6．父の本音
例えアマーリエがジークフリートの悲運を捻じ曲げたくても、彼女はまだ子供で自分の力だけでは何もできない。18歳のアメリーの記憶を持つ今のアマーリエは、子供の身体がじれったくて仕方がない。今の彼女にできることは父のオルデンブルク公爵ルートヴィヒに頼むことぐらいだ。
「ねえ、ジルヴィア。今日は何時頃お父様が帰って来るか知ってる？」
「存じません。すぐに執事に尋ねてまいります」
アマーリエは、専属侍女ジルヴィアに尋ねた。彼女とは初めてこの世界で目覚めた時からの付き合いなので、結構打ち解けられたのではないかとアマーリエは思っているのに、彼女はいつも丁寧な言葉を崩さない。
アマーリエの部屋に戻ってきたジルヴィアによれば、今日の父の帰りはそれほど遅くないはずだとのことだったので、夕食後に眠り込まないように気を付けなくてはならない。精神は大人でも身体はまだ子供で、アメリーなら余裕で起きていられた時間にアマーリエは眠くなってしまう。
まだねん挫が完治していないアマーリエはいつものように自室で夕食をとった。普段なら寝る支度をして寝台に入る時間だが、横になれば寝てしまう。アマーリエは寝台に腰掛けたまま、先日ジークフリートが持ってきてくれた恋愛小説を枕の下から取り出して読み始めた。
微かにノックの音がしてアマーリエはビクッとした。いつの間にか小説に没頭していたようだ。慌てて本を枕の下に隠してどうぞと答えた。入って来たのは予想通り、父ルートヴィヒだった。
「アマーリエ、起こしたかな？悪いね」
「まだです。お父様とどうしてもお話したいから待ってたの」
「そうか、そうか。私もお前と話したいと思ってたから丁度いいよ」
ルートヴィヒはアマーリエの隣に腰を下ろし、相好を崩して娘の頭を撫でた。
「それで何を話したいんだい？」
「私もお兄様みたいに諜報部隊の一員にして下さい」
ルートヴィヒは頭を抱えた。
「はぁ……お前もか……」
「え？ 今、何と言いましたか？」
「いや、何でもない。返事はナインだ」
「どうしてですか？ 私はオルデンブルク公爵家の娘です」
「でも王家に嫁ぐ身だ。王家の一員は諜報員にならないことになっている」
「でもそれは法律で決まってるわけじゃないんですよね？」
「どうしてそんなことまで……とにかく法律で決まっていなくても今までそうだったんだ」
「どうしてですか？」
諜報員の仕事に寝台の上で情報を引き出すことも入っていることを閨教育の終わったジークフリートや上の息子に話すことには、ルートヴィヒは戸惑わなかった。でもまだ月の物も来ていないアマーリエはまだ話が別だ。
アマーリエは父親の口ごもる様子を見て思い切って口を開いた。
「男の人と親しい関係になって情報を引き出すこともあるからですか？」
「お前はまだ子供だから想像もつかないだろうが、お前の考えてる『親しい関係』と実際することは違うぞ」
「そのぐらい知ってます。何をどうするのか説明しましょうか？」
「や、止めなさい！ そんなこと、誰から聞いたんだ？！」
「聞かなくたって想像はつきます」
「そ、そんな訳ないだろう？！ 誰かが閨の教本を渡したのか？」
「いいえ。とにかく私が知っているのは誰かのせいではありません」
ルートヴィヒはふうーっと大きなため息をついて話し始めた。
「お前が知っているなら……一番の理由はわかるだろう？ 危険だからという理由だけではない。任務で純潔を失うようなことがあれば、王家に嫁ぐ資格を失うからだ。純潔っていうのはだな……ゴホン……わかるかな？」
「知っています。それでも構いません」
「……！ お前は殿下を慕っているのだろう？」
「だからです。殿下を守りたいのです」
「その結果、お前が殿下と結婚できなくなっても諜報員になりたいのか？」
「……はい。殿下が別の女の人と結婚するのは……やっぱり嫌です。でもそうしないと殿下が……」
「私だってお前以外の女性が殿下と結婚したら残念だよ。なあ、殿下と結婚したいのなら、我慢して悲しい思いをすることはない。殿下のことは、近衛騎士団と我が諜報部隊も守っている」
「それだけでは心配なんです」
ルートヴィヒはムッとした顔を隠さなかった。
「そんなに天下のアレンスブルク王国近衛騎士団と諜報部隊を信じられないか？ お前みたいに非力な子供に手伝ってもらわなきゃ殿下を守れないわけがないだろう？ 私達の実力を舐めてもらっちゃ困るな」
「ご、ごめんなさい！ そんな馬鹿にしたつもりはないんです。ただ、大好きな殿下を自分でも守りたいって思っただけで……そんな風に思っちゃいけませんか？」
「それは立派な心掛けだよ。でも我が公爵家が殿下を守っていると言うことはアマーリエが守っているのと同じことだ。それに殿下はアマーリエに守ってほしいって思うかな？ 婚約者に守ってもらうなんて殿下の自尊心を傷つけると思うよ」
「それは……」
「それに私は結婚前の娘に仕事のためだけの男女関係を持ってもらいたくない。そんなのは娼婦と同じだ。誇り高きオルデンブルク公爵令嬢のすることではない。とにかくこの話はこれでお仕舞いだ。早く寝なさい」
寝室を出て行く前にアマーリエの頭を撫でたルートヴィヒの手の感触は優しかったが、娘の懇願を拒絶する態度は有無を言わせなかった。どうやって父の説得をすればいいか悶々と考えているうちに、寝台に横になったアマーリエの意識は闇に沈んでいった。
