ隣にいて、私の話を聞いてくれる。私が笑えば、朔也もほんの少しだけ笑う。それだけなのに、不思議と落ち着くのだ。
「……莉子」
「ん?」
「今日、なんかあった?」
思わず足が止まった。
「えっ? なんで?」
「さっき、ちょっと元気なかったから」
「……見てたの?」
「たまたま」
朔也は私を見下ろした。
黒い瞳が、静かにこちらを見つめている。昔から、朔也はこういうところに妙に鋭い。私が何かを隠そうとしても、なぜかすぐに気づいてしまうのだ。別に泣いていたわけでも、怒っていたわけでもないのに。
「嫌なこと言われた?」
「……ううん。嫌なことっていうか」
少し迷ってから、私は朝のTシャツの話をした。
可愛くて買ったのに、着る勇気が出なかったこと。さっき、同級生から服装について言われたこと。そして、相手に悪気がないとわかっていても、どうしても気になってしまうこと。
話しているうちに、なんだか自分が小さなことにこだわっているような気がしてきた。こんな話、聞かされても困るよね。そう思ったけれど、朔也は途中で口を挟まずに最後まで聞いてくれた。
「……そっか」
「うん。なんか、私って面倒くさいよね」
「なんで?」
「だって、褒めてくれてるのかもしれないのに、素直に喜べなくて」
「別に、喜ばなくてもいいだろ」
「……え?」
「自分が嫌だったなら、それでいいと思う」
朔也は当たり前のことのように言った。
「相手に悪気があるかどうかと、莉子が嫌だったかどうかは別だし」
私は思わず、朔也の顔を見上げた。
嫌だったなら、それでいい。
たったそれだけの言葉が、胸の奥にすとんと落ちてきた。相手は褒めてくれたんだから、気にする私が悪いんじゃないか。そんなふうに考えていた気持ちが、少しだけ軽くなる。朔也は私の代わりに怒ったり、無理に励ましたりはしない。ただ、私がどう感じたかを、そのまま受け止めてくれるのだ。
「……朔也」
「うん」
「そういうところ、昔から変わらないね」
「そう?」
「うん。なんか、安心する」
そう言うと、朔也は一瞬だけ目を伏せた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……なら、よかった」
胸の奥が、ふわっと温かくなった。
……やっぱり、朔也って優しい。
そう思いながら歩き出すと、不意に朔也がこちらを見た。
「あとさ」
「ん?」
「今日の服」
「……服?」
思わず自分の白いブラウスを見下ろす。
「これ?」
「うん」
「な、なに? 変かな?」
「違う」
朔也は少しだけ間を置いた。
それから、私の顔をまっすぐ見て。
「……似合ってると思うけど」
「…………え?」
「その服。莉子に」
思わず、瞬きを繰り返した。
「……ほ、ほんと?」
「うん」
「そ、そっか。ありがとう」
なんだろう。
さっき男子に服のことを言われたときとは、全然違う。朔也は、私の体型について何も言わなかった。ただ、今着ている服が似合っていると、それだけを伝えてくれた。なんだか、ちゃんと私自身を見てくれている気がする。
嬉しい。
ただ、普通に嬉しい。
「……でも、今日着たかった服は別なんだよね」
「ピンクのTシャツ?」
「うん」
「じゃあ、今度見せて」
「……え?」
「莉子が気に入って買ったんだろ」
「そうだけど……」
「なら、見てみたい」
朔也はそう言って、また前を向いた。
無理に着ろとも、絶対に似合うとも言わない。ただ、私が気に入って選んだ服だから、見てみたいと言ってくれた。
それが、なんだか嬉しかった。
「……笑わない?」
「何を?」
「似合わなかったら」
「笑わないよ」
「ほんとに?」
「うん。莉子が嬉しそうに着てるなら、俺も嬉しいし」
……え。
今、なんて?
思わず朔也を見上げると、本人は何事もなかったように歩いている。こんなことをさらっと言ってしまうなんて、ずるいと思う。私だけが変に意識しているみたいじゃない。
「莉子?」
「ひゃいっ!?」
「……ひゃい?」
「な、なんでもない!」
朔也がこちらを見て、少しだけ笑った。
「変な莉子」
「朔也に言われたくない!」
「俺、なんかした?」
「してないけど!」
「じゃあ、なんで怒ってるの」
「怒ってないもん!」
「そっか」
そう言って、朔也はまた小さく笑った。
……ずるい。
普段はあんなに無表情なのに、どうして私の前ではそんな顔をするんだろう。
昔から何度も見てきたはずの笑顔なのに、今日は妙に目が離せなかった。少しだけ細くなる目元も、柔らかく緩む口元も、なんだかいつもと違って見える。別に朔也が変わったわけじゃない。きっと、私のほうが変なのだ。
だって、朔也は幼馴染で。
小さい頃からずっと一緒にいて。
今さら、服を褒められたくらいでドキドキするような相手じゃないはずなのに。
「……莉子、置いてくよ」
「あっ、待って!」
少し先を歩いていた朔也が立ち止まり、私を振り返った。
そのまま歩いていってもいいのに、私が追いつくまで待っていてくれる。昔から、いつもそうだった。背が伸びて、歩幅が大きくなっても、朔也は私を置いていかない。
隣に追いつくと、また自然に歩き始めた。
「ねえ、朔也」
「ん?」
「今度、あのTシャツ着てみるね」
「うん」
「……そのとき、ちゃんと見てね?」
「見てるよ。いつも」
「…………っ!」
思わず、足がもつれそうになった。
「莉子?」
「な、なんでもない!」
「足元、気をつけて」
「わ、わかってる!」
慌てる私の隣で、朔也はまた少しだけ笑った。
もう、本当にずるい。
おっぱいなんて、いいことがない。
今朝までは、ずっとそう思っていた。もちろん、コンプレックスが急になくなったわけじゃない。明日になれば、また鏡の前で悩むかもしれない。それでも、今日の私は、あのピンクのTシャツをもう一度着てみたいと思っている。
誰かにどう見られるかじゃなくて、私が可愛いと思ったから。
そして、できれば。
隣を歩いている、この幼馴染にも見てもらいたい。
……まあ、きっと昔からの付き合いだからだよね。
そう自分に言い聞かせながら、私は朔也の隣を歩いた。
このときの私は、まだ知らなかった。
私がずっと当たり前だと思っていた幼馴染の優しさには、実はとんでもなく甘い理由が隠されていることを。
そして、これから先。
私はこの幼馴染に、もっともっと甘やかされることになるのだ。
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