第11話「残ったもの」
ガコン、と。
浴室の方から聞こえた音で、身体が固まる。
スマホの画面は真っ黒。
さっきまで映っていた“俺”は消えていた。
「……っ」
喉が乾く。
静かすぎる。
なのに、
耳の奥ではまだ排水音が続いている。
ごぽ、ごぽ、と。
ゆっくり。
何かを飲み込むみたいに。
「……はぁ」
息を吐く。
落ち着け。
考えろ。
今のは異常だ。
でも、
だからって。
「……いるわけないだろ」
自分に言い聞かせる。
浴室を見る。
扉は閉じたまま。
無理やり鍵もかけた。
なのに。
扉の下の隙間から、
細く水が溢れ出ていた。
「は?」
透明な線。
床をゆっくり這ってくる。
ありえない。
浴室の床は、
もっと奥で排水されるはずだ。
なのに。
水はまっすぐ、
こっちへ向かってきている。
「……っ」
一歩下がる。
水が止まる。
ぴたり、と。
まるで、
反応したみたいに。
「……なんだよ」
本当にヤバい時だけ、
空気ってこうなる。
音が減る。
部屋が妙に広く感じる。
嫌な汗が背中を伝った。
数秒。
静寂。
そして。
コン。
また鳴った。
今度は近い。
扉一枚向こう。
「……」
コン。
コン。
ゆっくり。
一定。
ノック。
まるで、
“開けてほしい”みたいに。
「……開けるかよ」
小さく吐き捨てる。
だが。
スマホが震えた。
『返事をするな』
即座に画面を見る。
また知らない番号。
さっきと同じ。
「……お前、誰だよ」
送る。
既読はつかない。
数秒後。
『まだ近い』
意味が分からない。
だが。
直後。
コンコンコンコンッ!!
激しく扉が鳴った。
「っ!?」
肩が跳ねる。
音が変わった。
さっきまでのノックじゃない。
叩いてる。
焦ってるみたいに。
コンッ!!
「……うるせぇな……!」
思わず声が出る。
すると。
ぴたり、と止んだ。
「……」
静か。
呼吸音だけがやけに響く。
その時。
スマホにまた通知。
『気づかれた』
「は?」
『静かにしろ』
意味不明だ。
なのに。
読んだ瞬間、
空気が冷えた気がした。
嫌な沈黙。
水音だけが続く。
ごぽ。
ごぽ。
ゆっくり。
ゆっくり。
近づいてくるみたいに。
「……」
視線が、
勝手に浴室へ向く。
扉の下。
さっきの水。
もう消えている。
なのに。
代わりに。
黒い髪みたいなものが、
隙間から少しだけ見えていた。
「っ!?」
息が止まる。
濡れてる。
ゆっくり揺れてる。
長い。
「……おい」
声が掠れる。
髪は動かない。
でも。
少しずつ、
こっちへ伸びてきていた。
ずる、と。
「は……?」
理解が追いつかない。
反射的に、
近くのクッションを掴む。
投げる。
扉に当たる。
鈍い音。
その瞬間。
髪が、引っ込んだ。
「……」
静寂。
また止まる。
まるで、
様子を見ているみたいに。
「……なんなんだよ、マジで」
スマホを握り直す。
通知。
『見るな』
『近づくな』
『開けるな』
短文が連続で届く。
「だから誰だよ……」
打とうとして。
手が止まる。
ふと。
違和感。
送信画面の上。
登録名が、
いつの間にか変わっていた。
「……は?」
凍る。
さっきまで番号だった。
なのに。
今は、
見覚えのある文字列に変わっている。
背筋が冷える。
コン。
また鳴った。
今度は弱い。
遠慮がちに。
コン。
コン。
その音を聞いた瞬間。
頭の奥で、
妙な感覚が弾けた。
——知ってる。
この音。
「……え」
記憶が揺れる。
銭湯。
湯気。
暗い浴槽。
誰かが、
内側から叩いていた。
あれ。
まさか。
浴室の電気が、落ちた。
バチンッ!!
部屋が暗転する。
「っ!?」
同時に。
扉の向こうから。
ぐちゃ、と。
何かが這う音がした。
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